2022年3月6日日曜日

NO.446 ジェンダー問題

🌻 このマークは「ブログ筆者のマーク」ですが、つけたりつけなかったりですみません。とにかくボケが進んで、忘れ物が増えました。誤変換に気づくのも遅くなって、直さないまま投稿することが多く、あとで直しますが、直し忘れもありそう。よろしくご判読くださいませ。

🌻 東京新聞で3月4日、5日、6日(今日)と3日連続で「ジェンダー平等ともに/ことばの現場」という記事が載りました。

4日の第1回は<無意識の偏見自覚をーアンコンシャスバイアスー>

5日の第2回目は<「無知」と決めつけ説明ーマンスプレイニングー>

6日、今日の第3回目は、下の写真にあるように

<閉鎖的な集団 壁壊せーボーイズクラブー>

3回とも、考えさせられる内容でした。様々な差別が一向に解消されず、その中で特にジェンダーに関する差別は、する方もされる方も「差別」と意識しない場合が少からずある。今回の東京新聞の3回の連載はそれを明るみに出した意義は大きい。


 この3回の記事を読んで、ブログ読者のかずちゃんから、この記事に関連した便りが2通ありました。直接記事の感想ということではなく記事内容に関連しての便りです。

ブログに載せるにあたって、原文の写し間違いなどがあるかもしれません。表記において、はてなと思われることがありましたら、それは🌻の責任。あえて、「原文のママ」と入れなかった理由です。(まあ、99%は原文のママの筈ですが)


🍀かずちゃん便り❶🍀

今回の3回の連載を読んで、2月22日東京新聞「こちら特報部」を思い出した。「自民党の城内実衆議院議員は、21日、特報部の取材に日本の伝統的な家族観が破壊されかねない云々」と。出ました「伝統的な家族観」!(🌻注〜この発言に関してはブログ「一寸先は闇」NO.427で大きく取り上げましたので、ご参照いただきたく) 4才で産みの母を亡くし11才で父を亡くした私は、68才の今日までを小中高校の教師、隣のおばさん、友人たちと、およそ「家族」と呼称されぬ人々に支えられて生きることができました。今回言われた「伝統的家族観」という言葉を聞くたび、私は、この言葉の「外に」いるんだなあと、幼い頃から思ったものでした。

 しかし長じて、こんなものは存在しないのだ、あるのはその人その人が生きて作り出し、紡ぎ出してきた「人間関係」なのだ、人と人との出会いなのだとつくづく知りました。それは千差万別、豊かで色とりどりの「人生」という創造物です。「伝統」などという陳腐で得体の知れない言葉に規定されるようなものではない。差別しか生まない貧相なものではない。

 近年、人間存在そのものが、豊かで無限に広がる「LGBTQs」という認識が、多くの人の、血の滲むような犠牲と努力の末に、市民権を得てきました。ひとのあたりまえのありようとして、しっかりと根を張りつつあります。屹立しています。

 悲しくなるようなことの多い現代で、私が人間という存在に希望を持てているのは、この「多様で豊かな人間存在」という認識があるからです。

🌻 分量の関係で、「かずちゃん便り」その②は次号に!🌻