2022年11月13日日曜日

NO.704〜2022年11月13日(日)〜母の記(7)嫁いり道具は「シンガーミシン」〜

 🌻 関東大震災後、東京での勤めを辞めて帰郷したけれど大地主の金持ちの農家」への嫁入り話を蹴って、再び上京してきたしっかり者の母。一族の庄屋で財産もある家柄なのに、父親が没し、あとを継いだ長兄から進学を拒否され、東京で歯科医を開業していた次兄を頼って上京してきた末っ子の父。そんな二人の結婚は、母にとって大きな決断だったと思います。が、その結婚に際して、母が父親に頼んだのが、当時の一般的な嫁入り道具ではなく「何にもいらないけれど、シンガーミシンだけは買ってほしい」ということだったのですから、なんだか凄い話だなあと思うのです。シンガーミシンはアメリカ製です。ミシンを買ってもらって、家族の衣服は自分で作ろうということだったのですね。

 そうして、ミシン一つで結婚して21年後、太平洋戦争の敗戦濃厚になったころ、百科事典とともにミシンもいち早く信州の父の実家に疎開しておいたのでしょう。戦後、私が小学生だったころには、縁側にミシンが置いてあったのを覚えています。たしか、村の学校にもミシンはなかったと思います。

 思えば、平塚らいてう」が生まれたのが1886年、母は1902年生まれ、母が結婚した1924年当時は、「らいてう」など新しい女性が活躍していた時代だったのですね。母の記(5)に書いたように、1949年父が病気になり、母は野良仕事、蚕も飼い、その間にミシンを踏んで子ども達の衣服も作ったのですから、スーパーウーマン。母が逝って36年、ようやく母のスーパーウーマンぶりに感嘆する私。ちょっと遅すぎ!

 母の最後の2年間は、私たち夫婦と同居したのでしたが、当時の私は現役で多忙、年金生活に入っていた夫がもっぱら母の相手をしてくれました。「ナオコはよく怒るがナオフミさんはやさしい」というのが母の口癖でしたが、私は、夫への遠慮もあって、母の言動への注文が多く、確かによく小言を言っていました。今頃になって、もう少し優しくしてあげればよかったなと思うのですが。母が逝って36年。母に優しかった夫も逝って18年。千の風になった二人は、大空を吹き渡りながら、どんな話をしているのかしら。