2024年4月27日土曜日

NO.1115~2024年4月26日(金)〜「教員のなり手がない!?」〜東京都教員採用試験、今は昔の物語〜

 🌻 2024年4月26日(金)東京新聞夕刊1面左側の大見出しを見て驚く!

「教員試験前倒しへ 25年度人材確保へ5月実施 文科省」

10年ひと昔というから、私が22歳で教員試験を受けたのは62年前なのだから、ろく昔のことになるのね。15倍の競争率を突破して、東京都の採用試験に受かった22歳の私が天にも昇る嬉しさのなかにあったことを思うと、62年後に、教員のなり手がないなどということになるとは、どう考えても理解できない。なぜ、そんなことになってしまったのか。               

 その分析は置くとして、まずは62年前の私の日記を。

 街は、そして街行く人々は、年の暮れで忙しそう。毎日ノイローゼ気味だった私も、今日でそれから解放された。合格したのだ。東京の教員試験二次もパス!つきすぎている感じ。到底ダメだと諦めていた。すべてがこの秋、教育実習でご指導を受けたM先生のおかげという気がしてならない。15倍という競争率の教員試験に到底受かる気がしなかった。そんな悩みを話して相談した時に「どうしても成し遂げたいという執念の勝るものが勝つ。最初から諦めの気持ちでいたら受かるものも受からない」と言われた。その言葉に励まされて臨んだ結果だった。全ては先生のおかげだ。今年はもう、お会いすることもないが、3学期が始まったら、結果の報告に伺い、教師としてのありかたなど、いろいろお話を聞けると思う。

 今夜の星は一段と輝きを増している。私はこれで東京の公立中学の教師への道を進むことができるのだ。ほんとに夢のような気持ちだ。M先生!ほんとにほんとにありがとうございました。>

そして、この夜、私は、安アパートの四畳半の部屋で、同居していた弟とビールで乾杯したのでした。後に、都立高校の教員になった弟は、20代の若さで、北アルプス槍ヶ岳で帰らぬ人となってしまいました。

 憧れの教員になった自分の若かりし頃を思いながら、そしてその後の充実した教員生活を思い出しながら、なぜ教員の仕事が嫌われ、「ブラック職場」などと言われるようになってしまったのか、悔しいというより、そんな職業、そんな職場にしてしまった元凶は誰なのか、怒り心頭だ。元凶の第一は、教育を軽視・蔑視してきた政治家そして、その政治家のいいなりになってきた行政つまり文科省の役人達だ。


 発見!!!ルリちゃん! 教員のなり手がないなんて!今を去る62年前、15倍の難関を突破して(?!)憧れの東京の教員になる道のスタートラインに立った私には、全く信じられない世の中になったものだと、鬱々とした気分で庭に出て、愛しい花達を眺めていた私の目に飛び込んできたもの。
なんとまあ、とうとういなくなってしまったのかと、諦めかけていたルリちゃんです!私のパソコンアルバムに、ルリちゃんの姿が最後に見られるのは、去年(2023年)の、12月12日でしたから、ルリちゃんは、地面の下で、じっと冬を耐えていたのね。ようく見ると蕾もいくつか見えます。まあ、生きていたのね!!!よくがんばったね!!!やっぱり人間達より植物の方が信じられるわ!