2025年10月28日火曜日

気まぐれブログ〜一寸先は闇〜2025年10月28日(火)

😓 本当にボケばあちゃん!前回は気まぐれブログ〜一寸先は闇〜2025年10月20日(月)〜でした。そして今日はすでに28日!8日間も何をしてたのかなあ!!!

 🌻 10月20日には、「タイトル通り、本当に気まぐれブログですみません。日毎にボケ状態がが進んでいくようで、我ながら恐ろしい気がしています。このブログを見て「変だよ!」と思われたら、お知らせくださいね!」

と書いています。そして今日は、早くも10月28日です!毎日暇人なのに、どうしてこんなにブログ更新ができないのか!やっぱり本当にぼけてしまったのかな。毎回、こんな嘆きをしていること自体、本当のボケばあちゃんになったのですかね。

 一昨日10月26日、私の妹(新津亨・なみ夫妻の末の子「鞆音(ともね)」)の傘寿の祝いをしました。「鞆音」は、1945年10月8日、夫妻の8番目の子どもとして、信州の山村の茅葺き屋根の家で産声を上げました。歌人で万葉集を愛読・研究していた父親が、万葉集の中の一首から「丈夫の鞆の音すなり・・・」の二文字をとって「鞆音」と命名。子ども時代、大学卒業後公務員になってからも「鞆音」という文字から99% 、「男性」と思われたみたいで、その話はいつも「笑い話」のタネでした😆

 ともかくその「鞆音」ちゃんが傘寿〜満80歳〜ともなると、残念ながら、両親をはじめ8人きょうだいの中で、健在なのは、三男(兄)と三女(私)のみ。次男(生後10日で死去)次女(5歳で死去)の存在は、私や三男(健在の兄)このたび無事に傘寿を迎えた妹にとっては、歴史上の出来事みたいなものです。80年前の10月8日、きょうだいの末の子の誕生を祝えたのは、私にとって長兄、次兄、長姉、弟でした。両親は8人の命をこの世に送り出し、成人になる前にふたりを亡くしたのです。残った6人は、無事に20歳を迎えましたが、三男(私にとっては弟)は、都立高校教員だった1967年7月30日24歳の時、北アルプス槍ヶ岳で病死というアクシデントに見舞われ、両親は深い嘆きの底に沈みました。さらに健在の次兄も若くして最初の妻と2番目の子を亡くす不幸に見舞われるなど、我がきょうだいの末の子が傘寿を迎えるまでの年月は、ほんとうに様々な出来事がありました。「人に歴史あり」と言いますが、一人一人の数十年の人生には、誰にも様々な歴史があるわけです。その歴史は、何一つとして同じものはなく、ホモサピエンスがこの地球上に現れてから何億年という気の遠くなる時の流れの中で、たったひとつ、たった一人の、何ものにも代ええ難い歴史なのだと思うと、自分自身を抱きしめたくなります。毎日毎日、日毎にボケ婆ちゃんらしさ(?!)が進む私ですが、そんな自分でも二度とこの世に現れない「生き物」なのだと思うと、大事にしないといけないなあなどと思う私です(😀)

🌻 ただいま、10月28日午前3時40分過ぎました。ひとまずここで投稿します 🌻