* 私は1939年11月26日東京高田馬場で古本屋の娘として生まれた。6年後1945年5月25日に東京山手大空襲。空襲直前に、かろうじて父の故郷、信州佐久の山村に疎開していて、命だけは助かったけれど、沢山の書籍、家財道具や衣類など身の回りの品々は、家とともに焼け落ち、私の初節句の7段飾りの豪華なお雛様も灰になってしまった。
* 1946年4月国民学校入学、お雛様のないことが悲しく、自分で折り紙のお雛様を作ったりしていた。中学1年の夏休みのこと、母に連れられて小学生の弟と妹も一緒に、群馬県勢多郡宮城村にある母の実家に行った。お雛様がないという私の嘆きを聞いた祖母が、蔵から「お前の母さんの初節句のお雛様だよ。」と言って大きな箱に収まった一対のお内裏様を出してきた。1902年10月生まれの母の初節句といえば1903年3月。50年以上も昔の話だったが、大切にしまわれていたのか、昨日買ってきたばかりのように綺麗だった。祖母の言うことに、「おなみ(母の名前)は長女だったから、前橋まで出かけて京都から取り寄せてもらったんだよ」とのことだった。母も半ば忘れていたようで、大喜び。もちろん私も嬉しく、その箱を押し抱いて意気揚々と帰ってきた。高校を卒業し、大学進学で上京するまで、毎年3月3日は、母のお雛様を飾って盛大にひな祭りをした。
* それから幾星霜、夫も逝き、子どもは皆東京に出て一人になった母は1984年、初節句のお雛様とともに東京杉並の我が家に来た。その2年後あの世に旅立ち、私の夫も2004年6月29日逝ってしまった。一人になった私だが、3月3日のひな祭りは、母のお雛様とともに祝ってきた。今年も、もうすぐひな祭り、118歳のお雛様と楽しいひな祭りをしようと思っている。
(写真は118歳のお内裏様。ちょっとボケてしまってすみません)