2022年3月12日土曜日

NO.453  2022年3月12日(土)セッチャン便り

 💐セッチャン便り💐

(以前にも紹介したと思いますがセッチャンは🌻と大学時代の同級生。途中交流は途絶えていたけれど、60年後復活。80の坂を越えて、ふたりとも連れ合いを亡くして。卒業後会っていないけれど、メールのやり取りが復活して、あっという間に60年まえの二人に戻ったみたいで。コロナが遠のいたら会いましょうと言い合っているけれど、会う前に、どちらかが天国に招待されているかも)以下はセッチャン便り。

桜井善作氏、行動派ですね!

今、WWWⅢが、ツィッターでの、トレンドno.1だそうです。つまり、第三次世界大戦。私も、日本も、もう準戦時中と思い始めました。物価が、値上がりしてきたからです。
世界の叡智をふりしぼって、この難関を乗り切る時ですが、はたして?
 ロシアもキリスト教正教会派と思いますが、バチカンをはじめ世界の宗教が沈黙しているのは、不思議?
まだ、捕まらない日本の反戦デモなら私も行きたい。
この難関を、もし、世界が乗り切ったら、凄く価値ある実績として、今後の世界の紛争の解決に、とても力を発揮すると思います。
 今も、命を捨て抗っている、各地の勇気ある人達の安全を祈っているばかりの、セッチャン。

🌻 桜井さんは生涯通して、「野火」を発行し続け、言わねばならぬことを言い続けています。私と亡夫のかけがえのない友、同志です。87歳! 82歳のなおちゃん、たじたじです。桜井善作さんの後から、とぼとぼでもついていかないといけませんね。何ができるか。

🌻 小さい春見つけた。ヒメオドリコソウとユキヤナギ。わが庭で。





2022年3月11日金曜日

NO.452 2022年3月11日(金)桜井善作さんの「緊急提言」



桜井善作さんから、速達便で上に掲げた緊急提言が送られました!
善作さんの強靭な精神にただただ頭が下がります。
善作さん、ありがとうございます!寝ぼけた頭に入れられました。
 
🌻3月11日午前8時30分投稿🌻

追記
昼過ぎ、桜井さんから追伸のハガキが届きました。
緊急提言の送り先などを知らせてきたのです。以下に。
  
 緊急提言送り先

!一部野党の幹部、議員 !一部新聞 !一部組織
 計16人にFAX送信

世論に火を点けてもらいたいとの願いからですが、果たして反応してくれるかどうか。なお、先の提言の「一」で、戦争中止と書きましたが「虐殺」と入れるべきだったと反省しているところです。
悪い時代ですが、それだけに声を出さねばと焦り気味です。

🌻 本当に桜井さんのおっしゃる通りです。わたしは、かなり後ろ向きになって何を言っても通じないと諦めに気持ちに傾きかかっていましたが、やっぱり声に出さねば!ですね。この先、あの時自分は何を言ったか、何をしたか、自分自身に恥じないように言うべきこと、言わねばならぬことを言い続けなければ。🌻

 

2022年3月9日水曜日

NO.451 2022年3月9日(水)「ゲルニカ」が待つ平和


この写真は、私たち夫婦のゲルニカ訪問の記念に買ってきたもの。額装は帰国してからで、我が家の宝物の一つ。玄関に飾ってある。



昨日、3月8日(火)の東京新聞夕刊3面「世界の街〜海外リポート」ニューヨークの話が載った。記者は杉藤貴浩さん。

その記事のタイトルは「ゲルニカ」が待つ平和。

 193カ国が加盟する国連。ニューヨークの本部ビル2階の安全保障理事会議場前には、巨匠ピカソがスペイン内戦の悲惨さを描いた「ゲルニカ」複製タペストリーが飾られている。国連が目指す国際平和と反戦の象徴だ。

 先日、各国の国連大使や外交官が、この「ゲルニカ」前に集まり、ウクライナ国旗を広げて報道陣の写真撮影に応じた。ロシアの侵攻を受けるウクライナへの連帯を示すためだ。そこで、あまりの人数の多さに記者側から質問が飛んだ。「今、何カ国の代表がいるんでしょうか」

 「193だよ」。即座に外交官側から数字が返ってきた。狭い議場前、実際にそんな多数がいたわけではないが「みんながウクライナを支持している」と伝えたかったのだろう。少し場が和らぐ。そして誰かが続けた別の軽口に、寂しい笑が広がった。「あ、192か」

 ただ一つ引かれた数は、むろんロシアの分。スペイン内戦に続く第二次大戦では、前身のソ連が世界最多の死者を出した国でもある。その大統領が戦火の愚かさを思い出すのはいつか。「ゲルニカ」は、静かにその日を待っている。(杉藤貴浩)

 

 この国連本部のゲルニカのタペストリーに関して、原田マハさんが書いた「暗幕のゲルニカ」という本がある。私が持っているのは、新潮文庫版(平成30年7月1日発行)。

カバーの紹介文を書き写す。

ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑤子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑤子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!

2022年3月8日火曜日

NO.450  2022年3月8日(火)ジェンダー平等問題を考える〜その2〜

🌻 第2回 🌻

*これから書くのは自分でもよくわからないこともあるので、説得力がないと思いますが、これをお読みの方の(中でもメディアに関わる人)のご意見を伺いたく、書いてみます。

* ジェンダー平等問題を考える時、 わたしは、日本語の言葉の問題を考えます。

 日常生活で言えば言葉としてまず、「男女」(「女男」とは言わない)「男勝り」「女々しい」「夫唱婦随」などなど。調べればまだまだあると思うけれど。また、小学校の出席簿などもまず男子から。少し前から「男女混合名簿」も採用されてきたようだが決して「女男混合」とは言わない。つまり女性と男性を一緒に考える場合の言葉は、つねに「男」が先。どうでもいいじゃないかという人もいるかもしれないけれど、常に「男」という文字が先に来ると、男性そのものが女性より上という刷り込みがされる。「男女」はいいけれど「女男」なんて座りが悪いと感じるならば、それはもう、まず「男」が先と刷り込まれているからでしょう。

 個人的体験では、かつて(60年も前)結婚後3年くらい経った時、夫の母から「あんたは石女か」となじられたことがあった。生涯で一度、これほど侮辱されたことはないと、今でも思い出す。まさに「女は子どもを産む機械。子どもを産んでなんぼ」ということ。「3年子なきは去れ」ということばもあったね。

 1999年6月23日公布、施行の「男女共同参画社会基本法」内閣府の英語表記では、gender equality としているそうだ。

男女共同参画をgender equality と訳すのがいいのかどうか私にはよくわかりませんが、メディア関係の皆さんはどうお考えでしょうね。LGBTという略語が市民権を得ている現在、「男女共同参画」という言葉も問題がないかどうか、考えてみる必要があると思う。

←ハクモクレン

そういえば、『女の腐ったような』という言い方があったのを思い出して、ネットで調べたら、「精選版 日本国語大辞典」の解説に

『ぐずぐずしていて、意志、態度などのはっきりしない男をあざけっていう語。』

とありました。すごい!



究極の男尊女卑の言葉!まさかもう「死語」だと思うけれど!

NO.449 2022.3.8(火)ジェンダー平等問題を考える〜その1〜

 🌻 「ジェンダー平等」古くて新しい問題ね。ホモサピエンス登場の初めからジェンダー差別も誕生し、多分、ホモサピエンス絶滅の日まで、ジェンダー差別問題は終わりを見ないだろう、なんて言ったら、元も子もない、差別問題に真剣に取り組んでいる人や団体に水を差すのかと叱られるでしょうね。そういう後ろ向き発言をしたくなるほど、「ジェンダー平等」問題は根が深く、幅が広いと思います。昨日の東京新聞朝刊、武田砂鉄さんの寄稿文を読んだ。結びは「昔からダメだった、今ようやくダメだと認定されるようになってきたという考え方をしたい。」と。「その通り!」と拍手だが、最後の言葉「〜という考え方をしたい。」は、砂鉄さんでも新聞だとちょっと遠慮してしまったのかしら。私なら「認定されるようになってきたのだ。」と断定しちゃうけれどね。まあ、それはともかく、今日の私の言いたいこと、言わねばならぬことは、「ジェンダー不平等は、生活のあらゆる場面に」というテーマ。多分長くなるので、何回かに分けて書くことになると思います。

🌻 まず第1回 🌻

お茶汲み拒否 3月5日のブログNO.445にも書いたけれど、教員になって3年目、憧れの教員生活。中学の「特殊学級担任」から本来の希望の小学校教員として転任した職場。まず言われたのが、朝早く来て、職員室の全員にお茶を配ること。用務員さん(今は用務主事さんという)が、職員室の隅にポットと急須と教員各自の湯呑みを置いておく、そこでお茶を淹れて、各自の机に置く、その仕事を新任の若い女教師がするというのが慣例だった。とんでもない!お茶なんか飲みたければ自分で淹れて飲めばいい。そんな暇があったら、子どもたちのノートを読んだり、教材研究する。というわけで私がお茶汲みしなかったら、年配の女教師がしていた。そして私は女性教師たちに嫌われた。まさか今は、お茶汲みが女性の仕事なんていう職場(学校に限らず)はないでしょうね!

教師への贈り物廃止。同じ職場で、これはジェンダーとは関係ないけれど、親たちが盆暮れに担任に贈り物をする習慣があったのを、なくした。確か5月頃のPTA総会で「贈り物ができない家庭もある。子どもが、友達に、うちは先生に〇〇を送ったなどというのを聞くと腹がたつ。やめてほしい。「先生へのお礼の気持ち」というから、それはハガキ1枚で結構ですと言ったら、大勢の保護者が拍手をしてくれて、贈り物廃止が決まった。会が終わって、職員室に戻ったら、年配の男性教師が私を睨みながら、大声で「あ〜あ、今年からは、お中元もお歳暮も来ないぞ〜」と言った。なんてさもしいんだろうと思った。教員3年目の給料で6畳のアパート(トイレ、キッチン共用)を借りて暮らす私、楽ではなかったが、子どもの保護者からのプレゼントを当てにするようなさもしい心の持ち主にはなりたくないと思った。

 そこに3年いて、転任した杉並の小学校でも、プレゼント廃止を実現。その時は孤軍奮闘でなく同じ思いの仲間がいたのだが、廃止前の職員室では、自分に如何に高価なプレゼントが届いたかを自慢する姿もあった。男性教員に多かった。

*1991年、5月25日、今から31年前、私51才(若かった!)の新聞投稿を。(最初の投稿、最初の掲載)。朝日新聞「声」。タイトルは<5月10日 『みそ汁発言』女性差別です>53才高校男性教員が合宿での食事で、みそ汁を残す女生徒について「この生徒たちが妻になったら、亭主はみそ汁を作ってもらえないのかと思うと、気の毒に思えた」と書いたのですよ。それに噛み付いた私です。31年前は、こんな男の投書が載ったんですね。でも、現在でも、内心「妻にうまいみそ汁を作ってもらえる夫は、しあわせ」なんて思う男がいるかも。あるいは美味しい夕食を作って夫の(もしかしたら主人の)帰りを待つ妻になりたいなんて思う女がいるかも。女が互いに足を引っ張りあったら、ジェンダー平等は実現しないと思われそうだが、男が全て女性差別者じゃないのと同様、女の中にも、差別されているとは思わない人がいるのも事実。そこがジェンダー平等が100年経っても実現しない理由の一つだと思う。



2022年3月7日月曜日

NO.448. 2022.3.7(月)ジェンダー平等(東京新聞・毎日新聞7日朝刊記事)

 上は東京新聞、下は毎日新聞ともに3月7日朝刊記事


毎日の記事は、

1880年代の話。

その後140年経っても

まだ「男尊女卑」健在

なんだからね、

闘う気力も失せるわ。

いまから140年後は

どうなっているのか

見たいけれど、無理ですね

2022年3月6日日曜日

NO.447 かずちゃん便り〜その2〜

お詫び 今日のブログ第1回目NO.446の東京新聞切り抜きの写真、最後のところがぬけていました。写真では、「47都道府県すべてで、各庁内全体の女性職員」までになっていました。私が切り抜きを間違えたためです。続きを以下に書き写します。

「〜の割合を下回った。 防災・危機管理部署の女性管理職の人数を「二人」と答えたのが岩手、京都、奈良の三府県。「一人」が十一同県で、三十三都府県はゼロだった。 女性職員が少ない背景として、内閣府は二〇年に出した男女共同参画の災害時指針で⓵緊急対応が必要な業務が多く、男性の配属が優先される②女性がほとんどいない職場で定着が困難ーと推測している。 今回の調査では、女性の視点を生かす必要性は認識しているとの回答が多かった。女性比率は半数超の二十七府県が「増やしたほうがいい」と回答した。

 

🌻ここからが今日2回目、かずちゃんだよりの2通目です!🌻  

🍀 かずちゃん便り 🍀

「家父長制をぶっつぶす」

私の若い友人(息子の元カノ)が、「和子さんが気に入りそう』と教えてくれました。若いデザイナーさんの作品をグッズにして販売しているサイトで見つけた、その名も「家父長制をぶっつぶす」Tシャツ。販売しているグッズには、チャラチャラしたものもあるけれど、「家父長制をぶっつぶす」や「滅びよ人類」とか、気骨のあるものもあるのです。「家父長制をぶっつぶす」は、人気があるのか、長袖や半袖のTシャツやパーカーと種類豊富。デザイナーさんは「家父長制をぶっつぶしたい人、いっしょにぶっつぶしましょう」なんて呼びかけていて、面白い人だなあと思いました。何より「ぶっつぶせ!」でなく「ぶっつぶす!」という語尾一文字に惚れました。己一人の決意証明。70年代に多かった「せ」は、2022年は「す」。このしたたかなセンスに、希望を見るのです。ちなみに私は長袖Tシャツを着て、一人デモをしています。リハビリの会場などで議論をふっかけられたりしています。

🌻 意気盛んなかずちゃんですね。🌻

 ところで、法的には、現在の日本に「家父長制」はありませんね。1947年5月3日の現憲法施行により、1898年制定された家族制度は消滅し、家父長制は「ぶっつぶれた」わけです。しかし、現憲法下の現在の日本においても、日本人の精神の中には明治憲法並みの精神構造の人が少なからずいるように、家族観においても、すでにほろびた明治の家族観が生きていて、家父長制などという亡霊も時に顔を出すみたいです。現代の若者が「家父長制をぶっつぶす」というTシャツを作ったりそれを着て歩いたりするのは、家父長制という「制度」をつぶすという意味じゃなくて、「家父長制的な精神のあり方、家父長制下にあったような家族観」をぶっ潰すということでしょうね。家父長制をぶっ潰すことは、「男系男子のみ」というバカバカしい天皇制も潰すということになるでしょう。家父長制は制度としてはぶっつぶれたけれど、男系男子の天皇制がぶっつぶれないかぎり、ほんとうのジェンダー平等は実現しません。自分の夫を「うちの主人が」と言ったり、他人に「おたくのご主人は」と言ったりするのはまさに「家父長制」下の家族観にどっぷり浸かっていることになりますね。