2022年11月6日日曜日

NO.699〜2022年11月6日(日)〜母の記(4)這っても黒豆〜

🌻  「這っても黒豆」その心は?黒い虫が畳の上にいた、ありゃ黒豆だよ、と言っているうちに虫が動き出した、やっぱり黒い虫だよ、這い出したじゃないか、いや、あれはやっぱり黒豆だ、とまあそういうことで、その心は「気が強い」「強情っぱり」「負けず嫌い」。父は母のことをよく「うちの母ちゃんは這っても黒豆だからなあ」と言っていた。嘆きとも、自慢とも、とにかく決して否定的な言い方じゃなかった。なにしろ、そんな強気な「母ちゃん」に支えられて、病気も乗り越え、貧しい家計もやりくりしてくれたのだからね。

 「這っても黒豆」の母は、しかし弱いものいじめは絶対にしなかったし、田舎にありがちな「差別」もしなかった。終戦直後の日本、様々な差別が存在していた。まして地方には、いわゆる「被差別部落」のなごり「被差別部落出身者の家」などが残っていた。私の故郷にもあったが、母は絶対にその人々を差別することはなかった。その人達の一人が、何かの用事で我が家に来た時、母は囲炉裏端に上がってもらってお茶を出した。近所付き合いのごく当たり前のことだったが、その人は、家に上げてもらってお茶をよばれたのは初めてだと言って感激したという。そんなエピソードを大人になってから聞いた。私と妹が現在父母の思い出話をする時に、その話もよく出てきて、そういうおかあさんで本当に良かったよね、だから私たちも、被差別部落出身かどうかなど全く考えたこともないし、白人黒人、出身国などなどによって人間を差別するなどといういことは夢にも思わないよね。と言い合っている。

 妹に聞いた噴飯もののエピソードを。彼女は日本社会事業大学を卒業。都内のある区で、児童福祉の仕事をしていた。彼女が学童館の館長をしていた時、自分の子どもを優遇せよというような理不尽な要求をしてくる母親がいたという。「申し訳ありませんがご希望には添えません。館のきまりがありますから」と言ったところ「うちの主人は都議会議員の〇〇ですのよ。ご存知ないかしら」と言ったので、「存じ上げませんし、都議会議員のお子さんであるとなかろうと、特別扱いはできません」と言って、理不尽な要求をはねつけた。

「よくやったね!」「全く都議会議員が何様だっていうのよねえ」と妹と私は大笑い。でも、区の課長級なんかは、都議会議員というとペコペコしていたみたい。都議会議員どころか、区議会議員が視察というか、見学に来るなんていうと児童館の掃除を念入りになどということがあったらしい。学校にもそういうくだらない話はあったわね。母の話からだいぶそれましたが、現在の日本においても、世界中でも、「様々な差別問題」は、未だに解決されない根の深い問題だ。どうしてなのか、私には理解できない。話はそれるが「杉田水脈」のような国会議員は、国会議員の資格なし。すぐやめるべきだと思うが、これは差別かな?ちがうよね!

11月6日午後6時

二階の窓からパチリ。

12夜の月と

右上小さく見えるのは

木星です。