2022年3月5日土曜日

NO.445 東京新聞3月5日(土)ジェンダー平等ともに<ことばの現場>(中)


 沈丁花開花

人間どもの馬鹿げた行動を

嘲笑い

自然はマイペースで

時が来れば花を咲かせる





















東京新聞記事の第2回目の今日は マンスプレイニング

こんなことばを、私は知りませんでした。22歳から54歳まで公立小学校(初めの2年間は公立中学の特殊学級担任〜当時は障害児学級とは言わず特殊学級と言った)の教員だったが、マンスプレイニングと感じたことはなかった。むしろ、新卒の頃は年配の女教師からの嫌がらせが多かった。最初に闘ったのは「お茶汲み反対」だった。最初の小学校では、職場で一番若い女教師は、早く出勤して、職員室の先輩教師の机にお茶を配るのが慣例だった!そうするのがあたりまえと年配女教師から言われてびっくり。断固拒否!お茶汲みのために教師になったんじゃない。お茶を飲みたければ自分で飲めばいい。職員室の隅に茶器やポットが置いてあるんだから。そんな暇があったら子どもたちのノートを読んだり、教材研究をする。それが教師の務めだ。なんてね!男女半々くらいの職員だったがそうすかん。今から60年前のお話(😀)というわけで「マンスプレイニング」という言葉を知るチャンスがなかったのは、幸せなのかな。「男性が女性に対し、見下した態度で説明する」だなんてねえ!今日の記事に書いてある、記者会見の場でのことなど、ほんとにびっくり。しかもこの例が昨年の話なんだから余計に驚く。長いホモサピエンスの歴史の中で、いつから男性が女性を見下すようになったのかしらね。今の世界のリーダーと言われる政治家なんか見下したい男ばっかりだけどね。