1947年小学校2年生の時の「つづりかた帳」
ザラザラの粗末な紙。鉛筆の字も薄れ、
うっかりすると紙も破れそうですが、私の宝物の一つ。
筆で名前を書いてくれたのは父。
「あかちゃん」「うさぎ」「おかあさん」
「えんそく」などなどの作文が書いてあります。
プロテアナオコばあちゃん2年生7さいのときのもの。75年前のことです。上の写真のように、原文は、句読点もなく読みにくいので、手を入れて書き写しました。言葉使いは、実際とは違って、作文の時は、いわゆる「標準語」を使うように指導されていたようです。実生活では、自分のことをわたくしなどとは言わず、女の子も男の子も大人も子どもも「おれ」でしたし、母のことは「おかあちゃん」または「かあちゃん」と呼んでいました。実際の話し言葉で書くと赤文字のようになるのですよ。面白いでしょ。
「おかあさん」
うちのおかあさんは、まいにちごはんをたいたり、「おつゆ」をにたり、おせんたくをしたり、「あらいもの」をしたり、「たびやようふくをつくって」くれます。
おかあさんは、まい日まい日それをつづけています。わたくしがまいあさおきてみると、もうちゃんとごはんのよういをして、みんなのおきるのをまっています。
わたくしのうちのおかあさんがしんだら、わたくしがそれをみんなやらなくてはなりません。わたくしのおかあさんは、いるからいいけれど、「あきらさん」のおかあさんはしんだので、わたくしは、あきらさんのことを思うと、かわいそうでかわいそうでたまらなくなりました。
わたくしは、おかあさんがいるからほんとにいいと思いました。
(おらちのかあちゃんは、まいにちまいにち、ごはんをたいたり、おつゆをにたり、せんたくしたり、あらいものをしたり、たびやようふくをつくってくれるだよ。)
🌻 母は1902年10月30日生まれ。明後日は生誕120年の記念日。母は、夫亡き後、信州の家で一人暮らし。少々認知症気味になった82歳の時、我が家に来て、私たち夫婦と同居。私は現役、夫は退職していたので、彼は、ほんとによく母の世話をしてくれた。母は、2年後、脳梗塞で息を引き取った。母の生涯は、波乱万丈。なんとかその一端でも書いてみたいと思いますが、早くしないとあなたの命が尽きてしまうよと、どこかから声が聞こえます(😛)