2023年10月11日水曜日

NO.985〜2023年10月11日(水)〜1951年3月発行の文集から②〜

 🌻 はるか昔のことですが、形あるものが残っていると、記憶がよみがえりますね。

昨日書いた「5年生の時の文集」ほんとにいいものが残っていたなあと思います。私が20代から40代までの小学校教員として形にした文集や学級便りなど、現在50代以上になったあの頃の子どもたちの何人が手元に残してあるかしらなどと、時々思います。でも、それを手にとって昔を懐かしむのは、まだ先のことでしょうね。70代80代になって、人生の終着駅が近づいた時、初めて時間をかけて昔を懐かしむのでしょうね。私自身がそうでした。人生の終わり近い今になって、はじめて小学校時代をあれこれ思い出して、懐かしむのですから。

 さて、5年生の時の文集を見て不思議なのは、47人の級友の中で、私ひとりだけが「生活綴り方」からはずれた「少女小説」の影響のような文章を書いていたのです。当時、「少女の友」だったか「女学生の友」だったか、そんな雑誌を読んでいたので、その影響かも。とにかく文集の目次を見ると、私一人だけ変わっていたのがわかります。では、目次を書き出してみます。まさに「生活綴り方」です。

かるたとり、山、野球、みなかみの道、田植え、麦刈り、小諸のサルとクジャク、アカゲラの子、水遊び、草取り、馬市、草刈り、おこあげ、稲刈りの休み、麦こき、節分、スキー、ししまい、おつかい、おみせ、あそび、お正月、かがり、おてつだい、くわきり、しごと、おぼん、かいこえん、大川の湯、いなごとり、みそか、おひなさま、おもちつき、汽車の中、どんどんやき、

 太平洋戦争が敗戦で終わって5年後、復員した先生が、兵隊服を着ていた頃の信州の山村の子どもたちの暮らしが、浮かんでくるような作文。その中で一人だけ「5年生の思い出」という題の作文が載っている、それが私でした。その文章がまた、生活に根ざしたのではなく、形容詞の多い文章で「生活綴り方」とは、かけ離れたものです。それが当時の私。恥ずかしいけれど、全文載せておきますね(😅)

🌻 「5年生の思い出」 🌻   新津尚子

 思えば 長いようで短かったこの1年間を 私はゆめのようにすごしてしまいました。

 まだ1学期の頃、芽ので始めた河原を春風に吹かれながら歩いたこと、小諸へ遠足に行ったこと、真夏の暑い相木川で友だちと水遊びをしたことなど、いろいろの楽しかったことが、今でもはっきり頭に浮かんできます。また、盆踊りの太鼓の音や歌声、秋のいねこきや、さびしそうな風の音などがとてもなつかしく、遠くかすかに聞こえるように思われます。「早く来いお正月」などと歌って、まちこがれていた「お正月」も、急行列車のように早く過ぎ去ってしまいました。

 今では、3月3日のおひなさまも過ぎ、一心に習った楽しい学芸会も何もかも、ちょうちょのように、また空をスイスイ飛び回るトンボのように飛んで行ってしまって、私は何だかさびしいように思います。

 けれども、心のかたすみでは、春を待つ楽しい気持ちもわき上がっています。そして、新しい学年をむかえ、元気いっぱい春の風をすい込み、新しい勉強の一歩を踏み出そうと思っています。花の咲く、きれいな庭に近づいてくる春、また、新しい学年をむかえる楽しい気持ちで、私の小さな胸は、春風に吹かれたお池の波のように、小さくおどります。

(3月6日)