2023年10月10日火曜日

NO.984〜2023年10月10日(火)〜1951年3月発行の文集から①〜

 🌻 2年生の時の作文に続いて今度は、5年生の時の作文です。生活綴り方全盛時代(代表格は、無着成恭先生の「やまびこ学校」。1951年3月5日第一刷発行〜発行所「青銅社」が手元にあります)、私が5年生の時の文集から、本当は昨日(10月9日)書くはずだったブログですが、やっぱりあっという間に時が過ぎて、1日ブランク、投稿は、今日10日になってしまいました。最近のボケは本当に困りものです。


この文集は、5年生の時の担任の先生「菊池清人」先生が作ってくださったもの。表紙から5年1組47人全員の作文のガリ切り、印刷製本まで、すべて先生お一人の仕事でした。表紙には「昭和26年3月発行」とあります。1951年3月です。

 菊池先生は太平洋戦争末期、徴兵され、奇跡的に戦死も負傷もせず郷里<私の故郷長野県南佐久郡小海村(現在は小海町〜JRの鉄道で最も標高の高いところにある「野辺山駅」で有名な「小海線」が走っているその小海町の隣村)>に帰ってきて、小海小学校の先生になっていました。菊池先生は戦争での経験を話すことはありませんでしたが、とてもやさしい先生だったのを覚えています。

 その文集の表紙をめくると扉があり(下の写真)、そこには、「共に学び、共に語り、共に歌い、共に働き、共に遊び、共に進まん ための本」 という言葉が載っています。今読んでも素晴らしい言葉だなあと思います。


次のページには、先生の「はじめに」というタイトルの「はじめの言葉」が載っています。(原文は縦書きです)


はじめに  菊池清人

◯ 去年の4月から皆の書いた作文がたく山たまりました。まがりくねった字を考え考え読んでいると、先生も皆のように小さかった時のなつかしい思い出がわいてきます。皆が大きくなってから、小さい時の楽しかった事を思い出すことが出来るように、皆が書いた作文を「山波」と名をつけた本にしました。

まだのせたいのがたくさんありました。ほんとに惜しかったが都合でこれだけでやめることにしました。

◯ この文集「山波」は、皆の素直な心の鏡にうつったやさしい姿です。皆の歩いて来た小さな足あとです。これを5年後、10年後になって出してよんでごらんなさい。皆の小さかった時の姿をふりかえって自分でしっかり見ることが出来るのです。それはちょうど、深山の岩間から、こんこんとわき出す清らかな、細いけれども、くんでもくんでもつきない、そしてまた、どこかにするどさのある、あの「苔清水」のようなものです。

◯ 作文を上手に作ろうなどと考えてはいけません。もっともっとまじめに、物事を見た通り感じたことを出来るだけ正直に又、こまかに書かなくてはなりません。なお、作った文を幾度も読みかえし、直すことも大切です。そしたらもっとよいものがたくさんできるでしょう。

◯ 美しい、そして親しい山の波が果てしなくつづき、その山ふところにいだかれた小海小学校の明るい校舎の窓辺の桃の木に、ガラス窓にさす陽の光に、なごやかな空の色に、何となく春が訪れて来たような気がします。さあ、皆んな仲よく元気よく、手を取りあって、新しい学年へ力一ぱいふみこみましょう。(1951年3月15日)

🌻 ステキな「はじめのことば」です。先生とは、半世紀も前に交流が途絶えてしまいましたが、多分もう千の風になっていらっしゃるでしょう。5年生の時たった1年だけの担任でしたが、この文集を手に取るたびに、上記の先生の「はじめに」を読むたびに、先生の「丸坊主の姿」が、目に浮かびます。そして、作文教育に情熱を傾けて下さったことを、70年余りのちの今になってもありがたく思います。小学校教師になった私は、この文集を手にとって、ずっと作文教育に力を注ぎ、子どもたちの文集は大切に保管してあります。