2022年3月8日火曜日

NO.450  2022年3月8日(火)ジェンダー平等問題を考える〜その2〜

🌻 第2回 🌻

*これから書くのは自分でもよくわからないこともあるので、説得力がないと思いますが、これをお読みの方の(中でもメディアに関わる人)のご意見を伺いたく、書いてみます。

* ジェンダー平等問題を考える時、 わたしは、日本語の言葉の問題を考えます。

 日常生活で言えば言葉としてまず、「男女」(「女男」とは言わない)「男勝り」「女々しい」「夫唱婦随」などなど。調べればまだまだあると思うけれど。また、小学校の出席簿などもまず男子から。少し前から「男女混合名簿」も採用されてきたようだが決して「女男混合」とは言わない。つまり女性と男性を一緒に考える場合の言葉は、つねに「男」が先。どうでもいいじゃないかという人もいるかもしれないけれど、常に「男」という文字が先に来ると、男性そのものが女性より上という刷り込みがされる。「男女」はいいけれど「女男」なんて座りが悪いと感じるならば、それはもう、まず「男」が先と刷り込まれているからでしょう。

 個人的体験では、かつて(60年も前)結婚後3年くらい経った時、夫の母から「あんたは石女か」となじられたことがあった。生涯で一度、これほど侮辱されたことはないと、今でも思い出す。まさに「女は子どもを産む機械。子どもを産んでなんぼ」ということ。「3年子なきは去れ」ということばもあったね。

 1999年6月23日公布、施行の「男女共同参画社会基本法」内閣府の英語表記では、gender equality としているそうだ。

男女共同参画をgender equality と訳すのがいいのかどうか私にはよくわかりませんが、メディア関係の皆さんはどうお考えでしょうね。LGBTという略語が市民権を得ている現在、「男女共同参画」という言葉も問題がないかどうか、考えてみる必要があると思う。

←ハクモクレン

そういえば、『女の腐ったような』という言い方があったのを思い出して、ネットで調べたら、「精選版 日本国語大辞典」の解説に

『ぐずぐずしていて、意志、態度などのはっきりしない男をあざけっていう語。』

とありました。すごい!



究極の男尊女卑の言葉!まさかもう「死語」だと思うけれど!