2023年10月8日日曜日

NO.983〜2023年10月8日(日)〜6人きょうだいの末っ子、妹の誕生日「78歳」〜

 🌻 あかちゃん 🌻

 うちのあかちゃんは、お人ぎょうがすきですきで、どんなおにんぎょうでもよろこんでいました。わたくしがおりがみでお人ぎょうおつくってやったら、よろこんで、うちじゅうとびまわってあそびました。わたくしは、あかちゃんとゆうものは、とてもおもしろいものだと思いました。

 ゆうがたわたくしがあかちゃんをおぶっておねえさんをむかえにいくと、あかちゃんは大きな声でゆうやけをみながら「ゆうやけこやけでひがくれて」とうたっていたのでわたくしは、はずかしくてたまりませんでした。すこしそらがうすぐらくなってきても、まだきしゃがこないので、わたくしがかえろうとして「ともねちゃんもうかえろう。」といってかおをみるとともねはぐうぐうねむっていました。(原文のまま)

 (以下は、表記を読みやすくしたものです)

 うちの赤ちゃんは、お人形が好きで好きで、どんなお人形でも喜んでいました。私が折り紙でお人形を作ってやったら、喜んで、家中、跳び回って遊びました。私は赤ちゃんというものは、とても面白いものだと思いました。

 夕方、私があかちゃんをおぶって、お姉さんを迎えに行くと、赤ちゃんは大きな声で夕焼けを見ながら、「夕焼け小焼けで日が暮れて」と歌っていたので、私は、恥かしくてたまりませんでした。少し空が薄暗くなってきても、まだ汽車が来ないので、私が帰ろうとして「ともねちゃん、もう帰ろう。」と言って、顔を見ると、鞆音は、ぐうぐう眠っていました。



(解説!?) プロテアリリコばーちゃん(83歳〜あとひと月半ほどで84歳になる)が、2年生(1947年)の秋に書いた作文。当時は、綴り方と言っていましたね。紙質も悪くほとんど崩れそうな「綴り方帳」がよく取ってあったなあと、我ながら感心。表紙の字は父が筆で書いたもの。作文の中の「おねえさん」は、私たち6人きょうだいの長女(2016年没)で、作文が書かれた当時は、隣村の小学校の教師で、汽車で通勤したいた。彼女が帰る頃なので私が2歳の妹(鞆音)をおんぶして駅に迎えに行ったのです。

この赤ちゃんも、きょう、2023年10月8日、無事に78歳の誕生日を迎えました。私たちの両親は、もちろん今は亡く、6人きょうだいも、今では、次兄と妹と私の3人になってしまいました。次兄と妹はそれぞれ連れ合いがいますが、私は2004年に連れ合いを亡くしました。今日引用した「綴り方」を書いた頃、83歳の独居老人になっている自分の姿など、夢にも想像しなかったでしょうね。人生過ぎてしまえば、あっという間です。