2022年10月31日月曜日

NO.695〜2022年10月31日(月)〜母の記(番外)父の画帳より〜

 🌻  先日、甥の一人が「実家(つまり亡くなった私の姉夫婦の家)を片付けていたら、おじいちゃんのこんなのがあったよ。」父の古い画帳を届けてくれた。1899年生まれの父。母より3才上。父についての話も書いておきたいと思いますが、今回は「母の記」。ただ、カットも入ったほうがいいかなと父の画帳からいくつかを。父は歌詠みで、歌集も出しているが、絵も得意だったみたい。1945年の敗戦後、信州に帰って、職もなく鬱々としていた頃の画帳じゃないかと思う。70年以上も前のものだ。私は今まで見たことがなかった。娘が言うのも変ですが、なかなかの腕ですね。






2022年10月30日日曜日

NO.694〜2022年10月30日(日)〜亡き母の誕生日、生誕120年の母の記(1)〜

 🌻 28日(金)のブログに、いずれ「我が母の記」をなどと書いたのですが、今日10月30日は母の生誕120年の誕生日なので、先延ばしせずに、今日から「母の記」を少しずつ書こうと思います。このブログは備忘録と言い訳しながらね。

 1902年(明治35年)10月30日生まれ。きょうだいの間で、子どもの頃は「おかあちゃん」や「かあちゃん」と呼び、おとなになってからは「お母さん」孫たちの前では、「おばあちゃん」と呼び、亡くなってから母について語るときは、その名「なみ」をとって「おなみさん」と呼びあっています。

 一言で言えば「肝っ玉母ちゃん」「我が子に対する圧倒的な信頼」母が生涯を終えた時、子どもたちが異口同音に「えらいお母さんだったよね」と。その生涯は、波乱万丈。(もっとも、どんな人の生涯も波乱万丈でしょうけれど)

 生涯最後の2年間はかなり衰えて、信州での一人暮らしは無理となり、様々な事情の中で、三女の私と同居していました。私はまだ現役。夫は退職していたので、母の世話は、主として夫が引き受けてくれました。「ナオコは娘だから世話になるのはいいけれど、ナオフミさんには本当にすまないね」が母の口癖でした。そんな我が家で生涯を終えた(1986年12月24日没)のですが、我が家での最後の日々を記した日記帳が残っています。

 1902年(明治35年)10月30日生まれ。上州、赤城山をのぞむ村の中地主の家柄、7人きょうだい(兄一人、妹三、人弟二人)の長女。20歳で上京。当時では大変珍しい会社勤めをしていた。元気で勤めていた1年後に「関東大震災」(1923年〜大正12年〜9月1日午前11時58分32秒〜)に遭遇。以下母の最後の日記帳より抜粋。
(84歳の誕生日直前、1986年9月1日の日記より、この日記を書いてから3ヶ月と23日後に亡くなった。この日記が母の絶筆となった)

✏️ 私が20才で上京し、東京電燈に勤めたのは大正11年9月であった、それからちょうど1年過ぎた時に、関東大震災があり、会社は焼けてしまった。道ひとつ隔てた帝国ホテルは鉄筋コンクリートの現代建築であったため震災を免れた。私たちはしばらくその帝国ホテルを借りて事務をとっていた。
 そうしたら、9月4日に上州の父が、東京には食べる物もなく餓死するという話が伝わったと言って、おにぎり、焼き餅、米や、小麦粉などを持って迎えに来た。やっぱり親だと涙が出た。そうして父と一緒に上州に帰った。
 しばらくしておちついたので、仕事の後始末をするために、もう一度上京。会社は、辞めなくてもいいと言ってくれたが、親が、どうしても帰りなさいというので帰郷した。
 実家で、しばらくぶらぶらしていたが、村の金持ちの家に嫁に行く話を持ち出され、姑勤めをさせられるのがいやで、「太陽と米のメシはどこへ行ってもついてくる」といって、再び上京してきた。
(いやまったく、おなみさん21才の心意気はすばらしい!と我が母ながら、娘の私は脱帽です。ボケていても、昔のことは忘れないと言いますが、母も84才亡くなる3ヶ月前の日記なのに昔のことをよく覚えていますね)「波乱万丈の母の記」第1回はここまで。             

2022年10月28日金曜日

N0.693~2022年10月28日(金)〜おかあさん〜75年前の「つづりかた帳」より

 


1947年小学校2年生の時の「つづりかた帳」

ザラザラの粗末な紙。鉛筆の字も薄れ、

うっかりすると紙も破れそうですが、私の宝物の一つ。

筆で名前を書いてくれたのは父。

「あかちゃん」「うさぎ」「おかあさん」

「えんそく」などなどの作文が書いてあります。


プロテアナオコばあちゃん2年生7さいのときのもの。75年前のことです。上の写真のように、原文は、句読点もなく読みにくいので、手を入れて書き写しました。言葉使いは、実際とは違って、作文の時は、いわゆる「標準語」を使うように指導されていたようです。実生活では、自分のことをわたくしなどとは言わず、女の子も男の子も大人も子どもも「おれ」でしたし、母のことは「おかあちゃん」または「かあちゃん」と呼んでいました。実際の話し言葉で書くと赤文字のようになるのですよ。面白いでしょ。

「おかあさん」                  

うちのおかあさんは、まいにちごはんをたいたり、おつゆ」をにたり、おせんたくをしたり、あらいもの」をしたり、たびやようふくをつくって」くれます。

おかあさんは、まい日まい日それをつづけています。わたくしがまいあさおきてみると、もうちゃんとごはんのよういをして、みんなのおきるのをまっています。

わたくしのうちのおかあさんがしんだら、わたくしがそれをみんなやらなくてはなりません。わたくしのおかあさんは、いるからいいけれど、「あきらさん」のおかあさんはしんだので、わたくしは、あきらさんのことを思うと、かわいそうでかわいそうでたまらなくなりました。

わたくしは、おかあさんがいるからほんとにいいと思いました。

(おらちのかあちゃんは、まいにちまいにち、ごはんをたいたり、おつゆをにたり、せんたくしたり、あらいものをしたり、たびやようふくをつくってくれるだよ。)

注 「おつゆ」とは、味噌汁のこと。「あらいもの」とは、食事の後片付けのこと。食器や、鍋釜などを洗うことです。「たびやようふくをつくる」とは、繕うこと。当時は、靴下ではなく足袋」でした。敗戦直後の、全くもののない時代、足袋も洋服も擦り切れたり、穴が開いたりしたものを丁寧に繕って大事にしていました。きょうだいの多い時代、下の子は、上の子のおさがりを着ていました。
 「あきらさん」とは隣の家の子で、同級生の男子。お母さんは病死。「あきらさん」は、高校まで私と一緒で、大学は別でしたが、現在の消息はわかりません。

🌻 母は1902年10月30日生まれ。明後日は生誕120年の記念日。母は、夫亡き後、信州の家で一人暮らし。少々認知症気味になった82歳の時、我が家に来て、私たち夫婦と同居。私は現役、夫は退職していたので、彼は、ほんとによく母の世話をしてくれた。母は、2年後、脳梗塞で息を引き取った。母の生涯は、波乱万丈。なんとかその一端でも書いてみたいと思いますが、早くしないとあなたの命が尽きてしまうよと、どこかから声が聞こえます(😛)

2022年10月26日水曜日

NO.691〜2022年10月26日(水)〜庭の秋〜

 ナンテンの実は、この前も載せましたが。









ヤブミョウガの実。









  

ウメモドキの実

数年前に虫がついたので根元から切り倒したのに今年は新しい枝が伸びてきて、花が咲き実がなりました。本当に植物の生命力に感嘆!




瑠璃唐綿ちゃんはおなじみね。今日は、一番左の花に止まった蝶が主役!

名前はわからないんですよ。わかる人、教えてね。





                        


2022年10月24日月曜日

NO.690〜2022年10月24日(月)〜どうしてそうなるの?!〜

 🌻 本当にもう、何が何だかわからない。なぜ、沖縄で、次々に自公民政権支持の政治家が支持されるのか。辺野古基地反対は、沖縄県人の悲願だと思っているのに、那覇市長選挙でも自公民支持の候補者が当選。

沖縄タイムスのウエブ記事〜10月24日〜には、以下の記述がある。

翁長氏は「政治姿勢も争点」とし、辺野古新基地反対を明確に訴えたが、支持に広がりを欠いた。本紙の那覇市有権者へのウェブアンケートで、重要争点は「経済政策」(34%)に次いで「辺野古の新基地建設計画への姿勢」は17%にとどまり、最大争点にはならなかったとみられる。

 目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」には、連日の『辺野古ゲート前抗議行動」の様子が報告されていて、沖縄の人々の気持ちは、やっぱり「辺野古基地反対」なんだと思っていた。しかし、那覇市有権者へのアンケートでは、那覇市長選の重要争点は経済政策」がトップの34%で、「辺野古基地問題」は17%だったという。東京にいてなんの力にもならないが、意思表示の機会があればもちろん「辺野古基地反対」だし、とにかく沖縄に関して、無関心ではいられない。そう思っているのだが、なぜ、辺野古問題が重要争点とならないのだろうか。残念だ。

🌻 私の持論は「ホモサピエンスの黄昏」だが、世界中のホモサピエンス社会を眺めると、我田引水になるが、やっぱり本当にホモサピエンスは終焉を迎えているんじゃないかと思ってしまう。長い長い歴史の中で、嫌という程戦争を繰り返し、殺し合いを重ねてきているのに、それでもまだ懲りないのか。お互いに殺しあって、ホモサピエンスが全滅するまで目が覚めないのか。もう、人間の世はおしまいにしてよと思っている生き物はたくさんいるだろうね。

🌻 気分が晴れたのは、今日届いた「サンデー毎日」の青木理さんの連載記事「抵抗の拠点から」を読んだ時だった。全文書き移すか、写真を撮って載せるかしたいけれど、例の「著作権問題」が頭にこびりついて、それはできない。せめて、タイトルだけでも紹介しますね。「青木理のカウンタージャーナリズム第395回」情報をめぐる国と民の風景。健康保険証を廃止して「マイナンバーカード」に一本化するという方針についての論考だ。書き出しから、全くその通りと思い、全文読み終わった後は1000%誤字にあらず賛成と叫んでいた。

 サンデー毎日11月6日号550円、是非お買い求めになって青木論をお読みくださることをおすすめします。🌻

2022年10月22日土曜日

NO.689〜2022年10月22日(土)〜旅の記念品④〜

 

ピーテル・ブリューゲル

「子供の遊戯」1560年頃、ウイーン美術史美術館。(ウイキペディアより)
 







 1984年、3回目のヨーロッパは、パリ乗継で、まずウイーンへ。美術史美術館のブリューゲルの間がすばらしかった。はるばるウイーンにきてよかったと思いました。
 印刷した複製がたくさん売られていましたが、旅の始めなので買ったのはこの絵だけ。帰国してから額に入れ、今でも居間の壁に掛けてあります。
 私がびっくりしたのは、この絵に描かれている子ども達の遊びの数々。16世紀のウイーンの子どもたちの遊びが、私が子どもの頃経験した遊びと同じものがたくさんあること!
 拡大してみると、輪回し、馬乗り、馬跳び、お手玉、などが見られます。時代も国も違うのに、子どもたちが同じような遊びをしていたなんてとっても不思議です。
 21世紀の日本の子どもたちは、私が経験したこんな遊びをしているかしら。

🌻 またまた、瑠璃唐綿ちゃんお出まし。もう、見飽きたかもしれませんが、咲き続けている間は、載せます。
まだまだ蕾がいくつもあるから、当分、毎日、写真を載せることになりそうね。


 

2022年10月21日金曜日

NO.688~2022年10月21日(金)〜空には秋のウロコ雲〜

 🌻 ♪ みんなでまあるく座りましょ 明日の日曜嬉しいな 野球をしようか 魚釣りそれとも山でキノコ採り ♪ みんなで楽しく考える 明日の相談嬉しいな まあるく座る草原の 空には秋のウロコ雲 

 子どもの頃覚えたので、歌詞もうろ覚え、歌の題名も忘れました。覚えている方、教えてください。

 うろ覚えの歌を書いたのは、今日の空のウロコ雲があんまり綺麗だったので、ついパチリ。でも、歌がうろ覚え。情けないなあ。

追記 ブログアップの後、「せっちゃん」からメールが。

歌の題名は「そうだん」

作詞  勝  承夫

作曲 平井康三郎

とのことです。せっちゃんありがとう!


12時50分の南東の空






































15時33分の西の空




2022年10月20日木曜日

NO.687〜2022年10月20日(木)〜今日2回目の投稿は夕空と庭の草木〜

 朝の抜けるような青空は、日中続き、夕空も雲ひとつなし。庭も秋模様、紫式部は最後の輝き。南天の実が色づき始めました。瑠璃唐綿ちゃんまだ蕾がいっぱい!すごいなあ。






2022年10月17日月曜日

NO.683〜2022年10月17日(月)〜せっちゃんだより〜

 💐 国民にそのカードを押し付ける前に、政治家全員に行動履歴カード=賄賂、密会、など、調べられるカードを持たせてからでしょう。まったく! 

やりたい放題、法の裏を潜って、権力を傘に。天皇陛下さまに、組閣を、奏上したんてしょ?  国民の為に誠心誠意働きますと?
ヘイト問題ではね、人間って、そういう生き物って、思います。だから、歯止めとしての、法律、罰則は、必須。
2チャンネルの、ひろゆき とかへの、デスクメモが、やったーって感じ!

「沖縄の人って、文法通りしゃべれない」と、宣った、アホなおじさんよ。💐

🌻 せっちゃん元気ね!
政治家全員に、賄賂、密会、など調べられるカードを持たせるっていう案、賛成!

花便りはエリカ。 2020年3月11日のすがた。


























        何年か前鉢植えを買ってきて地植えにしたらどんどん大きくなって、この後、あんまり大きくなっちゃって他の花たちがこまっていたので根元から切りました。そうしたらまた、伸びてきて、きょう10月17日見たら花が咲いていました下の写真です
⬇︎
ウイキペディアで検索したら、以下の説明がありました。

エリカ属
(エリカぞく、学名:Erica
とはツツジ科植物の属のひとつ

エリカにもいろいろあって、
我が家にあるのは
蛇の目エリカという種類。

2022年10月16日日曜日

NO.682〜2022年10月16日(日)〜住基カードからマイナンバーカードへ〜

😡 どこまで国民を馬鹿にしたら気がすむのか!どれだけ税金の無駄遣いをするつもりなのか。そんな政府を黙って見ている国民が多すぎる。どんなに舐められても自公政権支持!

その昔「住民基本台帳」という制度が始まり、それにともなって住民基本台帳カード(略して住基カード)というものが発行されたよね。私はついにそんなカードを持たなかったが、2015年にはマイナンバーカードに取って代わられ、住基カードはゴミになってしまった。そして今度は、2024年までに、マイナンバーカードを全国民が持つことにするんだって。健康保険証もなくして、マイナンバーカードに含まれる。運転免許証もマイナンバーカードに入れる。その度に膨大な紙資源が浪費され、莫大な税金の無駄遣いが発生する。全くあまりにもバカバカしい。マイナンバーカードなるものも、最後の一人になるまでもたないよ。

* 以下は、2022年10月16日現在のウイキペディアによる解説 *

住民基本台帳カード(じゅうみんきほんだいちょうカード)は、2003年(平成15年)8月25日に制度が開始され市町村又は特別区が発行していた、個人の住所氏名生年月日性別住民票コード等が記録されたICカードである。住民基本台帳ネットワークシステムの第2次サービスの一つで、写真付きのものは身分証明書としても利用される。略称は、住基カード(じゅうきカード)。マイナンバーカード(個人番号カード)の交付開始に伴い、2015年(平成27年)12月限りで発行を終了したが、既に発行されたカードは、券面有効期限若しくはマイナンバーカード交付時まで利用可能である。

😡 怒りの連発!今日16日の東京新聞「こちら特報部」のテーマは「沖縄ヘイトとの闘い」

 全く本当に言葉もないね。なぜ、出身の国や、地方が違う人を差別し蔑むのか。「そういうあんたは何様なのか」と言いたい。差別の内容は、ここに書き写すのも嫌だから書かないけれど、東京新聞を読む機会はあったらご覧ください。

2022年10月14日金曜日

NO.681〜2022年10月14日(金)〜秋桜〜

😞 12日、13日とお休みでした。12日は歯医者に行き、13日は夕方公園に写真を撮りに行って、それをアップする予定が、なんとなく寝てしまって。全く困りものです。で、きょうももうお昼近く。午後は眼科なので、昨日の公園で撮った秋桜の写真をアップします。

 🌸 秋桜」って「コスモス」のことですよね!ところが、近所の善福寺緑地公園では、本物の秋桜、つまりソメイヨシノが今、今年2度目の花を咲かせているのです。50年以上この地に住んで、ソメイヨシノが秋に咲いたなんて記憶にないなあ。もしかしたら、あったかもしれませんが、最近の物忘れは加速度的なので、忘れちゃったのかも。ということで、昨日夕方、スマホ写真を撮りました。かわいそうなくらい細々と、遠慮がちに咲いていましたよ。あの春の、花の王者は私とばかりに咲き誇っていたのが嘘みたいでした。なぜ今頃?なんでも秋になっていちど気温が下がり、その後夏みたいな暑い日があると、もう春になったのかと思って咲くのだとのこと。この話の真偽はわかりませんが、昨日は寒空だったので、咲いてみたものの、びっくりしたんじゃないかしら。というわけで、なんだか寒そうな秋の🌸をパチリ。







2022年10月11日火曜日

NO.680〜2022年10月11日(火)〜私、まだまだ頑張るよ、瑠璃唐綿より!〜

 






















 もう見飽きたなんて言わないでね!私にもわからないのよ。いつまで自分が花を咲かせることができるのか。この庭の主「プロテアナオコバーチャン」が、毎朝「まあ、まだ元気なの」といってスマホを持ち出して写真を撮ってくれるので、私も頑張って咲いちゃうのよね!でも、自分の寿命だけれど、自分でもわからないわ。まだ蕾もあるから、当分咲いちゃうかも。

「バーチャン」も飽きずに写真を撮ってるみたいだから、ある朝、茎も枯れて、寿命が尽きるまでブログを飾るでしょうね。ただ、だんだん色も褪せてきて、自分でも、そろそろ終わりかしらと思うけれどね。人間もそうでしょうけれど、私たち植物だって、自分の寿命を確実に言うことはできないわ。「バーチャン」がある朝起きて、「あら、もう花が見えないし、蕾もないから瑠璃唐綿ちゃんは昨日がおしまいだったのね」ということになるのでしょうね。それはいつになるか、私にもわかりません。それまでは、お付き合いくださいね。

🌻 瑠璃唐綿ちゃん頑張っているから、よく見たら、根元はかなり太くなって、根元から出ている茎(もう枝と言える太さ)は、4本、一番先まで枝分かれしている細い茎は、なんと16本!!!これはもう、うちの庭にすっかり根付いたとみるわね。よほど環境が気に入ったのね!というわけで、21年7月15日に1本の茎に花を咲かせたのが2年後に16本になるとは。ひとり暮らしのばあちゃんの庭に、たくさんの孫を連れてきたみたい。人間の孫は、いろいろ大変なこともあるみたいだけれど、こっちの孫は、だまってバーチャンを慰めてくれるから余計愛しいわ😘


2022年10月10日月曜日

NO.679〜2022年10月10日(月)〜妹の喜寿、親族集まる〜

🌻10月8日に喜寿を迎えた私の妹。その娘(長女)が計画して、親族が集まって祝いの会(昼食会)を開きました。私たちきょうだいの父は長野県、母は群馬県の人。それぞれ成人して東京に職を得て働き、そして出会って結婚。太平洋戦争で、東京高田馬場の家は全焼、長野県に引き上げましたが、子どもたち6人は東京暮らしとなりました。父母亡き後は、築200年以上の茅葺きの家を次兄が快適な素敵な家に建て替え、次兄は毎月、何日かは行っています。

 きょうだいも、6人だった年月は終わり、私と次兄、そして妹の3人になってしまい、3人とも東京暮らし。が、今日の集いには、姉(故人)の60代半ばになる子ども2人 、次兄の子ども3人、妹の子ども2人(彼らの関係はいとこ同士だね)、妹夫婦や次兄夫婦、私も含めて12人の賑やかな集まりでした。

きょうだいも私の年代なら数人いたけれど、今やふたり3人くらいに。
「きょうだい会」「いとこ会」なども、少なくなりそうですね。

 話はまったく変わりますが、毎日、東京とも土曜日の紙面には「読書欄」がありますね。買っては積ん読で、未読の本が溜まるばかりなのに、読書欄を読むとまた買いたくなる本が出てきます。おとといの読書欄に載った中にもやっぱり買いたい本がありました。ご参考までに。

📕 日清・日露戦史の真実『坂の上の雲』と日本人の歴史観 渡辺延志著(筑摩選書・1760円)

📘 死刑について 平野啓一郎著(岩波書店・1320円)

🌻 おまけの写真は10月9日朝焼の空 🌻




 

2022年10月8日土曜日

NO.678〜2022年10月8日(土)〜今日、10月8日、我が6人きょうだい末っ子の妹が喜寿〜

🌹 1945年、10月8日の明け方、6人きょうだいの末っ子になる妹が、この世に生を受けました。あの15年戦争と言われる過酷な時代が終わって、ようやく2ヶ月になろうとするこの日、過酷な戦争時代よりも、もっと過酷な、着る物にも食べる物にも事欠くこの日、何も知らずにこの世に生を受けた赤ちゃんの未来はどうなるのか、両親は、どんな思いだったのかしら。来年(1946年)4月小学校、(まだ国民学校だった、1947年から教育基本法によって小学校に戻った)に入学する予定の私は、どんな気持ちだったか覚えていません。

 1945年の3月10日の東京大空襲のあと、もう東京は危ないと身重の母は2歳の末の子(私の弟)を背負い5歳のわたしの手を引き、大荷物を持って高田馬場から信州の夫の故郷へと疎開したのでした。疎開の満員列車の中で、何度も大声で、子どもがいるのよ、子どもが潰される!と叫んで、小さな私を守ったという話を、戦後、何度も聞かされました。母は強し!それから半年後に妹が生まれたというわけです。満員列車の中で、見ず知らずの土地での戦中戦後の暮らしの中で、よく流産もせずに妹を産んだなあと、ただただ感心するばかり。母はよほど心身の健康に恵まれていたんですね。

 余談になりますが、母は、150センチに満たない小さな体で、8人もの子どもを産んだんですよ。もっとも、ふたりめの女の子は、3人目の子どもが、年子で生まれたために、母の実家(群馬県)に預けられ、そこで病死してしまった。さらに、4人目の子(男子)は、生まれて10日で、死んでしまったのです。(詳しいことは私は聞かされませんでしたが)

 というわけで、8人産んで、6人は無事に成人になりましたが、ずっと後に、私と妹の間に生まれた弟は、東京で高校教師をしていた時の夏休み、北アルプス槍ヶ岳登山中に病気で急死。結局母は、8人産んだ子どものうち、自分を看取ってくれたのは5人ということになりました。 妹の喜寿77歳を語るのに、ずいぶん前置きが長くなりました。

 妹は、母が43歳の時、しかも敗戦の年の秋に生まれ、母乳の出が悪くて、近所の若い母親からの貰い乳や、米のとぎ汁や、ヤギの乳などで育ちました。でも、なんと私よりずっと大きく丈夫な子になり、77歳の現在まで、病気らしい病気はせず、二人の子どもの出産以外は、入院経験なし。わからないものですね。

 1945年10月8日の明け方の信州は寒かったのを覚えています。囲炉裏の火が赤々と燃え、囲炉裏を囲んで私や他の家族がいたはずですが、自分がいたことしか覚えていません。でも、奥座敷に寝ていた母のそばに付き添っていた村のお産婆さんが、生まれたと言って赤ちゃんを抱いてきて、囲炉裏の大鍋で沸かしていたお湯で産湯を使ったのをおぼろげに覚えています。

 それから77年、2022年10月8日の今日、妹は77歳の喜寿を迎えました。その間に、父母、妹から見て、姉(長女)兄ふたり(長男と三男)が千の風になり、6人きょうだいといって過ごしてきた長い日々を経て、きょうは、二番めの兄と二番めの姉(つまり私)と妹の3人きょうだいになってしまいました。兄と妹は夫婦健在、私は夫が逝って18年のお一人様。この先それぞれどんな運命が待っているやら。

 日本という国も、世界の有り様も、77年の間にずいぶん変わりました。これからの日々は、今までよりもっともっと大きく変わるのでしょうね。

🌻 今日のブログはまったくの私事で、失礼しました 🌻

2022年10月6日木曜日

NO.677〜2022年10月6日(木)〜せっちゃんだより「絵手紙」〜


💐 昨日、絵手紙の例会で、まぁ、今、ピカソ展だからか、ゲルニカの好きなところをハガキに描がきました。原作は、巨大なので、先生から一部のコピーを貰って、自己流にアレンジナオコさんちの、玄関を、思ってね。💐

🌻 ゲルニカのアレンジができるなんてすごいじゃないの!
 私は見るだけで、アレンジしようなどと夢にも思わなかったよ。

 このせっちゃん式ゲルニカを送りつけてやりたい人間が、世界中にいるよね!受け取った人が、ゲルニカのアレンジと気がつくかどうかは別だけど。つまりゲルニカという絵を知っていて、それがどんな状況のもとで描かれたかを理解しているかどうかね。
 プーチン、トランプ、自民党政権の面々、その他世界中の権力者たち、ゲルニカを知っていればピカソの精神を理解できれば、今、こんな世の中になっていないと思う。


おまけにうちの玄関の写真も。

せっちゃんが絵手紙に使ったのはゲルニカのどの部分かお分かりかしら。





これは、ことし5月26日の「一寸先は闇」の一部、前半部分。
タイトルは
「ゲルニカにまつわる話」です。



NO.676〜2022年10月6日(木)〜今年と去年と〜

😓 まったくいやですね!このところパソコンの画面、新聞、読書など、近くが見えにくくなって、去年の秋新調したばかりの眼鏡が役に立たなくなり、3日(月)に眼科に行きました。

 病的な疾患(白内障、緑内障、眼底出血など)は、ないとのことで、それは一安心ですが、結局眼鏡が合わないということ。1年前の眼鏡が合わなくなるなんて、10万円ほどもかかったのに!でも、お金より、目が大事だと自らを慰めました。ま、ともかく、目の状態(遠視、乱視〜去年は近視乱視だった!)に合うレンズを決めるのにすっごく時間がかかって待合室で1時間待ち、診察とレンズ決定まで1時間かかり、家を出てから帰宅まで4時間半仕事。それで、疲れて3日のブログはお休み。

 4日はなんとかお出ましでしたが、昨日は、野暮用で久しぶりに外出して、またまた疲れて、またまたブログお休み。これじゃ、日記じゃなくて週記(こんな言葉あるかな?)だよ、と叱咤激励(大げさな!)、で、今朝は早起きしてお出ましです。

 ところで、去年の今頃どうだったかなと去年の10月を開けてみたら(こういう時、日記帳じゃなくてパソコンは便利ね。クリックすれば出てくる〜当たり前だけどね😅)なんとまあ、去年も今年とほとんど同じ10月4日に眼科に行ってるんですよ。というわけで、去年の10月5日のブログを再掲。面白いことに「瑠璃唐綿」の写真が載せてあって、しかも名前が分からないと書いてある。今では「瑠璃唐綿」とわかったけれどね。(瑠璃唐綿、今日2022年10月6日も、まだ咲いてます)では、去年の10月5日のブログです。

               🌻

NO.288 (10月5日 火) ご心配おかけしています。

 😊 10月1日にしばらく更新お休みと書き、ご心配をおかけし 申し訳有りませんでした。昨日4日(月)に、眼科に行ってきました。検査の結果、白内障や緑内障といった疾患はなく、今回はメガネが合わなかったのが、パソコン画面が見えにくく、頭痛がする原因だったようです。

 来週月曜日に、新しい眼鏡(遠近両用)ができるので、その後は、また、毎日更新は無理でも、週に2〜3回の更新はできるようになると思っています。

 お休みしていた間も世界も日本も大きく動いていて、「言わねばならぬこと」がたまっています。でも、今日はなんとか再開できるというお知らせだけにしておきます。おまけに今、庭で見られる花2題。紫陽花の今の姿と、今年初めて登場した花。



この花、

名前も知らないのですが、

きれいな色でしょ!?

今年初めて我が家の庭に

咲きました。

去年まではなかったのに

どこから来たのかしら。

あしがあるのかな!??

(以上去年の10月5日ブログ終わり)


2022年10月4日火曜日

NO.675〜2022年10月4日(火)〜ヤクルト村上、最年少三冠王、ホームラン56号王さん超えた〜

 🌻 昔ヤクルトファンで、今は亡き夫と神宮球場までタクシー飛ばして試合を見に行った。はるか昔のこと。選手個人では王貞治選手が好きだった。でも、巨人は嫌いだった。

😀ヤクルトリーグ優勝(青字)日本一(赤字)😀

1978年1992年、1993年1995年1997年2001年2015年2021年、2022年 今年の青が、日本シリーズに勝って赤字になりますように!

書棚を探したら、ヤクルト日本一の時の雑誌の一部が保存してあった。

古田、高津のバッテリー、懐かしい。その高津が今年は監督。


















村上56号ホームランと三冠王
2022年10月4日(火)
スポーツニッポン
1面と20面


2022年10月2日日曜日

NO.674〜2022年10月2日(日)〜月齢⒍5のお月様〜

 🌻 今日は朝から本当にすっきり晴れて、青空が美しかった。夕方(17時47分)南の空に半月が。はるか彼方のお月様、肉眼では本当に美しいのだけれど、スマホ写真では😢西空も綺麗でした。月から見える地球は綺麗でしょうか?人間の汚さ、恐ろしさは見えないでしょうから、「地球は青かった」ということになるのかな。

<2022年10月2日午後5時47分東京杉並の月>