2024年6月30日日曜日

再開ブログNO.35〜2024年6月29日(土)〜夫の祥月命日20年目〜

🌻 2004年6月29日午後2時42分夫は旅立ちました 🌻

このブログは、一応公開はしていますが、自分の記録のため、そして親族や私たち夫婦の共通の友人知人 などへのお便りの意味もありますので、私的なあれこれも書いています。読み飛ばし、読み流し、読み捨て、どうぞご自由にお願いします。

 今日、没後20年の記録として、療養日誌の6月29日のものを記録しておきます。

🌻 2004年6月29日(火)🌻

  5時起床(当時はホスピスの彼の病室にある仮ベッドに寝泊まりしていました)、5時8分自転車をすっ飛ばして帰宅。10分で着いた。庭の池に水いれ、庭全体に水やり、野牡丹、秋明菊特に気をつける。家の内外特に変わりなし。

 6時帰院 シャワー。N 変わりないが呼吸の回数が昨日より多くなった気がする。7時半朝食。Nは生死の境をさまよっているのに、そのそばで私は食べている(ぶどうパン、ヨーグルト、りんごジュース)

 8時10分 ナース見回りに

 10時  体温37度6分 呼吸32/分 

     ドクターの言葉「よく頑張っている。生命力強い」

 10時半 ボランティアのメンバーが、病室に飾ってくれるフラワーアレンジメントを取り替えてくれた。家から持ってきている「風蘭」が芳香を放っている。

 11時半 近くのお蕎麦やさんにお昼を食べに行く。(行く前に看護師さんにOKをもらう)

     この時はもう、いつ息をひきとるかわからない状態なので、トイレに行くのも了解を得る。10年に及ぶ看病なのに、息をひきとる瞬間にそばにいなかったなんて酷すぎるので、ちょっとでもベッドのそばを離れる時は、了解を得ることにした。

     1時少し前、呼吸の状態が悪くなっているとのことで、娘に電話。

     娘夫婦駆けつける。 

 午後2時42分  主治医が、最後まで聴力はあるのです。お声をかけてください とおっしゃって、ベッドの左右にいる私と娘がそれぞれ彼の手を握りしめて声をかけた。

     娘「パパの子どもでほんとうによかった!ありがとう!」

     私「「一緒の人生、楽しかったよ、ありがとう!向こうで待っていてね!」

    その直後、呼吸を示す風船がす〜っとしぼんで、「ご臨終です」と主治医の声。午後2時42分。

 泣く暇もなく、病室を飛び出し自転車で帰宅。彼が病院の車で帰宅するのを迎えるための様々な準備などで、大忙し。詳細は記憶にない。ともかく暫くしてお棺に収まった彼の亡骸が帰宅。

  療養日誌の最後の記述⇨「30日お通夜、7月1日葬儀」お棺には、最後に着ていたパジャマ、タオルケット、麻の夏掛けをいれた、亡骸の周りは家に咲いていた花々でいっぱい。親族友人のみの私的なお葬式。遺言によってお墓は私が決めたところに。夫の郷里や夫の親族親戚などとは関係のないところ。骨壺が6人分入れるということで、少なくとも私の骨壺はそこにおける。あと4人分は誰が入るのかしら。

🌻 20年前の記録を読み返すと、20年という時間があっという間に過ぎ去って、私は2024年6月29日の朝にいる。今思うと、あの日の早朝、自転車をすっとばして家に帰ったのだが、夫の臨終が近いという時、よく事故を起こさず家に着いたなあと、今頃怖くなる。そしてあの時、そのあと一人暮らしが20年も続くとは、全く考えられなかった。人間の命は儚いものだけれど、また強いものでもあるなあと実感する。私の弟は、24歳の時、槍ヶ岳頂上付近の小屋で病死した。義姉は30歳前に第二子出産前の「胎盤早期剥離」で母子ともに亡くなった。(私はそれがトラウマになり「妊娠」を拒否した)、夫は、66歳、台湾旅行中に危篤状態と言われながら生き延びて、そのご入退院を繰り返しながらも、医師も驚く生命力で77歳まで生きた。

 しかし、今現在の人類社会の有り様を見ると、彼のような人にはもっともっと生きていて欲しかったと思う。東大法学部卒業後、将来を約束されながら、大人の弁護士になるよりは・子どもの人権を守りたいと、家族親類縁者の期待を裏切って、敗戦直後の日本で混乱していた教育の世界に飛び込み、政治家にもならず法曹界にもいかず、東京下町の親を亡くしたり、貧困にあえいでいた子どものために働く公立中学の教員になった。東大時代の親友たちは、それぞれ弁護士や裁判官として成功。しかし、彼らは夫の志を尊敬し、私たちの結婚式に参列してくださって「われわれの仲間で最も優秀な彼が公立中学の教員になったことに敬意を表します」とスピーチしてくれて、私は感激した。当時の東大は南原繁総長の時代。

 南原繁先生の著書「母」が、現在、夫の遺産の中の最高のものとして我が家にあります。

奥付には <1949年6月30日 中央公論社 栗本和夫発行 定價130円> とあります。

表紙裏には、夫あてに、<〇〇〇〇君一家に> という南原先生のサインがあり、

裏表紙には、夫の字で 

1951年11月29日 南原総長最後の面会日の最後の面会人として、ぼくは、先生に会った。

話の序でに先生は ぼくの家族のことを尋ねられ、皆でよんでほしいと この書を賜った。

とかいてあります。

 以下の話は、私だけの思い出話で、公にするべきものではないと思うけれど、このブログは公開してはいるものの、お読みくださるのは友人親族のごく限られた人たちなので、ご容赦くださいね。ただ、私は、彼との出会い(22歳)から別れ(64歳)までの40年間を人生でもっとも素晴らしい時間だったと思っています。彼は亡くなるひと月前、意識がしっかりしていた最後の日に、私宛の手紙を書き残してくれました。人生を振り返って様々なことを書き連ねた結びの言葉は「お詫びのしようもなく、感謝のしようもない、その上、これからまた様々な面倒を掛けると思うが、お願いするより仕方がない。よろしくよろしく頼みます」いつ読み返しても何度読み返しても、涙する私です。素晴らしい人に出会えて、悔いなき人生だったと。


2024年6月28日金曜日

再開ブログNO.34〜2024年6月28日(金)〜26日27日と過ぎてしまった!

 😢😔 言い訳するのも恥ずかしいなあ、ともかく日の経つのが早いというか、時間の経過に認識が追いつかないというか、困ったちゃんです。26日、27日の記録がないまま今現在の時刻は6月28日(金)午前4時20分。あれこれ思い、書いておかなくてはと気持ちばかりが走り、気がつけばあっという間に、時が過ぎ、書き始めの内容とは違うことを書いてしまったり。認知症初期段階でしょうかね。まあ、愚痴るのはやめにして、26日(水)と27日(木)をざっとおさらい。

😊 26日(水)は、「お父様の祥月命日」をまえに、娘がお参りに。娘は都立高校の英語教師を定年退職後、私立高校の英語教師になって元気に働いています。やはり退職した夫と娘二人。娘たちはそれぞれ大学卒業後、公務員。夫の母も私より年長ですが元気に一人暮らし。娘一家が元気に暮らしていることは本当にありがたいことです。娘の夫は私のパソコンの先生で、年中迷惑をかけている私に、根気よく優しく教えてくれます。おかげさまで、拙いブログに庭の写真を載せることもでき、「ボケ防止」と言い訳しながら「パソコン麻雀」を楽しむこともできます。

😊 27日(木)は、暑い中を街までお使いに。銀行やら、スーパーやら、おなじみの「越後屋」さんやら長いお付き合いのお茶の「繁田園」さんやら。巻き爪の足が痛くなるほど歩きました。というわけで、ブログが2日もお休みになってしまいました。

😊 で、28日(金)今日ですが、あすはいよいよ祥月命日。 「お父様」が「千の風」になってはや20年!過ぎてしまえば、あっというまです。明日が祥月命日ですが、20年前の今日、2004年6月28日はどんな日だったのかとその前、1993年5月27日からの記録を読み返しました。

 1993年5月27日、すでに退職していた夫は台湾旅行を楽しんでいた最中に倒れて、私の勤務していた学校に知らせがきました。何が何だかわからないまま、迎えに行き、ファーストクラスで連れ帰り、空港から寝台車で帰宅しました。私は54歳で早期退職をして看護に専念。夫は国立病院に入退院を繰り返し、2004年6月20日、家の近くの病院のホスピスに入院。その夜、主治医からモルヒネを増やしたいので了解をという電話があり、万事よろしくとのお返事をしたのでした。その後は私も病室の仮設ベッドに泊まり込み、朝、自転車を飛ばして帰宅、家事をすませてとんぼ返り、という日々。29日朝、いよいよ危ないということで、娘の勤め先に連絡。彼女も駆けつけ、午後2時42分、私と娘がベッドの両側から手を握ぎって声をかけ、永遠の眠りについたのでした。今、2024年6月28日午前6時前、こうして20年前のあれこれを思い出しながら書いていると、20年という時間があっという間のように思えたり、ずいぶん昔のことのように感じられたり。

 夫が逝ったのは77歳と半年。私はすでにその年を7年も過ぎました。11月26日が来れば85歳!もう十分だなあという気がします。長く生きてこんな良い世の中を見ることができたというのなら、もっともっとと思いますが、年々、ホモサピエンスの劣化の速度が早まり、地球全体を破壊しかねない「核戦争」さえ現実味を帯びてきている今、できることならまだ、美しいままの地球で千の風になりたいなあ。

 ただいまの時刻6月28日午前6時半、外は明るくなりましたが小雨模様です。これから一眠りします(😉)

2024年6月26日水曜日

再開ブログNO.33〜2024年6月25日(火)〜NHKBSシネマ〜「カサブランカ」

 🌻 NHK・BSシネマの大ファン。このところ続けて、若かりし頃夢中になった作品を取り上げてくれるので嬉しい。すでに終わったのが「大いなる西部」グレゴリーペッグ、チャールトンヘストン、二人とも大ファンだったのですが、チャールトンヘストンは、のちに「全米ライフル協会会長」になったとか、風の便りに聞いて、ファンをやめました。ペッグの方はその後も、「ローマの休日」や「アラバマ物語」など、何回見ても感動します。

 今日27日は、これまたテレビですが、何回も見た、忘れられない名画。ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマン(二人とも大好き)、第二次世界大戦下の、悲恋物語。戦時下であってもあんな物語があった。カラーではないだけに、いっそう心に残る。音楽がまた素晴らしかった。学生時代、爪に火をともす貧乏生活の中で、もちろんテレビなど持っていなかったから、食費を削っても「洋画」中心の名画座には通った。NHKBSでそんな懐かしい名画を時々放送してくれるのでうれしい。

 現在は、繁華街には何年も行ってないし、人ごみアレルギーで、電車に乗るのも気が進まない。若い頃には想像もしなかった「隠居生活」で、テレビでは往年の名画と自分でもびっくりするほど「時代劇」ドラマにはまっている。現代劇のドラマでは、腹の立つ展開が多いけれど、時代劇では「そんなもんだよなぁ」と無責任な感想で見ていられるし、往年の名優たちが見られるしね。今ほど機械に頼らないから、俳優の演技にも力が入るし、などと勝手な理屈をつけて楽しんでいます。われながら、「60年安保闘争の闘士」はどこに捨てたのかしらと苦笑。

 カサブランカから話は逸れましたが、84歳7ヶ月の独居老人、昔の映画や時代劇、小さな庭の四季の移り変わりを愛で、時には昔感激した本を取り出したり、まあ、退屈する暇はありません。29日(土)は亡夫の祥月命日。

写真は去年の6月29日の庭。

今年はどうかな。



2024年6月24日月曜日

再開ブログNO32〜2024年6月24日(月)その2〜ヤブカンゾウなど

 ヤブミョウガ
 
ヤブカンゾウ



秋の花 

みずひきが

咲きはじめ

再開ブログNo.31〜2024年6月24日(月)沖縄慰霊の日の高校3年生仲間友佑さんの「平和の詩」

🌻  今日の朝刊は、毎日新聞も東京新聞も仲間友佑さん(沖縄県立宮古高3年)の「平和の詩」全文を掲載しました!よかった!私も全文掲載します。以下は毎日新聞記事を書き写しました。改行、句読点すべて記事のままを書き写しました。新聞は縦書きですが、私の都合で横書きに。句読点が付いていないのも原文のままです。

「平和の詩」全文(原文のまま)

「これから」

短い命を知ってか知らずか                 

蝉が懸命に鳴いている

冬を知らない叫びの中で       

僕はまた天を仰いだ


あの日から七十九年の月日が

流れたという

今年十八になった僕の        

祖父母も戦後生まれだ

それだけの時が           

流れたというのに


あの日               

短い命を知るはずもなく

少年少女たちは           

誰かが始めた争いで

大きな未来とともに散って      

逝った


大切な人は突然           

誰かが始めた争いで

夏の初めにいなくなった       

泣く我が子を殺すしかなかった

一家で死ぬしかなかった       

誰かが始めた争いで

常緑の島は色を失くした       

誰のための誰の戦争なのだろう

会いたい、帰りたい         

話したい、笑いたい

そういくら繰り返そうと       

誰かが始めた争いが

そのすべてを奪い去る           


心に落ちた             

暗い暗い闇はあの戦争の副作用

微かな光さえも届かぬような     

絶望すらもないような

怒りも嘆きも失くしてしまいそうな  

深い深い奥底で           

懸命に生きてくれた人々が

今日を創った            

今日を繋ぎ留めた

両親の命も             

僕の命も

友の命も              

大切な君の命も

すべて


心に落ちた             

あの戦争の副作用は

人々の口を固く閉ざした       

まるで

戦争が悪いことだと         

言ってはいけないのだと

口止めするように          

思い出したくもないほどの

あの惨劇がそうさせた        


僕は再び天を仰いだ         

抜けるような青空を

飛行機が横切る           

僕にとってあれは

恐れおののくものではない      

僕らは雨のように打ちつける

爆弾の怖さも            

戦争の「せ」の字も知らない

けれど、常緑の平和を知っている   

あの日も

海は青く              

同じように太陽が照りつけていた

そういう普遍の中にただ       

平和が欠けることの怖さを

僕たちは知っている


人は過ちを繰り返すから       

時は無情にも流れていくから

今日まで人々は           

恒久の平和を祈り続けた

小さな島で起きた          

あまりに大きすぎる悲しみを

手を繋ぐように             

受け継いできた


それでも世界はまだ繰り返してる   

七十九年の祈りでさえも

まだ足りないというのなら      

それでも変わらないというのなら

もっともっとこれからも       

僕らが祈りを繋ぎ続けよう

限りない平和のために        

僕ら自身のために

紡ぐ平和が             

いつか世界のためになる

そう信じて             

今年もこの六月二十三日を

平和のために生きている       

その素晴らしさを噛み締めながら

                   (県平和祈念資料館提供)

🌻十分気をつけて書き写しましたが、もしかして書き損じがあるかもしれません。お気付きのことがありましたらご一報くださいませ。よろしくお願いいたします。

(プロテアリリコ)


2024年6月23日日曜日

再開ブログNO.30〜2024年6月23日(日)〜沖縄慰霊の日〜

 🌻 「沖縄慰霊の日」の式典の模様テレビずっと見ていました。

 沖縄県平和祈念資料館が募集した「児童・生徒の平和メッセージ」に応募があった879点の中から選ばれた、県立宮古高校3年生の仲間友佑さんの「これから」を、仲間さん自身が朗読しました。長い詩を原稿を読むのでなく、全て覚えていて、まっすぐ前を向いて語った姿に、詩の内容とともに感銘を受けました。この高校生の祈りにも似た言葉に、私たち大人がどう答えていくかが問われていると思います。明日の新聞に詩の全文が載りますように!

🌻 現在、手元にある沖縄関連の本



 

















🌻 購読2紙 今日の朝刊から 🌻

毎日新聞は、1面トップ記事に<「ひめゆり」の記憶つなぐ>を載せました。社説は2本で最初に<今日沖縄慰霊の日 国は対話通じ痛み共有を>を載せました。

東京新聞は、20面に<沖縄きょう「慰霊の日」終結79年防衛力増強に懸念>を載せました。社説は<沖縄を再び戦場にしない>を載せました。

🌻 なお、沖縄関連ではありませんが、今日の東京新聞朝刊5面 <「時代を読む 「拝啓・小池百合子様」法政大学名誉教授・前総長 田中優子> は、素晴らしかった!


2024年6月21日金曜日

再開ブログNO.28〜2024年6月21日(金)〜とにかく物忘れがひどい!!!〜

 🌻 現在時刻は21日午前7時を過ぎたところです。昨日もブログを休んだなあと思って開いてみたら、昨日どころか6月17日(月)でストップ!!!呆れ返ってしまいました!18日(火)〜20日(木)まで何をしていたのか!?

ひまを持て余すほど、何もしないぼんやりした日々なのに、ブログの他はしなければならないことなどほとんどないのに、その唯一の大事なブログを3日も休んで、まったく本当の認知症かな?と、かなり落ち込んでいるプロテアリリコバアさん( ;  ; )

 ま、嘆いてみても始まらないね。今日の大事な予定は、11時に予約してある歯医者に行くこと。上の歯は夫が逝ってしまった直後に総入れ歯にして20年使っていたのですが、顎が痩せてきて入れ歯が合わなくなり、昨年秋に保険外診療の高額入れ歯を作りました。下はだましだまし使ってきた自分の歯なので、もうかなりボロボロ。でも、下も総入れ歯にしたら楽なのにと歯科医に話したら、まだまだと言われ、時々通って診てもらっています。で、今日は歯医者通い。雨の中を行くことになるかな。

 愚痴話はこのくらいにしましょう。目下、東京は都知事選が大きな話題ですが、それにしても、なんだか政治そのものが劣化してしまって、なんともはや、という感じ。都知事選挙に56人もの立候補者がいるなんて、質の悪い見世物小屋か?まったく都民も舐められているよね、と半分呆れ半分腹を立てたところで、一休みです。たぶん続きは歯科から帰ってから、夕方になると思います。すみません。お口直しになりますかどうか、わかりませんが、写真は、ウメモドキにかわいい実がつきました。秋には赤くなることでしょう。




2024年6月17日月曜日

再開ブログNO.27〜2024年6月17日(月)〜反省ばっかり〜

😢😢  6月14日のブログの終わりに、さて、明日は6月15日ですね。2024年の6月15日はどんな日になるのかしら。と書いたのに、6月15日当日は、いろいろなことがあってブログを投稿しないまま過ぎてしまい、気が付いたら16日になっていました。16日は、「風蘭」の話になってしまい、15日当日をどう過ごしたかを記録しないうちに、今日は17日(月)。こういう間違いというか、物忘れというか、とにかく、様々な行き違いミスがとっても多くなりました。われながら酷いボケ婆さんだなあとがっくりですが、嘆いたところでしかたがありませんね。このブログを読んでくださるみなさんには、本当に申し訳有りません。  表記や内容のミス、まちがいを見つけたら、ぜひお知らせくださいね。

 ただいまは6月17日(月)午前5時を回ったところです。外はすっかり明るくなりました。朝刊も配達されました。朝刊1面トップ見出しは、毎日新聞と東京新聞とでは全く違います。これはかなり珍しいこと。紙面構成(活字の大きさや見出しの言葉遣いなどなど)は、多少違っていても、報じる出来事にはそれほど違いがないのが通常でしたが、今朝の1面は見出しの文言も記事内容もまったくちがいます。

毎日新聞(活字の種類、文字の大小などは略)

 トップ見出しは、「のめり込む母に苦悩〜マルチ2世〜製品を盲信生活は困窮」2番目は「露との早期交渉見通せず ウクライナは成功強調 平和サミット閉幕」3番目は「第95回都市対抗野球 組み合わせ決定 来月19日開幕」

東京新聞活字の種類、文字の大小などは略)

 トップ見出しは「町の判断住民守った 熊本地震 国から屋内退避要請 ▶︎▶︎▶︎ 建物損壊恐れ従わず 国の指示権拡大案 現場混乱懸念 2番目は海兵隊グアム移転12月開始 沖縄から4000人28年ごろ完了 3番目は穏やかな背にまたがって 引退競走馬と共生イベント

🌻 こうして並べてみると随分違います。新聞でもテレビやラジオのニュースでも読み比べ 見比べ 聞きくらべが大事だなあと思います。そして、様々な報道を知った上での自己判断が大事ですね。自己判断は難しい、面倒くさい、けれど報道丸呑みは危険だということでしょうね。まあ、ボケ婆さんにできることは、同じ事柄でも、報道の仕方で印象が変わるものだということや、物事の意味や価値の大きさ、違いは、むずかしいけれど、自分なりの判断基準というか、物差しをもっていたいものだということ。今日の朝刊2紙の1面記事を読み比べただけでも、今考えるべきことは何かが、かなり違ってきます。

 ぼんやりしちゃいられないなあと思いながら、でも、易きに流れて、テレビ時代劇を見たり、パソコン麻雀で遊んだり、まあ、そんなぐうたらな6月17日が始まります。                              

2024年6月16日日曜日

再開ブログNO.26〜2024年6月16日(日)〜風蘭〜

 🌻 「風蘭」亡夫が人生の最後に見た花「風蘭」!息をひきとる10日前、2004年6月20日に荻窪衛生病院のホスピスに入院した時、一緒に持っていって、病室の枕元に置いた「風蘭」!そして、永遠の眠りについた夫と一緒に家に帰っってきた「風蘭」!それから今日までずっと玄関まえの大きな岩の上に置いてある「風蘭」!今年は、花芽の芽吹きが遅くて、とうとうお別れなのかと心配していましたが、一昨日6月14日に蕾が見えました。あ〜よかった!と一安心。そして今日6月16日朝、白い花が咲きました。でも、4年前とは比べ物にならない可哀想な姿!

 * 2020年の風蘭
 






* 4年前は上の写真のように賑やかだったのに

なぜか今年は、こんな姿になってしまいました。

 なぜなのか理由は、わかりません。

 「風蘭」は、蘭の中でも、とっても貴重なものらしく、何年か前に見たイギリスのミステリードラマの中で、風蘭の鉢を巡って「殺人事件」が起きるという場面があり、驚いたものです。

 そんな貴重な花なのに、どうして今年はこんな姿になってしまったのか。夫が千の風になってから20年、蘭にも寿命が来たのか、それとも、特に手入れも肥料もせず、水は天から貰い水とばかりに、水やりもしてこなかったのがいけなかったのか、いずれ私も千の風になったら、夫に「ごめんなさいね」と謝らなくちゃいけないな。


2024年6月14日金曜日

再開ブログNO.25〜2024年6月14日(金)〜6月15日のこと〜

 🌻 前号で、6月15日は何の日と書いたけれど、もちろん1960年の安保闘争で権力に踏み潰された「樺美智子さん」の命日です。私は、そのことをあちこちで喋ったり、書いたりしてきましたが、安保闘争の最中、国会議事堂前の全学連と警官隊の衝突の中に確かに私はいました。その時、少し先の方で東大生の樺美智子さんが命を落としたのです。まかり間違えば、私だったかもしれません。

 後年、私は歌詠みだった父(1899~1979) の歌集「涓流」のなかに次の歌が載っているのを見つけました。「安保闘争」というタイトルで7首の短歌が載っているその中に、次の二首が。

警棒にて逃ぐる学生を搏つシーン樺さん殺さるるところは映さず

安保まもる警官に踏み殺されし樺美智子さんの写真に紅き薔薇をささげぬ

 大学生時代の私は、父とは疎遠でした。安保闘争の最中、樺美智子さんが命を落としたその時その数メートル後ろにいた私は、学生が踏み殺されたという叫びを聞いていたと思います。64年後の今となっては、「確かに聞いた」のか「聞いていたと思う」のか、その辺りは定かではありませんが、とにかく踏み殺された樺さんの近くにいたことは確かです。後年、父の歌集に上記の歌を見つけるまで、父と安保闘争について語り合うことも、父がこんな歌を詠んでいたことも知りませんでした。

 思えば、父は若かりし頃、ちょうど大正デモクラシーと言われた時代、左翼運動に心惹かれたようなことを聞いたことがあったなあと思い出します。上記歌集の中に

追求はアナーキズムよりマルクスにひたすらなりき我が青春期

なんていう一首も。載ってます。

 さて、明日は6月15日ですね。2024年の6月15日はどんな日になるのかしら。

ヤブカンゾウの蕾が色づき始め、紫陽花の色が綺麗です。





2024年6月13日木曜日

再開ブログNO.24〜2024年月13日(木)来週の金曜日は「夏至」!びっくり〜

🌻 本当に月日の経つのは、早い!!! 84才独居老人、時間を持て余すなんてことは全くなく、あれをしなくちゃ、これもしなくちゃと思っているうちに、なにも片付かなくて、『え〜!もう夕方だ!」『え〜もう木曜日なのか!」「やだ〜、ついこの間6月になったと思ったら、もう、来週は夏至なのか!?夏至を過ぎたら、だんだん日が短くなっていくんだよねえ」とまあ、毎朝こんな具合に一人で大騒ぎをしているばあちゃんです。今までの人生で「暇を持て余す」なんてこと、経験したことないなあ。朝起きた時「今日はこれをしなくちゃ」と思っていたのに、その何分の1もしないうちに、夜になり眠くなり・・・ヤレヤレ😢😢😢

 人間社会の醜さ愚かさ。今日の朝刊1面記事の見出しは、東京新聞<「強欲インフレ」日本の企業も。> <小池都知事3選出馬表明> 毎日新聞<「都知事選 与野党対決に」>  <「男女平等へ日本、牛の歩み〜「世界経済フォーラムまとめ」で、評価対象146カ国のうち昨年は125位、今年は118位> など。

 どう長く見積もっても、我が人生はあと数年、明日でおしまいかもしれない、そんな中で、どうしようもない世界のリーダー達に腹をたてるのもおろかしい。花鳥風月は裏切らない。今日の夕焼けも素敵だったので二階の窓からパチリパチリ。ふと上を見たら半月が。

2024年6月13日19時8分

我が家の二階から見た夕焼け


2024年6月13日19時11分

西空の半月(上弦の月〜月齢7)

2024年6月10日月曜日

再開ブログNO.23〜2024年6月10日(月)〜6月は何と言っても沖縄問題、60年安保闘争、亡夫の最後の日々。

 🌻 6月は何と言っても沖縄問題、60年安保闘争、亡夫の最後の日々。

 鉄の暴風」と言われた沖縄への米軍の総攻撃と沖縄日本軍そして人民が筆舌につくし難い状況の中で、命を落とした。太平洋戦争末期、なんども「ギブアップ」のチャンスはあった。1945年2月には、事実上敗戦だったにもかかわらず、最高司令官つまり天皇の裁可がなかった。それから5ヶ月の間に、同盟軍のイタリアとドイツもがギブアップしたにもかかわらず、天皇の裁可はなく、8月の広島長崎への原爆投下を経て、ようやく8月15日の「終戦の詔」となった。

 歴史にたらればはないというけれど、1945年2月から8月15日までの間に、数回の「ギブアップ」のチャンスがあったのに逃し、広島、長崎への原爆投下という最悪の状態を経て、ようやく終戦(敗戦)を認めた。その時、沖縄が最も酷い状況にあったのに、その沖縄をアメリカに差し出し、それから80年を経た現在でも、沖縄の犠牲は続いている。そればかりか「辺野古問題」という、なお一層ひどい犠牲を強いられている。

 私は1939年〜元号は日頃無視しているが、戦前の話なのであえて元号でいうと「昭和14年」〜11月26日生まれなので、太平洋戦争の話は、いわば歴史上のこと。しかし、おぼろげには戦時中や敗戦直後のことを覚えている。敗戦(終戦)の1945年8月15日は、満5歳と8ヶ月と20日、つまり3ヶ月と11日後には満6歳の誕生日という時だった。

 そんな幼児だったのに、多分、周りの大人達が口にした言葉を今でも覚えている。「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」 昔のことの多くを忘れている今になって、忘れたほうがいいことを覚えている。しかし、現在、我が国がアジア各地を侵略し、米英を相手に大戦争をしていたことなど、すっかり忘れたり、故意に忘れようとしたり、忘れたふりをしている、そんな輩がたくさんいるから、やっぱり、醜い過去をしっかり覚えておくことが大事だと思う。そうそう♪出てこいミニッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし♪という歌もあったよ。

 太平洋戦争での東京大空襲で九死に一生を得て、戦後の貧乏、空腹の中で、それでも大学に。奨学金、家庭教師のアルバイト、などなどで暮らす中での60年安保闘争と思い起こす中で、6月15日が巡ってくる。6月15日はなんの日?と聞いて、現在の日本人の中ですぐにあの日だと言える人は何人いるのだろう。

 自分だって日頃は忘れているのに偉そうに言うなよと、どこからか叱声が聞こえる。全くその通り!まかり間違えば、私の人生だって、そこで終わっていたかもしれないのに忘れるとは?!このことについては後日また書くことにします。

 いつも同じ結論になってしまうのが、残念というか申し訳ないというか、そんな気持ちですが、やっぱりホモサピエンスは進歩でなく退化しているような気がします。今日6月10日の毎日新聞夕刊(4版)には、EU(欧州連合)の欧州議会選挙で、右派、極右2会派が躍進という記事が載っている。やれやれ、世界中が世界戦争にでもなるんじゃないかという恐れの中にいる時に、EUという、私の認識ではどちらかというと良識派に見えるその議会選挙で、右派や極右が躍進とは!!!ホモサピエンス全体の劣化はかなり進んでいるとしか思えない。

 2004年6月29日に夫は旅立った。それからもう20年。64歳の私が84歳になったこの20年の日々。千の風になって大空から地球を見下ろしているであろう亡夫に問いたい!「そちらからは、地球の現状がどう見えるのかしら」と、「現在のこんな悲惨な地球にいなくてあなたは良かったわね、私も早く千の風になりたいな」と言いたい。

📗 「サンデー毎日」6月9日号に高橋和巳の豊穣な物語世界という記事が載っている。高橋和巳懐かしいなあと思って書棚を探したら2冊が見つかった。まだ何冊かあるはずだけれど、まず見つかった2冊をパチリ!あの頃私は若かった!





2024年6月8日土曜日

2024年6月6日木曜日

再開ブログNO.21〜2024年6月6日(木)〜庭〜


国会も都知事選も、世界中のホモサピエンスの話も、見るたび聞くたび腹の立つことばかり。読書三昧と行きたいけれど、目も悪くなる1方、目下私の最も健全なのは聴力です。外のほんのちょとした物音でも聞こえるのよ。まあ、それはそれとして、今日の写真はちょっと珍しいかな。         この写真は今朝(2024年6月6日の朝)写した物です。
名前はわからないけれど、もう30年近くうちの庭にいます。鳴き声もわからない。それもそのはず、これは木製のおもちゃの小鳥。

  








                      

        こちらも今朝の庭の珍客。生きていますよ。


                      

2024年6月5日水曜日

再開ブログNO.20〜2024年6月5日(水)〜せっちゃんだより〜

🌻 以下のせっちゃんだよりは、ブログ「一寸先は闇」5月23日号の「54回目の結婚記念日」にたいするせっちゃんの感想、意見です

 😍  結婚そのものが、変化しています  😍 

 今の結婚式なんか、全く家が出てこない、二人の式。あの大谷君だって、まだ、式もパーティーもしていないし。凄いAiが出てきて、きっと、面倒くさい人間より、パートナーは、Aiになりそうですね。政治家もAiにしたほうが公正かもしれません。裁判官なんか、人間よりAiのほうが、まともな判断するんじゃないかしら。     

 卵子も精子も造れる時代、女性が、命をかけて生まなくても、試験管ベービーが誕生! 生んでも、殺さなくてはならない、そんな女の子達が、出ないように、もっと、安全な対策が、とれるようにもなる。

 こんな空想が現実になる時代が来るのは、これもまた大変だろうなぁ。

😜 せっちゃんの想像力は、なかなかのものですね。かなり前のことだけれど、今の若者(特に男性)の中には、架空空間の恋人との付き合いをしている、つまりテレビやスマホの画面に出てくる女の子あるいは男の子を恋愛の対象としているという話を聞いた。つまり架空空間での恋愛ね。だから実際の血の通ったいきものとしての人間とのつきあいはできないというような話。何が何だか!?もう、人間という言葉そのものが死語だね。人の間、つまり人間は消滅。現実の人間そのものがAIに乗っ取られて、人間という言葉も存在も消滅、精神も消滅、今後の地球は、何もかもAIに制圧される。せっちゃんの想像をはるかに超えた恐ろしい時代が来るみたいだ。

 すでに、無人機が生身の人間を平気で殺している。広島や長崎に原爆投下したのは、生身の兵士だった。彼らはその後どうなったか。しかし、はるか遠くの建物の中でスイッチ一つで戦闘機を飛ばし、ミサイルを落として生身の人間の大量殺戮をするそんな未来のために、ホモサピエンスは存在しているのか。

 今現在でも、カード嫌いの私は、「すぎまるくん」に乗るのも100円玉を握りしめ、コンビニでも、スーパーでも、お医者さんでも、街の小売店でもいつでもどこでも「現金派」。そのうち「現金の取り扱いはしていません」というところが増えるでしょうね。こんなに現金派が減っているのに、なんで政府は大金を投資して「新札」なんか造るのかね。

 保険証がなくなり、何でもかんでもカードカード、ポイントポイント、AIAI、生身の人間の素晴らしさは消滅。そう遠くない時代に、動物園の主役はホモサピエンスになり、AIがホモサピエンスを飼って、檻に入れ、見物に来るのもAIということに。その昔「猿の惑星」という映画があって、驚いたが、私が生きているうちに、「猿の惑星」じゃなくて「AI」の惑星になるかも。

 自分が、こんな想像をする時代が来ることさえ、20年前には予想もしなかった。

🌻 2024年、6月5日の東京杉並の上空は、よく晴れて、朝日が眩しい。花が咲き鳥が飛び、人間の暮らしの音が聞こえている、平和なのどかな朝、でも、今この瞬間にも地球上のどこかで幼子が理不尽にも命を奪われ、家を焼かれている。

 田中正造が怒り、嘆き、悲しみ、そして呆れ果てていることだろう、人間という生き物は、いつになったら「真の文明」を手にするのかと。

2024年6月4日火曜日

再開ブログ NO.19〜2024年6月4日(火)〜カタツムリ〜

🌻 6月4日(火)5時17分、我が家の上の、台風一過の素晴らしい青空を! こんな空を眺めることができるのに、なぜミサイルだの核兵器だのと「人殺し」の道具を造りたがるのか、本当に理解できない。「真の文明は、人を殺さざるべし」と田中正造が言い残したのに、まったくホモサピエンスという生き物は、どうしようもないね。もっともホモサピエンスのほんの一つまみの連中がしていることなんだけどねえ。私も含めて、その他の何億という人間が、なぜ力を持てないのかなあ。

🌻  昨日6月3日の毎日新聞東京夕刊社会面にに「カタツムリの季節だけれど…「陸の貝」どこへ 乾燥化、すみか減 都市に居場所なく」という記事が載っていた。

あらそうなの!?うちの庭には、いるけどね、と思って、一夜明けた今朝6月4日、日の出とともに、庭に出てみた。そうしたら、やっぱりいましたよ!玄関先のアジサイの葉の上にカタツムリちゃんが。もちろんスマホ写真をパチリ。そうして、毎日新聞社に電話をしました。「昨日の夕刊にカタツムリがいなくなったという記事が載っていましたが、今朝東京杉並の我が家の庭のアジサイの葉の上にカタツムリがいました。写真も撮りました」と。毎年今頃出てくるから、東京にカタツムリがいなくなったなんて夢にも思わなかった。もしかしたら、我が家の庭は、すごく珍しいのかもね(😊)は、その珍しい?!カタツムリちゃんをごらんください!

   2024年6月4日午前5時22分、東京杉並区の庭、アジサイの葉の上


おまけにアジサイの花の今日の姿も



🌻 タツムリだのアジサイだのと喜んでいるけれど、ちょっと現実に戻れば、ホモサピエンス社会はいっそうひどくなっているみたいです。ほんとにほんとに、もうどうでもいいわという投げやりな気持ちが膨らんでくる。ホモサピエンス社会だけでなく、あるものはいつかは消えていく、永遠に栄えるなんてことはありえない。太陽も永遠に輝き続けるなんてことはないでしょう。今日は天安門事件から35年の日。宇宙が始まって137億年だって!なんていわれちゃうと、35年なんて「あ」っというまもないけれど、当事者にとっては長い長い時間。あの事件は、私に取っても印象深い事件でした。その後のホモサピエンスは、ますます劣化しているみたいですが、どうなのかしら。

とにかく、世界の指導者たちよ、まずは人殺しをやめてください!

2024年6月3日月曜日

再開ブログNO.18〜2024年6月3日(月)〜サンデー毎日6月16日23日合併号オススメ!〜

 🌻 能登の地震やら、台風状況やら落ち着かない今日です。みなさまお変わりありませんか。身近に大きな病気に罹患している人が複数人いて、みんな私より若い人なので、申し訳ないような気持ちです。代わることもできず、ただ無事なように、1日も早く健康を取り戻すことができますようにと、祈るばかりです。

🌻 この地球という星を支配しているホモサピエンスという生き物、その指導者というか、権力者というか、とにかく強大な力を持っている人たちは、何を考えているのか、本気で地球を破壊して憚らないのか、彼らから見れば1匹の虫ケラにしか見えないだろう私ですが、なんとも言いようのない悲しく寂しくそして大いなる怒りに煮え滾る心地の日々です。庭の小さな草花に慰めを見いだすことも既に限界です。


🌻 でもそんな中で、今日配達された「サンデー毎日6月16日23日合併号」には、かなりこころ強い気分になりました。その記事の一つは、「金子勝✖︎萩原博子 打倒「マイナ保険証」全く100パーセント大賛成!私は前にも書きましたが、以前の住基ネットにも参加しませんでしたが、いつの間にか消えて、「マイナカード」なる怪しげなものになった。その「マイナカード(特に保険証)」にについても、全く手をつけていない。もし、現在の紙の「保険証」が無効になったら、病院に行かずに「区役所前にプラカードを持って座り込む」と公言しています。そんな私をほんとうに力づけてくれる記事です! このサンデー毎日今号のサン毎としての目玉記事は、表紙に大きく載っている <日米同盟パラダイム転換渾身!寺島実郎の「日本再生構想」>です。また、毎号の連載記事の中では、私のお気に入り、青木 理 さんの「抵抗の拠点から」や高橋源一郎さんの「これは、アレだな」など、ほかにもたくさんあって、創刊102周年という「週刊誌の雄」だけのことはあります。今号は合併号なので600円ですが、内容から見れば安いお買い物です!是非!(日頃の定価は500円)

 今日の締めは永遠の真理、おなじみ田中正造の言葉を!




2024年6月2日日曜日

再開ブログN0.17〜2024年6月2日(日)〜3年前のブログを見ながら、あれこれ思い〜


 🌻 左の写真は83年前の東京高田馬場駅近くの路上でのスナップ写真、この赤ちゃんは誰かな?お母さんやお姉さんは笑顔なのに、赤ちゃんはご機嫌ナナメみたいね。この写真のお母さんもお姉さんも、黄泉の国の住人になってしまいました。

🌻 2021年6月2日のブログに、上の解説文を添えた写真が載っています。パソコンのブログは、クリックひとつで、以前の日記が読めるので便利ね。何もかも機械化で、カード、ポイントなどなどAI社会を敵視している頑固ばーちゃんなのに以前の日記などを見るときには、パソコンブログは便利だねと思うのだから、ご都合主義もいいところですね。それはともかく、この赤ちゃんが、80年余りを生きてきて、我が手を見ながら、この赤ちゃんの手が今キーボードを打っているこの手なのかと、信じられない思いです。本当は、今現在の白髪頭の私の写真を並べて載せれば面白いと思うけれどちょっと怖い気がするわ!(😃😂)

話かわって、やっぱり植物。

これは「ヤブカンゾウ」2021年6月29日夫の命日に咲いた花。切り花にするのはもったいなくて、写真をたくさん撮って、仏前に飾りました。
 今年はいつ頃咲くのかなあと、毎日観察していたら、昨日、茎が伸びていて、その先に花芽が付いているのを見つけました。春先から葉っぱばかりが元気いっぱい伸びてきたので、蕾はないのかと気にしていたのですが、やっぱり裏切らなかったのね。夫の命日は29日。そのころは写真のようにあざやかな花がたくさん見られるでしょう!



花のアルバムの2022年6月23日に左の写真が載っています。「カラー」です。ことしも葉が伸びていますから23日頃にはこんな姿になるでしょう。梅雨時の庭に緑と澄んだ黄色が美しい。


🌻 梅雨を前に庭の植物達は、元気です。「ムラサキシキブ」の花芽も溢れるばかり枝に鈴なり花が咲き宝石のように輝く紫の実の写真を撮るのが楽しみ。去年の写真を載せておきます。