2023年12月8日金曜日

NO.1008~2023年12月8日(金)〜太平洋戦争開戦から82年(敗戦から78年)〜

 🌻 1年前のブログ「一寸先は闇」再掲。🌻

NO.729〜2022年12月8日(木)〜太平洋戦争開戦81年〜

🌻 今日の東京は素晴らしい青空!それなのに、今日も世界のどこかでミサイルなんか飛ばして殺し合いをしているホモサピエンス達🌻

ここからは、2021年12月8日のブログ「一寸先は闇」の記述です。

1941(昭和16)年 12月8日のNHKラジオ 

午前7時の臨時ニュース

 臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

(なお、 この放送から4年、1945年8月15日正午の「玉音放送」によって、日本の敗戦が知らされた)

!  大本営とは  !

戦時または事変の際に設置された、天皇に直属する最高の統帥機関。1893(明治26)年制定、第二次大戦後廃止。 (広辞苑第7版より)

! 統帥とは ! 

軍隊を統べ率いること !(広辞苑第7版より)

🌻 太平洋戦争開戦の時の私は11月26日に満2歳になったばかり。4人きょうだいの末っ子。父母はどんな気持ちでこの放送を聞いたか、今となっては知る由もないが、私が物心ついてから知った両親の生き方を見る限り多分、憂鬱な気分になり、子どもの将来への危機感を募らせたのではないかと思う。戦後の極貧の中で、母の口からよく「あの戦争さえなかったら」という愚痴を聞いた。それもそのはず、1945年5月25日の山手大空襲で東京(高田馬場)の我が家は全焼!命だけは助かったが、何もかも無くし、極貧の中での戦後の暮らしが始まったのだから。🌻

😡 そしてこの臨時ニュースから80年後の2021年12月8日朝、日本列島は風雨強し。80年前から今日までの歴史を忘れ、戦争に向かおうとしている勢力が力を増している。どうしたらその流れを完全にせき止めることができるのか 😡(ここまでは、2021年のブログの記述です)

* 以上は1年前(2021年12月8日)のブログ再掲だが、今年2022年12月8日は、去年以上に戦争の影が忍び寄っている。なぜ、権力者はそんなにも戦争がしたいのか。人類黄昏論がナオコばーちゃんの持論。今現在の若者や子ども、赤ちゃん達には、本当に申し訳ないと思うけれど、彼らの未来を明るく語れない。バラ色だなんて言えない。

 一番怖いのは、地球を何回も破壊できる「核兵器」なるものを人類は持ってしまったことだ。軍備は抑止力などとほざいて、国民から血税を搾り取り、核兵器を含む軍備に使おうとしている大人達が絶滅しない限り何も知らない赤ちゃんが殺されるだろう。どうしたら、戦争を絶滅することができるのか。(ここまでは、21年22年のブログの再掲です)

😡 以下は、今年つまり2023年12月8日の記述です。2021年、2022年の12月8日のブログ再掲を読んでみるとほとんど同じ世界情勢、つまり世界は戦争に向かっているということ。そして今年2023年12月8日の世界は、戦争に向かっているのではなく、すでに戦争真っ最中!ウクライナでパレスチナで!しかも世界は戦争を止めようとするよりも、むしろ火に油を注ぐような動きのほうが強い。「戦争放棄」を宣言した崇高な憲法をもっているはずの日本国でさえ、その憲法を捨てて、軍備を「防衛装備品」などと言いくるめて、軍国主義に突き進もうとしている。人類は「歴史の教訓」などどこ吹く風!ホモサピエンスは、地球温暖化によるよりも戦争で滅びるのではないか。その戦争は最終的に核戦争となり、ホモサピエンスだけでなく地球上のあらゆる「いのち」を絶滅させてしまうだろう。 

🌻 2023年12月8日午前3時現在の東京の空は、晴れて明けの明星が輝いている。地球上の生き物が絶滅しても明けの明星は夜明けの空に輝き続けるだろう。

2023年12月7日木曜日

NO.1007〜2023年12月7日(木)〜行きつけの書店(書楽)が無くなる!!!〜

 阿佐ケ谷駅南口の書店「書楽」が来年1月8日で閉店になるということで、晴天の今日、最後の買い物に行った。いつもより混んでいたが、ついに阿佐ヶ谷駅周辺の本屋さんが無くなってしまう。区役所のお膝元で本屋さんが無くなるとは!現代人はそんなに本を読まないのかなあ。仲良しになったた店員さんもいたのに残念至極。

今日は、かなり買い込んだ。年表も地図もかなり発行年月日が古いものなので、買った。「世界」はこの2〜3年ほとんど読んでいなかったが、二つの特集、高齢者問題とガザ問題は、どうしても読みたかったので買った。「文藝」の特集(茨木のり子)も、茨木のり子ファンとしては買わねばならぬということで購入。おまけとして24年の日記帳。視力の衰えが進んでいるので、大きな日記帳を。

締めて合計10109円 本代に一度に1万円も使ったのは今度が初めて。今まで買った本も「積ん読」が多いのに、さらに「積ん読」を増やしてどうするの!?との声が聞こえる。もし興味の湧くものがあったらお貸ししますので、どうぞ。



        <夕陽に染まる善福寺緑地公園の森>

          <2023年12月3日16時7分二階の窓から> 

2023年12月4日月曜日

NO.1006〜2023年12月4日(月)〜12月4日は中村哲医師のご命日です!

合掌 今日12月4日は、中村哲医師が2019年アフガニスタンで凶弾に倒れた日!
 ブログ「一寸先は闇」2021年12月2日の記事を再掲します。
ブログを始めたのが2021年なので、中村医師が凶弾に倒れた2019年12月4日についてのブログは、残念ながらないのです。

            *

NO.353 

明後日12月4日は、中村哲医師が凶弾に倒れた日

* 中村哲医師が銃撃され亡くなってから、明後日12月4日で早くも2年!たった2年の間にアフガンも世界も日本も大きく変わった。しかし、世の中がどう変わっても、中村哲医師の偉業は色あせることはない。それどころか、ますます光を放っている。世の中に神や仏があるならば、なぜ中村哲医師のような人の命を奪うのか。理不尽だ。やりきれない。

アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師を忘れないために、当時の信濃毎日の号外(私のベッドサイドに掛けてある)と現地で刊行された絵本の日本語版の写真を載せて中村医師を偲び、その功績を噛み締めます。

2年前の信濃毎日新聞の号外の写真





















カカ・ムラド ナカムラのおじさん

 原作/ガフワラ 訳・文/さだまさし他(上の写真は表紙と裏表紙)

2020年12月6日 第1刷発行 2021年2月8日 第7刷発行 

私が購入したのは第7刷。

発行所双葉社 定価本体1500円+税

🌻 ここまでが、2021年12月2日の「一寸先は闇」の再掲。

🌻 今日2023年12月4日の「東京新聞夕刊6面」に、中村哲医師関連の記事が載っています。銃撃されたのが2019年12月4日、まだ、たった4年しか経っていないのに、メディアの扱いは小さい。


2023年12月3日日曜日

NO.1005〜2023年12月3日(日)〜本日2回目のお出ましは、誕生祝いの贈り物の続きです〜

 🌻 本当にありがたいことです!!!84歳独居老人が、こんなにたくさんのしかも50年以上も前からの友人知人、そして親族に祝ってもらえるなんて!!!「孤独な高齢者」とはまったく無縁な我が身の幸せをかみしめています。皆様、本当にありがとうございます。ブログで「誕生日だ、何歳になった」などと書き付けているので「嫌味かな」と思いながらも「あの人はいつあの世に?」ということのないように「生きていますよ」というお知らせまでに、誕生日云々と書いているのです、ごめんなさいね。

🌻 

素敵な絵ハガキです。何より嬉しいのは、この絵葉書が「国境なき医師団」が作っているものということです。「国境なき医師団」に連絡すると手に入ると思います。

様々な活動をしている団体や個人に「カンパ」することが多い私ですが、何よりも「国境なき医師団」の活動には、心底頭が下がります。年に何回かカンパをしています。この絵葉書、50年以上も前からの友人(お互い20代の頃、たまたま同じ職場で出会った、私より4年若い〜今年の秋80歳)から贈られた誕生祝いの品のひとつ。彼女も「国境なき医師団」を支援しているんだなあと嬉しかった。

彼女からは、他にも色々贈られたが、何よりも来年の干支の龍のペーパークラフト。彼女の作品!素敵。お連れ合いの介護という大変な日常の中、心込めたお祝い感謝!


この花束も、50年ほど前に同じ職場で出会った人から。彼女は今年古希。
今では姉妹のような家族ぐるみのお付き合いです。

みすず飴は我が故郷信州の銘菓!?姪からの贈り物!嬉しい!



NO.1004~2023年12月3日(日)〜11月29日以来のお出まし〜

 😓😓😓まったく月日の経つのは早い!って時のせいにするなよ!と我と我が身を叱り飛ばすナオコばーちゃんであります!

ただいま2023年12月3日午前5時30分、先ほど朝刊がポストに入る気配を感じて起き出し、テレビをつけたら地震と津波のニュース!!!

ブログを開けたらなんと11月29日で終わっている!30日、12月1日、2日は何をしていたのかと、思い出すのも一苦労という「ボケばーちゃん」冗談じゃなく「認知症入り口」かな!?

 まあ、認知症かどうかと心配したって仕方がないので、30日からのおさらい。私事ばかり書いていますが、これは自分の覚書なので、これを読んでくださる方には、本当にごめんなさいデス。それでも公開するのは、友人知人に現状をお知らせする意味で。「彼女いつの間にあの世に行ったのかな」ということにならないようにね(😃)

 30日 20日から始まった玄関ホール?の床の張替え(床板が築51年の年月に耐えられずペコペコになっていたので貼り替えた。費用は50万円。)が、午前中に終わったので、後始末に取り掛かった。玄関ホールにあって、隣の部屋に避難させておいた様々な家具や飾り物を元に戻すのに、夜までかかってしまった。結構重い物もあって、我ながらよくやったなあと自画自賛。さすがによる年波には勝てず、どっと疲れて、入浴後はバタンキュウ!

 1日 いよいよ12月だなあとカレンダーを見たら、「あっ、今日が最終日だ!」と気がついた。むかし現職の頃大変お世話になった先輩教員の「写真展」の今日が最終日だ。周囲を気にせず信ずるままに「自分が理想とする教育」を目指して働いていた若かりし頃。思いがけずそれを良しとしてくださった先輩に恵まれた一時期があった。その方がお連れ合い亡き後も矍鑠となさっていて、年に二度、仲間とともに写真展を開催されている。毎回ご案内をいただき、ほとんど観覧している。今回も頂いた案内状を見たら12月1日が最終日だった。我が家からバスで30分ほどの場所。昨日の疲れが残っていたが、矍鑠としてはいても先輩もすでに94歳、私も84歳、来年は?と思って、頑張って出かけ、お会いしてよかったと思って帰宅。さらに疲れが出て、ブログを忘れてしまった。

 2日 30日で終わらなかった細部の片付けと、いろんな物の洗濯などしているうちに夕方になり、またまた、あっ薬が切れている、と思って、かかりつけのヤスダクリニック(信頼するお医者さんです。内科小児科で何より薬の「院内処方」がありがたい!)に。いつもの薬(腸や喉)をもらって帰宅。ブログ!と、気にはなったけれど、疲れには勝てずに寝てしまったというわけで、気がついたら、3日もブログをお休みしていたのです。

🌻12月3日もすでに6時15分、テレビは今も津波のニュース!今後どうなるやら心配です。戦争ばかりしているホモサピエンスに呆れ果てた地球が怒っているのか。

きょうはこのあと、一休みして、誕生日関係の写真を。


2023年11月29日水曜日

NO.1003〜2023年11月29日(水)〜てっちゃんから写真のプレゼント〜

 てっちゃんというのは、娘の連れ合い。私のパソコンの先生。まったく何にもわからない私に、手取り足とり教えてくれる親切な先生。それでもまだ、この生徒は飲み込みが悪く、未だにパソコンを使いこなせない。でも、てっちゃんは嫌な顔一つせずに、教えてくれます。昨日、彼から杉並区大田黒公園の紅葉の写真が届きました。

てっちゃんありがとう!!! 




   













2023年11月26日日曜日

NO.1002〜2023年11月26日(日)〜84歳の誕生日(82歳の誕生日のブロ再掲)

🌻  今日、私の84歳の誕生日は、冷たい雨。亡夫の5年日記(2001年から2005年まで)亡夫は2004年6月29日に他界したので、私の誕生日についての亡夫の記述は2003年11月26日が最後。今年もまた2003年11月26日の日記を読み返す。<住基ネット非加入を申し出る>と書いてあって、やっぱりねと思った。住基ネットはその後亡くなって、マイナンバーカードに変わったが、私はこれも無視。今でも持っていない。夫亡き後、5年日記の最後の1年半のページは、私が書いた。したがって、2004年11月26日と2005年11月26日は、私が書いている。両年とも「寂しい」という字が見える。ひとりになってから19年、最近の日記からは、寂しいという文字が消えた。現在は「寂しさ」よりも、人間社会に対する怒りと諦めの気持ちが交互にやってくる。しかし、長年の友人たちや親族との関係は、あたたかく頼もしい。本当にありがたいことだ。

ブログを始めるまでは、本当に私的な日記だったから、ここに再掲はできないけれど、2021年2月17日にブログを始めて、一応、公開しているので、今日は、ブログ公開の最初の誕生日『2021年11月26日のブログ」を再掲します。2年後の今に比べて元気!

 NO.346 〜2021年11月26日〜 <1939年11月26日 ナオコばーちゃんは生まれた>

* 1939年11月26日に私は生まれた。1939年という年は、世界史の上でもかなり重要な年。私が生まれたなんてことは、重要でもないしどうってことはないが、私が東京高田馬場で産声をあげた年は、大変な年だった。つまり、1939年9月1日ドイツがポーランドに攻め込み第二次世界大戦が始まったのだ。
 日本はドイツ、イタリアと同盟を結び世界を相手の戦争に突き進んでいたが、1943年9月にはイタリアが降伏し1945年4月30日にヒトラーが自殺して、5月7日にドイツ降伏。
 日本はどうしていたか。1945年4月1日には米軍が沖縄本島に上陸し、7月26日にはポツダム宣言が発表された。しかし、それでも日本は降伏せず、ぐずぐずしているうちに、8月6日に広島、9日に長崎に原爆を落とされ、ようやく8月14日にポツダム宣言を受諾して、15日の無条件降伏となった。
 9月2日に降伏文書に調印して、正式に降伏したわけだが、イタリアが降伏してから約2年、ドイツ降伏から3ヶ月あまり、ポツダム宣言発表から20日ほど。歴史にたらればはないが、43年のイタリア降伏以後、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦、広島長崎原爆投下などがあったわけだから、イタリア降伏後日本も降伏していたら、あるいは、遅くとも5月7日のドイツ降伏後に降伏していたら、さらには、ポツダム宣言発表後すぐに受託していたら、少なくとも広島、長崎はなかったのではないか。

* 原爆投下という暴挙をしたアメリカを許すことはできないが、日本の降伏の決断が早ければ、原爆投下の機会を与えなかったのではないか。アメリカを憎み恨むと同時に、自分の国の支配者を糾弾すべきではないか。ヒトラーは自殺し、ムッソリーニは、パルチザンに殺された。それなのに、日本は、あの戦争の本当の責任者は誰なのか追求することをしなかった。東京裁判で7人が、あの戦争の最高責任者として絞首刑(最後にウイキペディアの記事を載せた)になったが、本当にあの7人なのか。当時の憲法(明治憲法)によれば、


大日本帝国憲法

第1章 天皇
  • 第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
  • 第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
  • 第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
  • 第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ(以下略)
  • ということなのだから、あの戦争の最高責任者は自ずと明らかだ。そして、この最高責任者は、天寿を全うし、憲法が変わっても、その子孫が天皇の地位にある。
  •  今年、1945年8月15日から76年目の8月15日だったが、日本国には、相変わらず天皇が存在している。明治憲法とは違うが、日本国憲法も、相変わらず第1章に天皇を置き、第1条から第8条までが天皇条項だ。現憲法は「平和憲法」と言われるが、それは第2章からだ。そして第2章は、第9条のみ。次に第3章が来て第10条から第40条まである。
 現在の自公民政権は、憲法改定に前のめりのようだが、私も自公民政権とは全く違う観点だが、幾つかの条文は改定の必要ありと思う。その最たるものは、第1章の天皇条項だ。憲法の第1章に天皇条項を置く限り、日本という国のあり方、日本国民の意識のありようは、今の時代にふさわしいものにはならないだろうと思っている。

* 今日82歳の誕生日を迎えてざっとふりかえってみる。第二次世界大戦勃発直後に生まれ、生家は、1945年5月25日の山手大空襲で全焼!父の故郷信州に疎開していて命は助かったが、5歳までの思い出の品々は消失したのだが、返す返すも残念なのは、初節句の「7段飾りの豪華雛人形!」。写真も残っていない。敗戦の翌年国民学校1年生、翌年から小学校になり、戦後の教育界の混乱期に大学まで進学、60年安保闘争に参加。難関を突破して(自画自賛!、教員志望者が少ないという現在から見たら、当時の東京都の教員志望〜私の場合は中学国語科教員で受験〜競争率倍率は二桁だった)東京都の教員になり、様々な教育闘争を経て、夫の介護のために54歳で早期退職。世界は戦争が絶えなかったが、それでも日本が直接戦争をする事態にはならずに、82歳を迎えた。あと、何年生きるかわからないが、この世での最後の日に、私はどのようは風景を見ることになるのだろうか。

*東京裁判で死刑になった7人*
判決氏名階級主な経歴罪状備考
死刑板垣征四郎陸軍大将陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長中国侵略・米国に対する平和の罪1948年(昭和23年)
12月23日執行
死刑木村兵太郎陸軍大将ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)英国に対する戦争開始の罪
死刑土肥原賢二陸軍大将奉天特務機関長、第12方面軍司令官中国侵略の罪
死刑東條英機陸軍大将第40代内閣総理大臣ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪
死刑武藤章陸軍中将第14方面軍参謀長(フィリピン)一部捕虜虐待の罪
死刑松井石根陸軍大将中支那方面軍司令官(南京攻略時)B級戦犯、捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)
死刑広田弘毅文官第32代内閣総理大臣近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任
(ウイキペディアより)