🌻 ブログ「一寸先は闇」のNO.693に以下の投稿をしました。N0.693~2022年10月28日(金)〜おかあさん〜75年前の「つづりかた帳」より。同じつづりかた帳には、次のような作文も載っています。
「うさぎ」(原文のママです)
わたくしの家には、うさぎが十ぴきいました。六ひきはおやうさぎで四ひきはこうさぎでした。きょうはおやうさぎをみんなころしてしまうといっていました。わたくしはうさぎをころすのをみていたらかわいそうでなみだがでてきました。こうさぎはおかあさんうさぎとわかれるのはかなしいだろうと思いました。わたくしもおかあさんがしねばかなしいのだから、まだ子うさぎはあかんぼみたいなのにほんとうにかわいそうだとおもいました。
担任の先生の評がかいてあります。
「なおちゃんが大じにそだてたうさぎだから、よけいにかわいそうだったのでしょう。のこったうさぎを大じにそだててやりましょう。
82歳のナオコばーちゃんの解説〜よくわかりませんが、飼っていたのはアンゴラうさぎで「毛皮」をとるために殺したのじゃないかと思います。
この先生は1年生からの持ち上がりでした。女子師範学校を出たばかりの優しい可愛い先生でした。今でもはっきり顔を思い浮かべることができます。もしご存命なら97歳のはずですが、申し訳ないことに現在の消息は存じ上げません。
きょう、これを載せる気になったのは、人間界の出来事が耐えられないほど劣化しているので、敗戦後2年、1947年の小学校2年生の私は何を考えていたのかなと思ってね。貧しい暮らしのなかでも、優しい気持ちを持っていたのですね。それから75年、なおちゃんは怒れるばあちゃんになり、最近は怒り疲れて、もう、どうにでもなれと投げやりになっています。