2023年3月13日月曜日

NO.815〜2023年3月13日(月)あっというまに日が過ぎていく

 🌻 あと少しで13日も過ぎて、3月14日になってしまう。慌てて去年の3月8日のブログを引っ張り出して載せました。1年前は元気だった。

NO.449 2022.3.8(火)ジェンダー平等問題を考える〜その1〜

 🌻 「ジェンダー平等」古くて新しい問題ね。ホモサピエンス登場の初めからジェンダー差別も誕生し、多分、ホモサピエンス絶滅の日まで、ジェンダー差別問題は終わりを見ないだろう、なんて言ったら、元も子もない、差別問題に真剣に取り組んでいる人や団体に水を差すのかと叱られるでしょうね。そういう後ろ向き発言をしたくなるほど、「ジェンダー平等」問題は根が深く、幅が広いと思います。今日の私の言いたいこと、言わねばならぬことは、「ジェンダー不平等は、生活のあらゆる場面に」というテーマ。多分長くなるので、何回かに分けて書くことになると思います。

🌻 まず第1回 🌻

お茶汲み拒否 3月5日のブログNO.445にも書いたけれど、教員になって3年目、憧れの教員生活。中学の「特殊学級担任」から本来の希望の小学校教員として転任した職場。まず言われたのが、朝早く来て、職員室の全員にお茶を配ること。用務員さん(今は用務主事さんという)が、職員室の隅にポットと急須と教員各自の湯呑みを置いておく、そこでお茶を淹れて、各自の机に置く、その仕事を新任の若い女教師がするというのが慣例だった。とんでもない!お茶なんか飲みたければ自分で淹れて飲めばいい。そんな暇があったら、子どもたちのノートを読んだり、教材研究する。というわけで私がお茶汲みしなかったら、年配の女教師がしていた。そして私は女性教師たちに嫌われた。まさか今は、お茶汲みが女性の仕事なんていう職場(学校に限らず)はないでしょうね!

教師への贈り物廃止。同じ職場で、これはジェンダーとは関係ないけれど、親たちが盆暮れに担任に贈り物をする習慣があったのを、なくした。確か5月頃のPTA総会で「贈り物ができない家庭もある。子どもが、友達に、うちは先生に〇〇を送ったなどというのを聞くと腹がたつ。やめてほしい。「先生へのお礼の気持ち」というから、それはハガキ1枚で結構ですといたら、大勢の保護者が拍手をしてくれて、贈り物廃止が決まった。会が終わって、職員室に戻ったら、年配の男性教師が私を睨みながら、大声で「あ〜あ、今年からは、お中元もお歳暮も来ないぞ〜」と言った。なんてさもしいんだろうと思った。教員3年目の給料で6畳のアパート(トイレ、キッチン共用)を借りて暮らす私、楽ではなかったが、子どもの保護者からのプレゼントを当てにするようなさもしい心の持ち主にはなりたくないと思った。

 そこに3年いて、転任した杉並の小学校でも、プレゼント廃止を実現。その時は孤軍奮闘でなく同じ思いの仲間がいたのだが、廃止前の職員室では、自分に如何に高価なプレゼントが届いたかを自慢する姿もあった。男性教員に多かった。

*1991年、5月25日、今から31年前、私51才(若かった!)の新聞投稿を。(最初の投稿、最初の掲載)。朝日新聞「声」。タイトルは<5月10日 『みそ汁発言』女性差別です>53才高校男性教員が合宿での食事で、みそ汁を残す女生徒について「この生徒たちが妻になったら、亭主はみそ汁を作ってもらえないのかと思うと、気の毒に思えた」と書いたのですよ。それに噛み付いた私です。31年前は、こんな男の投書が載ったんですね。でも、現在でも、内心「妻にうまいみそ汁を作ってもらえる夫は、しあわせ」なんて思う男がいるかも。あるいは美味しい夕食を作って夫の(もしかしたら主人の)帰りを待つ妻になりたいなんて思う女がいるかも。女が互いに足を引っ張りあったら、ジェンダー平等は実現しないと思われそうだが、男が全て女性差別者じゃないのと同様、女の中にも、差別されているとは思わない人がいるのも事実。そこがジェンダー平等が100年経っても実現しない理由の一つだと思う。