2024年7月17日水曜日

気まぐれブログNO.2〜2024年7月17日(水)〜トランプ襲撃とメジャーリーグオールスター戦、そして、桐生悠々〜

 😓😓😓 今日は、きのうのトランプ襲撃とメジャーリーグオールスター戦とがテレビや新聞を賑わしていますが、その二つの事柄をほとんど同時に伝えるテレビというものは何なのかなあ。すべてあっというまに風のごとく過ぎていくのかな。

 気まぐれとはいうものの、あっというまに1週間も休んだとは、われながら、なんとも言い訳しようのないみっともない姿ですね。どうしてこう、時間の経つのが早いのか、不思議です。その上、その時間内に何をしていたのか、外出もせず文字通り「認知症ばーちゃん」でぼんやりしていたのかなあと、「恐怖」を感じますね。「言いたい事、言わねばならぬ事」を言うのだ、書くのだと、尊敬する「桐生悠々」の言葉を真似て始めたブログ、それが今、このテイタラクでは、本家本元の「桐生悠々」氏に申し訳ありませんね。泉下で「困ったものだね」と苦笑いなさっていらっしゃるでしょう。「桐生先生、すみません」

 ところで、世の中には「言いたい事、言わねばならぬ事」が星の数ほどあるのに、なかなかまとまりません。我が才能のなさを嘆くばかりですが、それにしても、なぜこんなにも「ホモサピエンスの劣化」が急速に激しくなってしまったのか。今、一番、怒り悲しみ嘆きの入り混じった感情に襲われるのは「イスラエルによるガザの学校や病院(つまり最も弱い人たち、つまり病人や。子どもたち)を標的にした爆撃です。怒りで気が狂いそうですが、何もできない自分が情けなく、パソコンに向かう気力も失せそう。

 でも、今日という日(2024年7月17日)に私は何を思ったのか、時とともに、忘れそうなので書いています。

 あの太平洋戦争の最中に「関東防空大演習を嗤ふ」(昭和8年=1933年 8月11日 信濃毎日新聞社説)を書いた桐生悠々。手元にある2冊の桐生悠々の伝記 <井出孫六著「抵抗の新聞人 桐生悠々」岩波新書アンコール復刊>とこの伝記の<岩波現代文庫>版(この文庫の解説は、青木理さん〜井出孫六さんも青木理さんも私の郷里「信州佐久の人」〜)を読み返して、このブログを書いています。

 現在、後世に残る、残さねばならない出来事が世界中で起きているけれど、何年も何十年経ってからも、読み継がれる新聞記事やジャーナリストの言説があるだろうか。桐生悠々のようなジャーナリストはいるかしら。青木理さんは私にとっては高校の後輩に当たるという事もあって、大いに期待しています。彼の著書は現在手元に数冊あります。彼はテレビの報道番組でも活躍していますね。