2023年5月2日火曜日

NO.856〜2023年5月2日(水)〜メーデーについて〜

🌻 メーデーもずいぶん格下げになって、世の中から忘れ去られたようだ。去年の「一寸先は闇」では、一昨年の5月1日の記事を再掲した。今年も去年の(つまり一昨年の)メーデー記事を載せる。というのも、今年の連合(やせてもかれても、「連合」は目下、日本の労働組合の最大の組織らしいから)は、4月29日(土)にメーデーとして、中央集会を行ったようだから、29日にメーデーだなんてお笑い草にもならない。4月29日っていうのはヒロヒトの誕生日、つまり太平洋戦争の最大最高の責任者である人物の誕生日で、日本政府はこれを祝日としている。この日にメーデーだなんて、血のにじむ思いで、メーデーを勝ち取ったその昔の労働者たちが化けて出るだろう。全くこの暴挙を実施した「連合」の会長がなんと「女性」とあっては、もう、笑うしかないね。だから、トップが女性だからいいなんてことはないし、議員が女性だからいいなんてことにもならない、その昔「女の腐ったようなやつ」とダメ男を侮辱する言葉があったが、今や、ダメ女を「男の腐ったようなやつ」と言うのかな。

 ま、いずれにしても事もあろうに「4月29日」に中央メーデーを実施したその感覚には、言葉もないね!若いころ、メーデー参加のために教員が出払って、管理職や非組合員が大わらわで授業を実施したということもあったが、そんな話は夢のまた夢だね。

 今年2023年の中央メーデイに関して、きょう5月2日の「東京新聞」こちら特報部の「本音のコラム」に「鎌田慧さん」が書いています。ネットでも読めるのでは。

この後は去年の「一寸先は闇」の再掲(実はこれは一昨年つまり2021年の記事です)

〜2021年5月1日の「一寸先は闇」再掲〜

* 5月1日、今日はなんの日と言えば、現職の頃は迷わず「今日はメーデー」と言えたけれど、メーデーも様変わり、今年はコロナの影響もあって、どうやら今日5月1日にメーデーの集会を行ったところは、ないみたいですね。 
* 日本における初めてのメーデーは、1920年5月2日(日曜日)上野公園で5000人が参加して行われ、1935年に第16回が全国で行われた後、2・26事件による戒厳令を機に禁止。再開は戦後1946年第17回メーデーから。今年は第92回だそうですが、メーデーの歴史は、皆さんそれぞれに調べていただくとして、このブログでは、個人的な思い出を。 
* 1920年の第1回メーデには、私の父が参加していたのです。子どものころ、父からよくその話を聞きました。父は高等小学校卒業後(今でいえば中学2年にあたる)郷土の先輩を頼って上京し、様々な仕事をしていたようです。1920年5月2日は父が満21才になる2ヶ月前にあたります。もちろんまだ独身で、確か、ある新聞社の使い走りのような事をしていたと聞きました。どんな事情でメーデーに参加したのか、なんでも、行進中、前の方からどんどん検挙されていなくなって、一番後ろにいた自分が先頭に近いところになっちゃったというような話を聞いた覚えがあります。今になってもっと詳しく聞けばよかったと悔やまれますが、ともかく父は、最初のメーデーに参加した事を誇らしく思っていたようでした。 
* 戦後のメーデーでは1952年の「血のメーデー」が印象に残っています。私は信州の田舎の中学1年生、結婚後この時のメーデーに参加していた夫から詳しい話を聞きました。
 * 私のメーデー体験は代々木公園からですが、当時の日教組は5割動員で100%組合員だった職場では半数がメーデーに参加し、残りの教員は午前中だけ二クラス掛け持ち授業をして、午後から参加したというような事もあったと記憶しています。今は、教員組合そのものが壊滅状態のようですから、5割参加のメーデーなんて夢のまた夢、今は昔の物語です。 

♫ 代表的なメーデー歌 ♫
 「聞け万国の労働者」  
  作詞 大場 勇 作曲 栗林 宇一     
 聞け万国の労働者    とどろきわたるメーデーの    
 示威者に起こる足どりと    未来をつぐる鬨の声 

🌻 今日5月2日のルリちゃんは夕方4時には10輪の開花!すごい勢い。写真は、今日の二回目投稿に回します。