2021年2月28日日曜日

12. 2021年東京オリンピックに関して〜その2〜

*昨日は、<反東京オリンピック宣言>を紹介したが、今日は、2021東京オリンピックについての〜その2〜として、左写真の本の紹介を。
 2020年6月6日(土)毎日新聞「今週の本棚」で取り上げられた。
村上 陽一郎 評(東大名誉教授・科学史)
『五輪と戦後 上演としての東京オリンピック』
 著者 吉見俊哉(よしみしゅんや)
 2020年4月20日初版印刷 2020年4月30日初版発行
 発行所 河出書房新社 2860円
書評タイトル『スポーツに食い込む政治』
          
書評を読んで、すぐ購入したが、私の読解力では、一読してわかるようなものではなかった。はっきり言ってまだ完全に読み終わってはいない。つまり、ところどころ拾い読み程度。自分が読了していないのにと、お叱りを受けるかもしれないが、今日ご紹介するのは、たくさんの方に読んでいただきたいと思ったから。
 書評全文は長いので前半部分のみご紹介します。(新聞は縦書きですがここでは横書きに。以下文字色青の部分が新聞を書き写したもの)

 最初に極めて個別的な場面を話題にするが、第三章で、人間が書いた遺書のなかでも、かつて飛び抜けて強い印象を私の心に刻み込んだ一節に、本書で再び巡り合った。そう、円谷幸吉のあの文章である。「美味しゅうございました」を幾つも重ねた上で、「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」、そして「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれる。仲間にこのような痛切極まりない言葉を吐かせる人間社会とは、何と残酷なものか。
 オリンピックとはスポーツの祭典である、あるいは、ことになっている、と付け加えるべきか。スポーツとは、と今更振りかぶる必要はないが、本来<dis-port>に淵源し、「離れたところへ運ぶ」が原義である。日常の大事・些事から「離れた」ところへ人を「運んでくれる」のがスポーツ、苦しいもの、辛いものではない。まして、人を死に追いやるような、犠牲を強いるものであるはずはない。しかし、現実は。
 この書は、結局、スポーツの祭典であるオリンピックが、人間社会の制度の中に組み込まれたときに、どのように変質し、どのように人間性まで変える働きをしてきたか、その現実を丹念に掘り起こした労作である。特に人間社会の制度のなかでも、最も「非人間的」であるがゆえに、これほど「人間的」なものはない、と思われる政治が、どのようにオリンピックを頂点とするスポーツの世界に、食い込んできたかが、鮮やかに浮き彫りにされる。(中略)
 (聖火リレーが)実はナチスの理念実現のために始まったことは、本来よく知られている。聖火リレーによって得られた土地の細かい情報が、後に電撃作戦を実行する際に、重要な助けになったのでもある。しかし、現実には政治と経済への慮りもあって、誰も異を唱えない一大事業と化してしまっている。特に日本では、沖縄復帰と絡めて、日の丸との繋がりを意識した政治的な配慮が、随所に現れた結果が、今の形になった点が指摘される。(以下略)

 今年予定されている東京オリンピックを熱心に勧める人々、大きな期待を持っている人々には、昨日とりあげた「反東京オリンピック」や、今日とりあげた「「五輪と戦後」などを参考にして、もういちどお考えになっていただきたいと思う。オリンピックそのものを考え直そう。ましてや、今年開催するなど、キッパリやめよう。
 なお、新聞の切り抜きを書き写しているので、青色文字の部分に誤字脱字と思われる箇所があれば、書き写したブログ筆者の責任です。スミマセン。

2021年2月27日土曜日

11. 反東京オリンピック宣言

 


反東京オリンピック宣言

小笠原博毅・山本敦久 編

2016年8月30日 航思社 初版第1刷発行 

定価2200円+税

* 本の帯の言葉

開催を返上・中止せよ!!!

「アンダーコントロール」などという安倍首相による世界に向けた虚偽発言、裏金不正疑惑、抵抗するアスリートの排除、野宿者排除、人権蹂躙、だるま式に膨れ上がる開催費用/まやかしの経済効果、環境汚染、置き去りにされる福島復興・原発政策...。様々なな問題が山積・噴出しているにもかかわらず、なぜ東京でオリンピックを開かねばならないのか?

政府・東京都・広告業界、これらと一体と化したマスメディアが、そうした問題に目を耳を口を閉ざして歓迎ムードを醸成、反対の声を抑圧するなか、2020東京オリンピック開催に対して、ズポーツ、科学、思想、哲学、社会学などの研究者・活動家16人による根元的な異議申し立て。

* 発売と同時くらいに行きつけの書店で買った。去年開催の予定が1年延期され、今年8月に何が何でもやるということらしいが、本当にどうかしている。私は、オリンピックはもう今後永遠にやめたほうがいいとさえ思っているが、それはともかく、この本に挟んである当時の新聞切り抜きを見ながら、今年8月の開催は絶対止めるべきと思った。その幾つかを紹介する。新聞記事は見出しのみ、本文は省略。

* 2017年7月4日 東京新聞夕刊

「五輪を理由に世の中が変わることについて」

    小笠原博毅・神戸大院教授に聞く

「欺瞞感じても観念する風潮」  「語られぬ負の部位分」

記事の最後は、次のように締めくくられている。「平野啓一郎さん、久米宏さんら、多くはないが東京五輪反対を公言する文化人はいる。ドナルドキーンさんは6月11日の本紙で「『復興五輪』と銘打ちながら、東日本震災や原発事故の被災地の復興とは無関係だ」と批判した。

* 2018年1月20日 東京新聞朝刊 こちら特報部

「東京開催に反対宣言」

「五輪がスポーツをダメにする?」

「創造性置き去り 喜び奪う『勝利至上』」

ラグビー元日本代表 平尾剛さん

* 2018年1月27日 毎日新聞朝刊 

 武田砂鉄の <気になるこの人> 

       ゲスト 小笠原 博毅さん 神戸大教授

 「被災地に強くある『復興五輪』への反発」

「IOCへの招致委贈賄 なぜ問い詰めないのか」

* 2018年8月2日 東京新聞夕刊

五輪の経済効果は幻」鈴木直文・一橋大教授に聞く

 税支出多いだけ/かき消される批判

*本に挟んであった20年開催批判だけでもこれだけある。まして今年21年夏に開催できると思うほうがどうかしている。


2021年2月26日金曜日

10. 琉球新報デジタル版より

琉球新報デジタル版 に素晴らしい記事が載っています。

以下、引用です。

米バークレー市議会が辺野古反対を決議 工事中止求める

 2021年2月26日05:40

 米カリフォルニア州のバークレー市議会は23日、米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設に反対し、工事の即時かつ全面的な中止を求める、沖縄県民と連帯する決議案を可決した。

 同市議会は2015年9月に米地方議会で初めて、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する決議を可決した。17年12月には、東村高江のヘリパッド建設・訓練反対も決議している。

 決議文では、新基地建設が予定されている辺野古・大浦湾は世界屈指の生物多様性の宝庫であり、日米の環境保護団体などは、基地建設が絶滅危惧種ジュゴンの生育に影響を及ぼすと、米国で訴訟を起こした経緯なども紹介している。

 新基地建設予定地の海底に軟弱地層が見つかり、工期や費用が大幅に膨らんでおり、普天間飛行場の閉鎖が遅れると説明。辺野古埋め立ての賛否を問う2019年2月の県民投票では、70%を超える「反対」で民意を示したが、日本政府は米政府の支持を受け、美しい海を埋め立てる工事を続けているなどと指摘した。

 決議文は、米下院軍事委員会のほか、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー下院議員、ダイアン・ファインスタイン上院議員に送付される予定。(引用終わり)

 

2021年2月25日木曜日

9. 魂の値段

シクラメン

毎年暮れにシクラメンの鉢を求めて冬じゅう楽しみ、花が終わった頃、球根を庭の隅に埋めておいた。夏の間、葉が元気よく茂っていたが、やがて、いつとはなく見えなくなることが多かった。今年は、最近まで緑の葉が元気だったなと思っていたら、なんと、今朝、花が一つ咲いていた。よく見ると根元につぼみが二つほど見える。これも花になるのかしらと思いつつ、今朝の一輪を写真に。



*ところで、ブログを始めてから今日で9日。
毎日はしんどいな、いつまで続くかなと思っていたが、「言いたいこと 言わねばならぬこと」は、次から次へと出てきて材料には事欠かない。しかし、日ごとに目が悪くなって、昨夜などメガネの上から大きな天眼鏡を使う始末。朝、目の疲れがそれほどでもない時に始めればいいのに、日記はその日が終わらないと書けないなとも思って、ついつい夕方からパソコンに向かう。
 きょうは、まだお昼過ぎたばかり。これから書くことは、もう新鮮味のないネタだけれど、私のブログには書いてないので、夕方にならないうちに書くことにした。タイトルをご覧になって何のことかと思われましたか?ああ、あのことかと思った方もあるかしら。「魂」とは大げさなとも思われるかも。で、まずの意味を。自信がなかったので辞書を引きました。
 手元にあるのは平凡社刊 白川静著「字通」普及版〜2014年3月19日初版第一刷。その726ページ「魂」が載っていて、「訓義」に①たましい②こころと書いてありました。
 今日のタイトルの「魂」「こころ」の意味で使いました。「こころ」人間性、倫理観、などなど、こころには、いろいろな意味を持たせることができる。そう思って使いました。
 さて、その「魂」の持ち主はどなたかな。そうあの方、たった7万円余りで「魂(こころ)」を売ってしまったあの方です。
 
 その情けない行為が私たちの知るところとなり「深く反省します」と、『反省』という言葉が「あなたには使ってほしくない!」と怒るような軽いノリでおっしゃった、あの方。私がそれを知ってまず思ったのは、むかし(いつのことだか忘れたけれど)「反省だけなら猿でもできる」というテレビコマーシャルがあったこと。ほんと、最近の政治家から「反省」という言葉を軽いノリで言うのを何回聞いたことか。「反省」というが、何を反省しているのか、反省してそのあとどのような行動をするのか、その肝心なことが明らかにされない。「反省」を口にするとき、自分の行為が実は自分の魂を売ったことになる、政治家としての魂、一人の人間としての魂を売り渡したことになるということに気づいているのかどうか。
 
 男社会が批判され、女性蔑視が問題になり、本質の議論をせずに、じゃあ女ならいいんだろみたいな薄っぺらな話になって、なんとか会長だの、なんとか大臣だのに女性を据えれば、事足れりというような、話にも何にもならない後始末の結果がこれだ。7万円余りの彼女の場合は、女性初の首相秘書官として脚光を浴びてきたらしいが、女性初の要職に就いた結果がこれだ。つまりは、女でも男でもダメな人はダメということだ。
 
 経団連副会長に女性を起用。これも初だそうだが、世の中がうるさいから、この際女性を据えておこうみたいなその場限りのことでは、女性差別はなくならないでしょうね。
 
 話がずれてきちゃったが、要するに7万円余りで、大切な魂を売ってしまった彼女の魂のお値段はずいぶんとお安いのですね、ということ。たとえ億万のカネを積まれても、自分の魂は売らないというのが、本当の人間らしさ、人間のあるべき姿じゃないかな。

2021年2月24日水曜日

8. 斎藤幸平著 『人新世の「資本論」』集英社新書

* ヒメオドリコソウ*
よく見れば可愛い花なんですが、とにかく強い!我が家の小さな庭を占領する勢い。近所の公園や、道端、どこにでも生えてくる。。でもまあ、春が来たよと教えてくれるんだと思えば、邪険にしないほうがいいですね。



* 4回目(2月20日)の投稿で、斎藤幸平さんへのインタビュー(東京新聞記事)を取り上げましたが、友人が図書館に借りに行ったら、その図書館では4部購入したのに、4部とも貸し出し中で、しかも最短で200数十人待ちとか。そんなに人気なんですね。私も買って読もうと思っていましたが、妹がすでに買ったということなので、彼女から借りることにしました。

* 各出版社でその社の広報誌というのか、小雑誌を出していますね。岩波の「図書」とか新潮社の「波」とか、私は筑摩書房の「ちくま」を定期購読しています。「ちくま」には、斎藤美奈子の「世の中ラボ」という連載が載っていて、3月号では、<資本主義を終わらせるための、新しいマルクス>と題して、3冊取り上げています。メインが斎藤幸平著『人新世の「資本論」』集英社新書。あとの2冊は白井聡著『武器としての「資本論」』東洋経済新報社と松尾匡著『左翼の逆襲ー社会破壊に屈しないための経済学』講談社現代新書。4ページに渡る力作!
以下はその冒頭部分。
* 斎藤幸平『人新世の「資本論」』が話題になっている。
  帯にも錚々たる面子の華々しい推薦文が踊っている。<斎藤はピケティを超えた。これぞ真の「21世紀の『資本論』」である。>(佐藤優)。<気候、マルクス、人新世。これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。日本は、そんな才能を待っていた!>(松岡正剛)。<気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら(坂本龍一)。<資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ>(水野和夫)。各氏大絶賛!

〜以下略〜 まあ、そうそうたる人々が絶賛しているようだけれど、ともかく読んでみないことには、ですね。

2021年2月23日火曜日

7. 連日東京新聞とは!!!

 写真はスノーフレーク(スズランスイセン)

*ちょっと見にくいと思いますが、可愛い花です。毎年開花の時期は少しずれますが、今年2021年はきょう2月23日開花です。庭のあちこちに数本ずつ芽を出します。今日は強風でなかなか焦点が合わずボケた写真になりました。スミマセン。

* 東京新聞やめるのやめてよかった、というのもはずかしいけれど、この所、東京新聞にいい記事が多くて。

今日は火曜日、やめてやる!の原因を作った木村太郎の「太郎の国際通信」の日。きょうもやっぱりアメリカネタだったが、さすがに「トランプよいしょも」ネタ切れらしく、いつも以上につまらない話だった。国際通信というのに今大問題になっているミャンマー情勢などには全く触れない。意地を張らないで「国際通信」じゃなく「アメリカ通信」または「トランプ情報」とでもしたらいいのに。

* さて、今日のいい記事とは、皮肉にも、つまらない「太郎の国際通信」と同じページの右上にある「視点」編集局次長・瀬口晴義の署名記事

見出しは「陰謀論の末路 破滅招く危険性」

長文で、全文は転載できないので、主な部分を。

* ドナルド・トランプ前米大統領は弾劾裁判では有罪を免れた。しかし、刑事訴追の可能性は残っている。彼や支持者が、まき散らした荒唐無稽な陰謀論を聞いて思い出したのは31年前の衆院選だ。(以後省略する部分は、前記選挙に出馬した<オウム真理教>の話)

* 通勤中の乗客を狙って地下鉄にサリンをまいた狂信的な宗教団体と、民主党のバイデン氏とほぼ互角に戦ったトランプ氏とその支持者たちを比べるのもどうかと考え、この原稿も途中で書くのをやめていた。しかし、「選挙を盗むな」「議会へ行こう」と叫ぶトランプ氏に扇動された多くの支持者が、連邦議会議事堂を占拠し5人が死亡したというニュースに触れ、続きを書いてみようと思い直した。(以後省略する部分は武装化を進めたオウム真理教が自滅に至る経過)

* オウム真理教の暴走と自滅は、陰謀論が教祖と信者の共同幻想を肥大化させ、それに自らが食い破られた悲劇だと私は考えている。事件から学ぶべき教訓がある。陰謀論を自らの有利になるように取り込むことは、自らの破滅を招く危険な行為であるということだ。

 大統領選では「Qアノン」に象徴されるネット発の陰謀論が大きな影響を与えた。根拠も示さずに「票を操作された」という主張を信じた多くの支持者たちはトランプ氏に扇動され、議事堂の占拠という暴挙に出た。民主主義の根幹が揺らいだ米国の傷は深い。

 トランプ氏自身は「選挙が盗まれた」と本当に信じていたのだろうか。陰謀論と自覚しつつ利用したのだろうか。後者であるなら罪は一層重い。


🌹 瀬口編集局次長様

 あなたのきょう2月23日の「視点」を読んで、本当にすっきりしました。トランプよいしょの「太郎の国際通信」にイライラし、東京新聞購読をやめる!と喚いた私ですが、きょうの「視点」を読み、購読をやめないでよかったと思っています。81歳の老婆にもたいへんよく分かる内容です。ありがとうございました。(ブログ筆者)

 

2021年2月22日月曜日

6 またもや東京新聞

 * 購読やめなくて良かったというべきかな、今日もまた東京新聞朝刊の記事を取り上げる。やっぱり「こちら特報部」。記事の見出しは

<「君が代」不起立教員の処分問題>

<国際機関の是正勧告後、初の提訴へ>

<最高裁が「減給」取り消したら・・・都教委「戒告」で再処分

 その昔、日の丸も君が代もない卒業式を実施したっけ、その代わり、区立なんだからと区旗と区歌にしたなあ、などと思い出した。それにしても、昨日書いた校則問題もそうだけれど、まあだ卒業式に国旗・国歌強制なんてやってるのね。

* 60歳定年だった小学校教員を夫の介護のために54歳で退職したけれど、22歳から54歳までの32年の教員生活は実に充実していた。都教委区教委管理職、一部の組合幹部などなど抵抗勢力もあったけれど、仲間に恵まれ子どもたちに助けられて、思いっきり目指す方向での実践ができた。運動会に日の丸や万国旗の飾りをやめて、全校生一人一人が自分の旗を作りそれを校庭の空いっぱいにはためかせたり、クラスでの実践では座席を自由席にしたり、給食や掃除の仕事は、当番制でなく希望制にしたり、宿題なしにしたり、当時の標準からしたらハチャメチャなことをしてきた。一部の保護者からはクレームがついたが、子どもたちからは歓迎され、生き生きのびのびとした子どもたちは、学級新聞を年間500号も発行したこともあった。それでも、処分なんてことはなかったな。ただ、その時は喜んだ子どもたちが、その後どんな大人になって、どんな人生を送っているか、それはわからない。一人一人の人生は違うのだから、小学校時代どんな教育環境にあったにしても、将来それがプラスになったかマイナスになったか、それはわからない。ただ、こども時代の一時期、楽しく明るく生き生きと過ごせること、その手助けをすることが教師の役割じゃないかな。

* そうそう、最近書棚を整理していたら、亡夫の蔵書の中から懐かしい1冊が出てきた。

  ARAGONのフランスの起床ラッパ」 大島博光編 三一書房発行

  1951年2月10日 印刷 1951年2月20日発行 定価150圓

  その中の「ストラスブール大学の歌」のなかに、こんな一節があった。

  教えるとは 希望を語ること

  学ぶとは 誠実を胸にきざむこと

   今、「フランスの起床ラッパ」はどの程度読まれているのかしら。

* ルイ・アラゴン(1897.10.3〜1982.12.24)フランスの詩人 * 


 我が家は築50年。昔の和風の庭なので、植栽は地植えのものがほとんど。沈丁花もなんの手入れもしていないけれど、今年も咲いてくれた。


2021年2月21日日曜日

5 「黄色い髪」

 * 「東京新聞購読やめるのをやめた!」と言った途端に2日続けて東京新聞の記事を取り上げるなんて。きょうは「こちら特報部」(今後は略して「こち特」と書きます)の、「本音のコラム」(前川喜平)。コラムのタイトルは「髪の色は個人の自由だ」

 それでまたまた恐縮だが、私の以前の新聞投稿を引用する。2017年11月17日(金)毎日新聞投稿欄「みんなの広場」に掲載された<「黄色い髪」を読んでください>だ。

 <12日に日曜版の松尾貴史さんの「ちょっと違和感」(東京本社版)や「みんなの広場」の大学生の投稿「がんじがらめの校則に疑問」を読んで。干刈あがた著「黄色い髪」(1987年12月、朝日新聞社)を思い出した。この本の274ページに「東京の区立中学で、制服とか髪型規制なんかなくて、体育祭も文化祭も生徒の自主運営でやっている学校があるんだそうです」という箇所がある。この学校は東京都杉並区に実在する公立中で、当時、亡夫が勤務していた。久しぶりに亡夫の遺品から84年3月(亡夫退職の年)のその中学の卒業アルバムを取り出した。クラスごとの記念写真、3年間の授業や学校行事、修学旅行などすべての写真に写っている生徒たちのカラフルな服装。33年前にこんな公立中学が存在したのに、なぜ今頃頭髪検査だの黒く染めろだのスカート丈規制だのというばかげたことが行われているのか。このような校則のある学校の先生方には、ぜひ「黄色い髪」をお読みいただきたいと思う。>

 「黄色い髪」から34年、私の投稿が載ってからも4年後の今年、いまだに前川さんのコラムにあるようなことがまかり通っている。全く話にならない。

 

 福寿草。田舎の実家の庭にはたくさんあったが、それを見てから数十年たつ。東京杉並の小さな庭にも毎年2〜3本咲いてくれる。懐かしい花。2021年2月21日開花。



2021年2月20日土曜日

4. 2月20日東京新聞朝刊 ベスト記事2本

 
 私は長年、毎日新聞と東京新聞を年間予約で購読してきた。が、最近東京新聞に毎週火曜日、木村太郎の「太郎の国際通信」というコラムが登場し、国際通信とは名ばかりのアメリカ前大統領トランプよいしょの記事ばかり。金を払ってまで木村太郎のご高説を拝読することはないので東京新聞はやめようと思ったが、それでも「こちら特報部」や、その他にも読み応えのある記事が載ることもあり、木村太郎のつまらないコラムのために素晴らしい記事を犠牲にするのもどうかなと悩んでいた。

 ところが、きょう2月20日朝刊に素晴らしい記事が載ったので、短気を起こさずに東京新聞の購読を続けることにした。その記事とは以下の2本。まず第1位は、「こち特」の師岡カリーマさんの「本音のコラム」!第2位は、経済思想家斎藤幸平さんへのインタビュー「あの人に迫る」!

 カリーマさんのコラムのタイトルは「トランプ時代が懐かしい」というもの。「何だと!日頃敬愛しているカリーマさんがトランプ支持者か」と一瞬頭に血が上った。しかし、気を静めて全文読み終わった時は、すっかり感服してしまった。なるほど、こういうトランプ批判のあり方があったのか!私のように、トランプけしからん木村太郎けしからんと喚くばかりじゃダメなんだと説得力ある批判の仕方をカリーマさんに教えられた。

 斎藤幸平さんへのインタビューは2分の1面を占める長文。タイトルは「コミュニズムが人命と環境守る」。深く考えさせられた。。

 インタビュアー林啓太さんの前書きを。<新型コロナウイルスの流行は、国内外で多くの命を奪っている。それなのに、感染を抑え込む対策は空回りしているかに見える。「背景には地球規模で発達した資本主義の矛盾がある。脱成長コミュニズム(共産主義)への転換を」。こう訴えるのは、大阪市立大准教授で経済思想家の斎藤幸平さん(34)だ。人間が隣人や自然環境から一方的に奪うのではなく、調和する未来を思い描く。>

 斎藤さんの「あなたに伝えたい」<これまでに存在した「共産主義国家」は、生産力至上主義の体制で、実は資本主義だった。官僚がトップダウンで企業を管理していたにすぎません。>

 ぜひ全文をお読みになることを。斎藤さんの経歴がまたすごい!

冒頭の写真は、道路から見える場所に置いてある沖縄のシーサー。亡夫が若いころ沖縄に行って買ってきた。


2021年2月19日金曜日

3.1903年生まれ、118歳のお雛様(ブログ名変更)

*ブログ名を変えました。
「ばあちゃんのひとりごと」「一寸先は闇」に変えました。理由は、「ばあちゃんのひとりごと」というブログがたくさんあるみたいなので,変えることに。悪しからずご了承くださいね。人生本当に「一寸先は闇」ということが多いというのが81年生きてきての実感です。



*「2月は逃げる」というが、今年もはや2月19日。冬至の頃からみると我が家の二階から見える日の出の時刻は30分あまり早くなり、日の出の位置も随分 東寄りになった。あと2週間足らずで3月3日、雛祭りがやってくる。81歳、一人暮らしのばあちゃんにとっても、雛祭りは心弾む日だ。

* 私は1939年11月26日東京高田馬場で古本屋の娘として生まれた。6年後1945年5月25日に東京山手大空襲。空襲直前に、かろうじて父の故郷、信州佐久の山村に疎開していて、命だけは助かったけれど、沢山の書籍、家財道具や衣類など身の回りの品々は、家とともに焼け落ち、私の初節句の7段飾りの豪華なお雛様も灰になってしまった。

* 1946年4月国民学校入学、お雛様のないことが悲しく、自分で折り紙のお雛様を作ったりしていた。中学1年の夏休みのこと、母に連れられて小学生の弟と妹も一緒に、群馬県勢多郡宮城村にある母の実家に行った。お雛様がないという私の嘆きを聞いた祖母が、蔵から「お前の母さんの初節句のお雛様だよ。」と言って大きな箱に収まった一対のお内裏様を出してきた。1902年10月生まれの母の初節句といえば1903年3月。50年以上も昔の話だったが、大切にしまわれていたのか、昨日買ってきたばかりのように綺麗だった。祖母の言うことに、「おなみ(母の名前)は長女だったから、前橋まで出かけて京都から取り寄せてもらったんだよ」とのことだった。母も半ば忘れていたようで、大喜び。もちろん私も嬉しく、その箱を押し抱いて意気揚々と帰ってきた。高校を卒業し、大学進学で上京するまで、毎年3月3日は、母のお雛様を飾って盛大にひな祭りをした。

* それから幾星霜、夫も逝き、子どもは皆東京に出て一人になった母は1984年、初節句のお雛様とともに東京杉並の我が家に来た。その2年後あの世に旅立ち、私の夫も2004年6月29日逝ってしまった。一人になった私だが、3月3日のひな祭りは、母のお雛様とともに祝ってきた。今年も、もうすぐひな祭り、118歳のお雛様と楽しいひな祭りをしようと思っている。

(写真は118歳のお内裏様。ちょっとボケてしまってすみません)





2021年2月18日木曜日

2. 甦る、抵抗の季節 安保闘争60周年記念講演会記録

* 2021年2月6日の毎日新聞書評欄に「甦る抵抗の季節 安保闘争60周年◉記念講演会記録」記念講演実行委員会編著(言視舎・1210円)という本が取り上げられた。早速馴染みの書店に行き取り寄せてもらって、昨日手にした。60年前が生々しく甦る。

 1960年、安保闘争真っただ中、20歳の私は、全学連の一員として国会を取り巻くデモの中にいた。2019年6月28日の毎日新聞東京朝刊「みんなの広場」という読者の投稿欄に、当時を思い出して書いた私の投稿が掲載された。「60年安保といま」という題名がつけられた(ご存知と思いますが新聞投稿の題名は新聞社がつける)その投稿の書き出しは、「安保条約改定反対の学生デモ隊が国会に突入し、東大生だった樺美智子さんが亡くなった1960年6月15日。今から59年前だ。私が20歳、大学3年の時で、その後の生き方を決めた出来事だった。」そして結びは「あの時代がついこの間のことのように思える。現在の政治状況はあの頃よりも危機的だと思えるが、人々の思いはどうなのだろう。」というもの。この投稿からさらに2年経った今年2021年の政治状況は、さらにその危機的状況が深まっているように思う。この先、日本のみならず世界はどうなっていくのだろうと、老い先短い老婆でも心配だ。

* ところで、夫亡き後の暮らしを慰めてくれるのは、小さな庭の植物。特に手入れをしなくても、コロナ禍の中でも、時が来れば芽を出し花を咲かせてくれる。 「今年も咲いてくれたね、ありがとう」といって、写真機能だけ使える中古のスマホで写してパソコンに保存している。これも娘の連れ合いの指南によるもの。今日の写真は去年の秋に球根を埋めておいたクロッカス。ちゃんと芽が出て花が咲いた。(2021.2.18 木)


2021年2月17日水曜日

1. ブログ始めました

 2月17日、きょうは私より7歳も若い友人の一周忌。

 去年知らせを受けたとき、あまりのことに腰が立たなくなってしまいました。闘病の知らせもなく、普段通りメールをしたその返信が、お連れ合いからの彼女の死の知らせでした。50年も前、同じ職場で出会い、それからずっと友情を育んできた友の死は本当にショックでした。

 その衝撃が冷めやらぬ7月末、その一月前に亡夫の17回忌を無事に終え、16年間無事に一人暮らしをしてきたなあと思った矢先、私は80年の生涯で初めての大怪我をし、コロナ禍の中で40日余りの入院生活を経験しました。

 11月26日に81歳の誕生日を迎え、友人の死や自分の闘病生活などを思い、残る日々「言いたいこと言わねばならぬこと(桐生悠々の言葉)」を言うためにブログを始めることにしました。機械には全く弱く、パソコンを使いこなすことなどできない相談だと思っていましたが、娘の連れ合いが懇切丁寧に教えてくれて、なんとかやってみることにしました。

 できれば友人たちとあれこれ話し合いたいと思いますが、コロナ禍の現在それも叶わず、電話やメールを頻繁にというのも迷惑だし、ブログならば、友人たちの都合の良いときに覗いてもらえるのではないかと思ったのです。

 日常のあれこれを書き連ねることになりますから、ブログ名は「ばあちゃんのひとりごと」としました。毎日更新は無理ですが、1週間も更新されなかったら、何か異変がと思って親族(娘や妹)に問い合わせてくださいね。

 冒頭の写真は今日2月17日に庭の隅に咲いた水仙です。友人の命日に墓前に供えたつもりで掲げました。(2021年2月17日水曜日)