2024年8月26日月曜日

気まぐれブログNO14〜2024年8月26日(月)朝令暮改で恐縮ですが😅

 〜遅めの夏休み?!〜を1日だけかな?返上します。〜

 いつも、ブログへの返信などで、一人暮らしの私を励まし慰め後押ししてくれている「せっちゃん」大学時代の親友。卒業後人生の最盛期?にはお互いの生活に没頭してしばらくは交信が途絶えていましたが、私のブログ開始をきっかけに交信再開。

 ブログの数少ない読者の中でも、まず最初に感想や意見を送ってくれるせっちゃん。今回も昨日8月25日のブログ公開直後に、感想を寄せてくれたので、またしても朝令暮改」今日だけは、夏休み返上「せっちゃん便り」を公開します。でも、申し訳ありませんが「ブログの夏休み」は続けますので、ご容赦ください。すみません😢

せっちゃん便り

私も、夏秋休みにしまーす!すこーし、大気が変わってきました。待ちに待った秋も、遠くないのかも。

 総裁選挙の様子を見ると、どいつもこいつも、「憲法改正、軍事力強化」で、私は、最近「ハッキリ」と、「今、日本は、新たな戦前」と、理解しています。

 つまり、民衆の力の未熟、資本主義が、まだ、ぐだぐだと、生き延びている。戦後の教育の至らなかった点を、教育者、研究者は、点検すべき時。

 私は、微力ながら、平和教育に力を尽くした。仕方ない。後に続く人達に、頑張ってもらいたい。

 きっと、未来は開けると信じます。

だから、今は、ゆっくり休みましょう!

🌻このマークはブログ作者ナオちゃんの印です)せっちゃんありがとう!「現在は、新たな戦前」という認識は、間違っていないと思う。ほんとうに「戦争を知らない子どもたち」が大人になって、結局、「戦争をしたい大人」なってしまったとは!

「歴史は繰り返えす」(広辞苑第7版3120ページに載っています)というけれど、今現在のホモサピエンス状況をみると、ほんとうに諦めが先にくるわ。「歴史に学ぶ」ことをしないのかなあ。でも、せっちゃんは未来は開けると信じているのね。えらいなあ!「悲観主義者」の私は、ホモサピエンスに未来はないなあと。私の母は、「未来を信じる人」で父は「悲観主義者」だった。どちらかというと私は父親に似ているらしい。でも、今でも母を尊敬し父に対しては批判的。「似た者同士」は批判し合うと言うよね?

 話は変わりますが今テレビをつけたら「自民党総裁選挙」がどうたらこうたらやってます。あ〜あまたしても悲観主義のナオちゃんはため息〜。素晴らしい青空なのに泣けてくる。

🌻😢 今日2回目のお目見えとは、早すぎますが、あまりにも腹の立つニュースなので、また出てきました。

 今午前6時半過ぎです、NHK テレビのニュースを見ていたら、もう、ひっくり返るほどのすごい!ひどい!ニュースが飛び込んできた!!!アフガニスタンのタリバン政権が女性の人権を徹底的に押し潰す新法を決定したとのこと。詳しくはいずれ書くことができると思うが、とにかく女性は単なる子どもを産むだけの存在としか捉えていない。国連が早速抗議声明かな、を出したらしいが、もう、私の頭はごちゃごちゃだ。ここまで女性を蹂躙してやまない民族?党派?がいるのか、信じられない!タリバンとはなんぞや???なぜ、どんな理由で、女性をここまで蹂躙するのか。タリバンの男たちだって、その女性から生まれたのだろうに。産みの母の人権を否定しつくすタリバンとはなんなのだ!生まれたばかりの子どもを殺傷してやまないイスラエルネタニヤフ政権、女性に、子どもを産む以外の人権の全てを認めないタリバン、同じ地球上に同じホモサピエンスとして、こんな輩が存在するとは、恐ろしいとも、疎ましいともなんとも言えない。こんな政権が存在するホモサピエンスに未来はない!

ああ、ナオコばーちゃんは、もう何が何だかわからない。早く千の風になりたい!

🌻 私事ですが、このブログもほとんど私的なことで、公開するのもどうかとも思いますが、友人知人家族に現状報告の意味もあるので、書いておきます。最近乳がんに罹患していることがわかった姪が今日入院、明後日手術ということになっています。そんな状況なので、再度の朝令暮改で恥ずかしい限りですが、ブログはまたしばらく休みます。皆様もお大事になさってくださいね。


2024年8月25日日曜日

気まぐれブログNO13〜2024年8月25日(日)〜遅めの夏休み?!〜

 😔 このあと「遅めの夏休みをいただきます」なんてね。8月はほとんど休みみたいなものでしたが、だんだん夏バテが積もってきたので、しばらく夏休みに入ります。なにごとも毎日続けるのは大変だなあというのが実感。84歳9ヶ月という年齢は、思っていた以上に大変だなあという感じ。母が84歳と2ヶ月で旅立ったのでその年齢のさまざまな現象は見ていましたが、自分がそれを上回ってみると、思いがけない現象に出会います。友人の中には90歳の男性が二人いて、お一人は単身生活、お一人は同年齢のお連れ合いを介護しながらのふたり暮らし、そのお二人には、ただただ頭が下がります。それに比べて、90歳にはまだ間がある自分自身は、情けないなあと思いますが、こればかりは個人差があるので仕方がないですね。

 それにしても、84歳という年齢の現実は結構厳しい。私の場合は、一番弱いのが「歯」です。目は若い頃から「近視。乱視。」現在は老眼も入っていますが、まだ「白内障、緑内障」は発症していません。聴力は健在。

 今、いちばんびっくりしているのは、衰え。テレビでは、もういい加減にしてよと怒りたくなるほど、女性の「シミ、シワ、白髪」に対する化粧品?薬?の宣伝をしていますが、「若見え」にお金をかける人たちは「脳みそのシワ」もなくしているのかなと思っちゃう。外見にこだわりシミシワのない顔をよしとする人たちは、どんな薬や化粧品でも隠せないシミやシワがあることを知らないのかな、人間を外見で判断することの危険を知らないのかななんて思っちゃいますね。顔のシワは隠せても、全身のシワは隠せないですね。

 最近の私は、自分でも驚くほど、全身シワまみれです。「へえこんなところもシワシワになるんだね」と入浴のたびに自分の裸身を眺めて驚いています。だからテレビでこの化粧品でシワのない顔になったと宣伝している人を見ると、身体中のシワがないのかななんて意地悪な目で見たり、人間の価値は見た目じゃなくて内容だよとか戦争で幼児が殺されている中で、シミシワなんてどうでもいいじゃないなんてブツブツ言ったり、まあ、歳をとるということは、肉体的にも、精神的にも、思いがけない現実にぶつかって、驚くことが多い。しかし、歳をとることを悲観的には考えない。よくぞこの年まで生きてきたなあと思う。

 1945年3月東京大空襲後に東京高田馬場から母に連れられて信州に疎開した時、母は5歳の私の手を引き2歳の弟を背負い、お腹の中には同年10月に生まれる妹がいるという状態で満員列車に乗っていた。上野から信州に着くまで満員列車の中で私の手をしっかり握り「子どもがいるんです!子どもが押しつぶされる!」と叫び通したとのことです。その話を繰り返し聞いて育った私。母は強しという思いと、よくぞ私を守ってくれたという感謝の気持ちとを生涯持ち続けました。そして、その母の最期を私は看取ることができました。

 話が支離滅裂になるのが私の悪い癖です。すみません。涼しくなったら、またお目にかかりたいと思っています。みなさま、夏バテにご用心くださいませ。

2024年8月21日水曜日

気まぐれブログNO.12~2024年8月21日(水)〜ボケ婆さん進行中(😛😢😡) 

😛😢😡 笑ったり泣いたり怒ったり、84歳独居ばあちゃんの日常は、暇なくせに忙しい(???)忙しさゆえか、ブログは4日もお休み。なにが忙しいのか?!

 まあ、そんな愚痴話をしても仕方がないですね。ともかく朝な夕なに現在の世界中の大統領だの首相だの王族だの皇族だの宗教指導者だの、人民の頭上に君臨している者達への怒りで頭はいっぱい、それをいっときでも忘れさせてくれるのは、物言わぬ草木、目に見える限りの宇宙。2024年8月21日(水)4時すぎの空の美しいこと!東の空はほのかに朝焼けの気配、南東に高く木星が、南西には、16日過ぎの月が輝いて・・・   周りの家々はまだ目覚めてはいない様子で、今現在それを眺めている人の気配はなく、この麗しい明け方の空を独り占め。私の未熟なカメラ技術では表現できず、こちらも未熟ではありますが忘れないために文章で。などとぐちぐち言っているまに、早くも5時をまわってしまいました。

 自然の美を思うとき、いつも頭に浮かぶのは、「枕草子」。手元にあって毎日のように読んでいるけれど、1000年も前の人の感性にただ頭がさがるばかり!

 <春はあけぼの。やうやうしろくなり行く山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。

 夏はよる。月の頃はさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。(以下略)

<「枕草子」池田亀鑑校訂 岩波文庫 黄16−1  2015年10月5日第72刷発行>より

 😡 現在8月21日午後4時52分です。テレビ(NHK )のワールドニュースで、イスラエルのネタニヤフ首相の発言を伝えていたのを、聞きかじって「何を言っているんだ!」と怒り心頭。それは、「ハマスを殲滅するまで」と聞こえた。人質をとられたことに怒るのはわからなくはないが、ハマスを殲滅とはどういうことか。人質を取ったハマスを殲滅ということは、学校や病院を破壊して病人や産まれたばかりの赤ちゃんを含む子ども達を皆殺しにすることなのか。かつてヒトラーに殲滅させられそうになったユダヤ民族の悲劇を2度と繰り替えしてはならないはずだ。自分たちがそんな目にあったユダヤ人は、他民族に対して「殲滅」などと言えないはずではないのか。それなのに、赤ちゃんや幼児を殲滅するような暴挙をなぜ続けるのか。ヒトラーによるユダヤ人への非人道的な暴挙を許すことはできないが、その犠牲を経験したイスラエルが、なぜヒトラーと同じようなことをパレスチナの赤ちゃんや幼児にするのか。かつて自分達が経験した非人道的な行いを他国の罪のない赤ちゃんや子どもたちにするなど信じられない。許されることではない。赤ちゃんや幼児を殺すどんな正義があるのか。ヒトラーを断じて許せないのと同様にネタニヤフ政権のすることも許せない。イスラエルに武器供与をしている現在のアメリカは、民主党政権だ。アメリカはイスラエルのガザでの赤ちゃんや幼児皆殺しをどう思っているのか。生まれたばかりの子どもが、連日殺される姿はとても人間の仕業とは思えない。

2024年8月16日金曜日

気まぐれブログNO,11〜2024年8月16日(金)〜せっちゃんだより〜

💐 せっちゃんより 💐 8月16日(金)💐

💐 同じ大陸で、二カ所で殺し合いをしているのに、パリで平和の祭典が、ノウノウと行われた。祭典では、実際のスポーツの実力以外の、顔やスタイルの美醜が、日本?では、ネットに、飛び交った。その中で、二人の芸能人が、ツィッター Xなどで、すったもんだと、炎上している。歳費で足りない?議員が、400万円位を、国民の血税から騙し取り、自民党に、辞めさせられた。 上智大学卒の、お嬢様みたい。上智は、何、学ばせたんだ。でも、もっと、もっともっと、騙し取った親玉は、今も、議員でしょ!

 この暑さで、私も半分、死んでいます。さぁ、秋に向けて、体制を整えなくては。できるかな?

 ナオコさまも、どうかお元気で、秋をお迎えください!

🌻 大学時代からの親友 せっちゃん。そのうち会おうねと言いながら双方にいろいろあって、何十年も会わずにいます。ほとんど毎回ブログへの感想メールが届いて、何十年ものブランクはあっという間に消えていきます。ありがたいことです😍

🌻 話変わって、毎日新聞8月8日(木)朝刊4面 に載った記事 <9条に自衛隊明記 意欲> 首相「月末までに論点整理」   [園部仁史、遠藤修平]について、9日のブログで岸田首相批判をした。ところが、

なんと、14日に岸田首相退陣表明だって!!!月末までに「憲法9条に自衛隊明記の論点整理」なんて言ったのが8月8日、その6日後に退陣表明とは、まったく何寝ぼけてるんだって言いたいね。退陣を考えているなら憲法の最も重要な条文いじるなんて無責任なこと言うなよ!本当に国民をなめてる!こんないい加減な人物が首相だなんて日本国民の恥だね。いつになったら世界に誇れるような首相があらわれるのかなあ


2024年8月15日木曜日

気まぐれブログNO.10〜2024年8月15日(木)〜2021年8月14日のブログ再掲

🌻 3年前は「一寸先は闇」というブログ名でした。それから「再開ブログ」となり現在は「気まぐれブログ」NO10.まったくなんとも言い訳のしようもない、困ったばあちゃんです。ということで、今日は <一寸先は闇>NO.228(2021年8月14日)の再掲です。

「8月15日を前に」

 🌻 76年といえば、歴史の彼方、でもつい昨日のことのようにも思える。76年という気の遠くなるような時の流れを一瞬で飛び越えて、私は、1945年8月15日にいる。父の故郷、信州の山村。両親ときょうだい5人、5月の山手空襲で焼け出された東京からの引き揚げ者。5才の私の記憶はほとんどおぼろになっているが、貧乏暮らしの中で、なぜかラジオはあった。

 いわゆる玉音放送については全く覚えていないが、その放送の後だったろう、長兄が両手を上げて大喜びで裸足で庭に飛び出したのをはっきり覚えている。のちに聞いたところでは、兄は45年9月には、学徒動員で入隊させられるところだったという。その半月前に戦争が終わったのだ。命拾いをした兄は、86才の長寿を全うした。

 終戦後の暮らしは、以前にも増して大変だった。わずかな蓄えも底をつき、一族の庄屋としてかなりの地主だったが、不在地主としてほとんどの田畑を失った。そんな中で、私は、「あの戦争さえなかったら」という両親の嘆きを聞いて育った。

 以前このブログにも書いたが、(2021年2月19日、NO.3)私が一番戦争への恨みを覚えたのは大事なお雛様が灰になってしまったことだったが、両親にとっては、蓄えがあっという間になくなったことを始め、日常の生活用品、家業の古本屋のたくさんの蔵書などなど、全てを無くした嘆きは計り知れないものがあった。母にとっては、初めての夫の故郷での暮らしも、戸惑うことばかりだったようだ。

 この頃のことでうろ覚えではあるが、ひじょうにショッキングな出来事があった。終戦直後か、半年くらい経った頃だったか、軍人として戦地にいた従兄の一人が、生きて故郷に帰ってきたこと。彼の父親は「軍人たるものよくもおめおめと生きて帰ってきたな」と言って、彼に自害を勧めた。かれは、夜中、実家の庭で切腹して果てた。せっかく生きて帰れたのにどうして親が死を勧めたのかわからなかった。今は、戦前の日本のあり方を思い、その犠牲になったのだと言える。長兄が、「玉音放送」を聞いて、狂喜乱舞したのも、両親の「あの戦争さえなかったら」という嘆きも今はよくわかる。

 現在の私が、戦争は絶対にあってはならないと思うのも、天皇制という制度は、1日も早く無くしたいと思うのも、5才で迎えた終戦以後の親の生き方、教育方針によるものが大きいと思う。両親、長兄、姉、弟、みなあの世に逝き、次兄、私、45年10月生まれの妹と3人になったが、次兄も妹も思いは同じ。

 8月15日前後は、メディアもあの戦争に関するさまざまな特集をしている。今現在、地球上に生きている人すべて、国籍や人種を問わず、第二次世界大戦と無縁の人はいない。それなのに、地球上から戦争はなくなっていない。それどころか、人類は地球そのものを何回も破壊できるほどの核兵器を持ってしまった。そして日本は、2度も原爆を落とされながら、核廃絶の先頭に立とうとしない。この先どんな世の中になるのか。考えるだけで恐ろしい。

 今日8月14日のNHKテレビは、朝からずっと大雨特別警報を伝え続けている。いくら核兵器を持ったところで、自然の脅威の前には無力だ。人類はあまりにも奢り高ぶりすぎている。地球は人類だけのものではない。人類よりずっと早くからこの地球上に生きてきた、たくさんの動植物たちを絶滅させる権利は、人類にはない。

🌻 以上は3年前、2021年8月14日のブログです。結びのところで今日8月14日のNHKテレビは、朝からずっと大雨特別警報を伝え続けている。と書いていますが、3年後の2024年の今日8月15日のテレビも台風による大雨警報を伝えていますね。いま現在我が家の上空は晴れていますがこれからどうなることやら。

 また、3年前、戦争や天皇制についても書いていますが、戦争も天皇制も「健在!?」ですね。核戦争の危機はますます大きくなっているのではないかしら。「杞憂」であれば、それに越したことはないけれど

2024年8月12日月曜日

気まぐれブログNO.9〜2024年8月12日(月)〜日航機123便墜落39年〜

1985年8月12日の日航機墜落事故 

上に載せた写真の2冊の本は、ともに我が家の書棚にあります。

著者は2冊とも「青山透子」さんです。

「日航123便 墜落の新事実」は 

2017年7月30日初版発行 発行所 株式会社河出書房新社

「日航123便 墜落の波紋」 左側の本の2年後

2019年7月30日初版発行 発行所 株式会社河出書房新社

 


2024年8月9日金曜日

気まぐれブログNO.8(2024年8月9日金)言葉もない岸田首相の暴言!

 🌻 昨日毎日新聞8月8日(木)朝刊4面 に載った記事について 

<9条に自衛隊明記 意欲> 

首相「月末までに論点整理」   

[園部仁史、遠藤修平]

毎日新聞2024年8月8日(木)朝刊14版4面左側

 すごいことをいとも簡単に言ってのけるものだ。呆れかえってものも言えないが、84歳の体の現在の状態では、あの60年安保のときのように、徹夜で国会前に座り込み「岸田を倒せ!岸田は辞めろ!」と徹夜のデモということはできない。それにしても日本国憲法の真髄、第9条に自衛隊を明記とは!なにを血迷っているのか!

 1946年4月に小学生になった私にとって、現在の日本国憲法は「平和憲法」として心身に刻みこまれ、84歳の現在まで、日本は平和憲法(第9条)があるから、戦争をしない国として、国民は安心して生きていくのだと納得してきた。

 平均寿命まで生きたとしてもあと数年もないのだから、心配することはないなどと捨て鉢になったりもするが、しかし、そう言ってはいられない。世界に類を見ない「戦争を捨てた」憲法を掲げて、敗戦の中から立ち上がり、ここまで生きてきた、その戦後の第一期小学生としては、絶対に許すことのできない暴挙だ!岸田首相は今すぐ辞職せよ!まったくこんな首相のもとで我が生涯を終わるなどとんでもないことだ。戦争をしない国の元で我が命の終焉を迎えたい!

もう、このブログに何度も載せたけれどまた載せます。

 田中正造

 真の文明は

 山を荒らさず、

 川を荒らさず、

 村を破らず

 人を殺さざるべし




<追記> きょう2024年8月9日の長崎「平和祈念式典」イスラエルを招待しなかった長崎県は本当に偉い。そのために米英やEUは不参加だったとのこと。

どんな理由であっても、病院や子ども達の通う学校を標的にして爆撃するイスラエルを許すことはできない。

2024年8月4日日曜日

気まぐれブログNO.7(2024年8月4日)〜古いビデオテープと蔵書の中から3冊〜








書棚に並んでいる古いビデオテープの数々。映画大好き人間はタイトルを眺めるだけで幸せ。
              ⭐️
 8月で忘れてならないのは、79年前の6日9日15日。そして6年前、2018年8月8日の翁長沖縄県知事が亡くなった日。
 1945年10月8日に私のきょうだいの末の女の子が誕生しました。私はその翌年、1946年に小学校(当時はまだ国民学校)に入学しましたが、翌年教育制度改革で、国民学校は小学校に改名。私たちの世代は敗戦後の第1期小学生というわけです。学校で「天皇陛下万歳」と言わずに育った第1期生。現在84歳、秋には85歳になり、妹は79歳、来年は6人兄妹の末の子が80歳になるわけ。その昔、「戦争を知らない子どもたち」という歌がヒットしましたが、戦争を知らない最初の子だった妹が、もしかしたら人生最後になって戦争を知ることになるのではないかと恐れます。  まさか、とは思いますが、「天皇陛下万歳」と言わずに生きてきた私は、「反天皇制論」に共感するのです。






2024年8月2日金曜日

気まぐれブログ NO.6(2024年8月2日金)〜ブログ開始2021年2月17日から前回までのの投稿累計は1167回〜

😵 自分で😵(びっくりマークだそうです)してちゃ、身も蓋もないけれど、1167回とは、よくもまあ「暇つぶし」に励んできたなあ。それもこれも、くだらない独り言〜一人暮らしの老婆の繰り言〜』に辛抱強くお付き合いくださった読者の皆様あればこそです。ありがとうございます!

 少し前までは、教育にあるいは教室にコンピューターを持ち込むなんて邪道だなどと息巻いていたのに、84歳を過ぎた今(今年11月26日まで何もなければ満85才になる予定)すっかり変わってしまって、ブログや暇つぶしのパソコン麻雀にうつつを抜かすことになるとは、「千の風」になって私を見守ってくれている彼も😵でしょうね。でも、そのおかげで、世間に対する😡の表現もでき、一人暮らしの寂しさなんか全く感じることなく過ごしているわけです。 

 ところで機械音痴の私が、なんとかパソコンというものを使えるようになったのは、ひとえに「てっちゃん」という男性のおかげです。全く文字通り「パソコンなどの機械文明には、手も足も出ない婆ちゃん」に手取り足取り、亡夫なら「そんなこともわかんないの?!」と言いそうなことでも、懇切丁寧に教えてくださる彼には、本当に頭が下がります。そんな素晴らしい彼とは誰でしょう。それはね、娘の連れ合いなんですよ。彼のおかげで、ブログだけでなく、私の最高の楽しみ「パソコン麻雀」も覚えたのです。84才を過ぎた独居老婆の楽しみ(ブログとパソコン麻雀)を教えてくれた彼にはほんとうに感謝感謝です。亡夫も「彼女(娘のこと)は、いい男をつかまえたなあ」と言葉は悪いのですが、めったに人を褒めない亡夫が最高の賛辞を送っていた「てっちゃん」です。ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね!

2024年8月1日木曜日

気まぐれブログNO.5(2024年8月1日(木)〜またしても3日欠席〜

 😓 まったく、どうしようもないなあ!やっぱり認知症の前兆かもね!いくら「気まぐれブログ」でも3日続けてお休みはよくないね。「そういえば、4年前の大怪我のこと書いておこう」と思ってパソコンの前に座って気がついた。大怪我は7月29日深夜なんだからそれを書くなら7月30日なのに今日はもう、8月1日だよ。全く、暇人のくせに何やってるんだよ!本当にボケ婆ちゃんになっちゃったんだね!ああ〜どうしよう! そんな嘆き節より、早く本題に入りなさいよ!そう、そうだよね、というわけで、以下は、「大怪我記念日」について。2022年7月30日のブログ再掲。

               😊

『一寸先は闇』 NO.619〜2022年7月30日(土)〜2年前の今頃は!〜

🌻 2年前、すなわち 2020年7月30日朝、私は救急病院のベッドで寝返りもできず、痛い痛いと喚いておりました。そして、とにかくこの痛みだけはなんとかしてほしい、と、願いはただそれだけでした。2年後パソコンに向かって、世の中の理不尽や政治の悪に対して、けしからん、いい加減にしろなどと怒っている姿など、まったく夢にも思えませんでした。

 さて、「腰椎破裂骨折、捻挫」という病名がつき、40日間の入院生活を終えて、9月10日に妹の付き添いで退院。入院直後、妹は主治医から「よくて車椅子生活、悪くすると寝たきりになる」と脅かされていたとのことで、杖も突かずに歩いてタクシーに乗って帰った私に、私以上に喜びました。さらに、今後の暮らしについて「介護保険」の適用をと検査を受けたところ『要介護はもちろん、要支援にも該当せず」とのことで、喜ぶべきか残念に思うべきか複雑な気持ちでした。

 以後の私の生活は2年前とは大違い。入院のちょっと前に、前屈で両手のひらが床に着くと威張っていたのに、お辞儀は禁止と言われ、胸から背中に回る大げさな器具をつけ、階段の上り下りはダメと言われてがっくり。妹や娘の意見で、2階の寝室をやめて、1階のリビングにベッドを置き、寝室に。リビングは、亡夫が10年近い闘病生活で、ここにベッドを置いて病室としていた部屋。夫亡き後、元のリビングに戻したのですが、今度は私の寝室になりました。亡夫のベッドも別室にしまっておいたのを持ち出し、全く亡夫の闘病生活時代の部屋に戻りました。懐かしいような悲しいような。

 そして、それから2年、もう寝室を2階に戻すのは無理と退院以来ずっとリビング兼寝室はそのまま。ということで、来客時もベッドサイドの椅子に座っていただいています。食事は、隣のダイニングルームで。ですから、お食事を共にという来客(親族や親しい友人たちですが)の場合は、ダイニングルームで。

 それにしても、2年後にごくごく普通の生活ができているなんて我ながら驚き。亡夫や今は亡き父母、きょうだいたちや多くの人々が、見守ってくれているんだなと、みなさんに感謝です。もちろんそれ以上に、この世にあって、生活の多くを助けてくれている妹を始め、親族や友人たちに感謝感謝です。さらに、内科や外科のクリニックが近所にあってその先生方にも本当によくしていただいています。ありがたいことです。その他、生活のあらゆる面で何かと言うと電話一つで駆けつけ、あるいは相談に乗って下さる人々の存在が本当に心強く、ありがたいのです。若いときには実感できなかった人と人とのつながりの尊さ、ありがたさ、大切さが、80を超えた今になって心底、思われます。

 それにひきかえ、人々の幸せを思って働くべき「政治家」と称する人々の、あまりのひどさに怒りが収まりません。昨日もブログに、彼らと対極にある中村医師の記事を載せましたが、今日の朝刊を開いてまたまた酷い記事を見つけました。きょうの2回目投稿にその件を。1回目はこの辺で。

時刻: 7月 30, 2022 

🌻 以上が、2年前のブログ再掲です。現在2024年8月1日午前6時半を回ったところです。2年前のブログに「大怪我から2年」とあるように、現在2024年8月1日は、「大怪我から4年」になるわけです。本当に医師が「奇跡的回復」と言ったように、4年前のことを思うと自分でも、いまこうして何不自由なく動けるのがふしぎです。でも、自分では背中や腰に負担をかけないように注意しているつもりですが。まったく「一寸先は闇」の人生、残り僅かな日々を心して生きていこうと思っています。「心して」というのは、権力にあらがう気持ちを捨てるということではありません。「反権力」という若い頃からの志は、この世にある終わりの日までなんとか「保ち続けて」いきたいなあ。😅