2023年8月27日日曜日

NO.958〜2023年8月27日(日)〜去年の8月22日の「一寸先は闇」再掲〜

 🌻 最近の世界情勢、日本情勢全てにおいて希望が見出せず、「この世界の片隅に」生きていることが罪深いことのように感じられる昨日今日だ。ブログもやめようかなと思ったりするが、生きている証だから、なんとかしようと、以前の記事を読み返し、再掲することが多くなった。今日もそんな気分で、去年の8月22日を再掲する。

NO.659〜2022年8月22日(月)東京新聞今日の夕刊7面記事に違和感

 😡 今日22日東京新聞夕刊7面の記事<天皇は特攻に涙>は、どのような意図があるのか。私はこのブログNO.647(今年の8月15日)で、「近衛上奏文」(1945年2月14日)を取り上げ、泥沼戦争の早期解決、つまりギブアップを進言したが、もう一度戦果をあげてからなどと言って「上奏文」を取り上げなかったことや、1945年7月26日のポツダム宣言を即受け入れなかったがために、広島長崎への原爆投下をよんでしまったことを取り上げ、昭和天皇の戦争責任を言った。ところが今日の写真の記事は、昭和天皇のこれらの戦争責任を無視しているように見える。「特攻に涙」とか、「兵士・戦況への関心」とか「戦後を憂慮」とか、さも、昭和天皇がこの戦争を心配し、国民を心配していたかのような取り上げ方をしている。国民の心配よりも天皇制が守られるかどうかが一番の関心事だったのではないか。アジアの国々の人々が被った大きな被害、日本の原爆被害や国中に広がった空襲被害、アジア太平洋戦争で無駄死にした多くの国民、その責任は「神国日本」の最高権力者である天皇にある。極東軍事裁判で、オーストラリアは天皇訴追を主張したというが、戦後処理をうまく進めるためには、天皇訴追はせず天皇制も残したほうがいいというアメリカなどの意見で、天皇は何のお咎めもなかった。それが国民主権を謳った「日本国憲法」の第1章(第1条から第8条まで)に天皇条項を置くということになってしまった。私が学んだほんのわずかな知識からでも、昭和天皇の訴追をしなかったことが、戦後の日本や日本人のあり方を規定し、今に至るも「男系男子によって引き継がれる『天皇制』」が存在している。『象徴天皇制』などという、誰に聞いても確かな説明はできないだろう制度に日本人の精神は縛られている。戦後77年、もう一度「天皇制」をどうするか考え直してもいいのではないかと思う。そんな気持ちでいるときに、昭和天皇は「特攻」に涙したなどの大きな記事を見せられるとは!せめてその記事の隣に、「近衛上奏文」や「ポツダム宣言」受け入れを伸ばした経緯を載せて欲しかった。大学生が学生生活半ばに「天皇陛下万歳!」と叫んで(実際は叫ばされて)戦地に送られ、多くは戦死したその事実、天皇のために戦った指導者の多くは絞首刑となり、昭和天皇は訴追もされず、退位もせず、その子や孫が、敗戦後77年の今も天皇制を守っている。

 このブログでも何度か取り上げた、私の尊敬する詩人「茨木のり子」の詩をもう一度引用。


   四海波静    
       茨木のり子詩集<自分の感受性くらい>78ページより

戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます

思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(エラ)ぎに笑(エラ)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味悪い群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘