2023年5月26日金曜日

NO.880〜2023年5月26日(金)〜山手大空襲〜

*ウイキペディアによると、1945年5月25日の山手大空襲は、

 1945年5月25日山の手に470機ものB29が来襲山の手大空襲)。死者3651名焼失16万6千戸

ということだが、私の生家(高田馬場)は、このとき全焼。母親と次兄、私、弟は、すでに信州の父の実家に疎開していたし、姉は勤め先の東京都下檜原村の国民学校にいた。当時家にいた長兄と父は、近所に落とされた焼夷弾の現場に消火活動に行っていて、帰ってみると我が家が消失していた。そんな話を戦後聞かされた。我が家は、古本屋だったので、たくさんの書物がいつまでもくすぶっていたのを見るのが悲しかったと、のちに父から聞かされた。

 きのう、5月25日は、私の生家が空襲で消失してから78年目の命日だ。一足先に、信州の父の生家に疎開していたから、今、83歳の私がいるというわけ。疎開が遅れていたら、その空襲で私も命を落としていたかも。

 全く人間の命などもろいものだ。何万人、いや何十万、何百万、何千万、何億かもしれない人間の命を死に追いやってきた戦争を、今も続けているホモサピエンス。いつになったら、戦争を止めるのか。多分、ホモサピエンスが地球から消え去るまで戦争は止めないでしょうね。去年の5月26日のブログ「一寸先は闇」再掲。

😠 ゲルニカ爆撃は1937年4月26日 😠

* NO.545〜2022年5月26日(木)

         〜ゲルニカにまつわる話〜 *

ゲルニカには、1988年夫婦で行った4回目(最後となった)のヨーロッパ旅行で訪れました。というより、過去3回のヨーロッパ旅行でゲルニカに行けなかったので、どうしても行きたいねと計画したのです。この旅行から10年後、4回の旅行の経験ををまとめた旅行記「ヨーロッパ駆け足旅行」という小冊子を作りました。その中のゲルニカの部分を以下に。

ゲルニカは小さな町ですが、バスク地方の政治的中心都市です(だから、フランコに呼応したナチス空軍の標的にされたのですね)。町の中心の丘の上に樹齢5千年といわれるカシの大木があり、バスクの村々の代表者たちがその木の下に集まって自治議会を開いていたのです。「ゲルニカの木」といわれるその木も空爆で炎上し、今は大きな焼けぼっくいになりましたが、その焼けぼっくいが、東屋ふうの屋根をつけて保存されており、その近くに小綺麗な州議会の建物があります。建物の裏手には、二代目、三代目の「ゲルニカの木」が植えられています。Mは中学生用の社会科公民科教科書に、丸木夫妻の「原爆の図」と共にピカソの「ゲルニカ」を紹介し、「ドイツ軍の爆撃機は、防空壕にいたたまれなくなって逃げ惑う人々めがけて機銃掃射をあびせました。羊市場の羊にも、家畜市場の牛や馬にも、吠え続けていた犬たちも子どもたちと同じように倒れ、吠えなくなりました。..........」という、当時の子どもの作文を引用しています。


 上の写真は、亡夫が若いころから亡くなる寸前まで半世紀近く執筆、編集に携わった中学校社会科教科書の一部分です。奥付には
<日本書籍株式会社発行 中学社会公民的分野 平成9年度用 平成8年2月29日文部省検定済>とあります。平成9年度用ということは1997年度用ですから、夫のなくなる7年前、この時すでに闘病中でしたが、最後まで校正その他に意欲を燃やし、1988年に実際に訪れたゲルニカについて、教科書に載せることができたことを大変喜んでいました。この教科書で学んだ子どもたちは現在社会の中核、どこでどんな人生を送っているかしら。ゲルニカや広島、長崎を心の奥底に深く止めて、戦争のない世の中をめざしているといいな。