💐 せっちゃんだより「空襲の思い出」 💐
私のふるさと、 大田区 蒲田は、4月15日に大空襲。
疎開先、富山県 浜四ツ屋は、片田舎、
8月1日に、富山市が、地方都市では、最大、B29 70台による爆撃で、ほぼ、全滅。真夜中、五歳の私は起こされ、庭に退避。遠くの、夜空が、赤かったのをかすかに覚えています。
蒲田の家を守っていた祖父、祖母は、命からがら、逃げ惑い、こっちに身を寄せ、あっちに世話になり、やがて、私達のいる富山にたどりついたとのこと。終戦直後、二人は、焼け野原の蒲田に帰り、掘っ建て小屋で、孫たちが帰るのを、待っていたのです。父は、40歳少し前、兵隊に、取られず、親戚筋の若者も、運良く、帰還。
こんな、思い出は、これからの、人達に、二度と、させたくない。
私なんか、本当に、運が、良かった方だけどね。無念の死をされた方々に、二度と、戦争のない 世の中を、築きたいと思います。
私なんか、本当に、運が、良かった方だけどね。無念の死をされた方々に、二度と、戦争のない 世の中を、築きたいと思います。
🌻 私も同じ思いだけれど、世界を見回してみると、戦争のない世の中が本当に来るのだろうかと疑問に思う。せっちゃんや私が、辛うじて生き延びて来たこの83年間、第二次世界大戦が、広島長崎への原爆投下によって、終わりを告げたあとも、戦争のない時代はなかった。世界中のどこかで「戦争」は続いていた。そして今も。
核兵器による「核戦争の抑止」だなんて、
「バカも休み休み言え!!!」と怒りくるう私です。
🌻 去年の5月28日の「一寸先は闇」のタイトルを以下に。
NO.547〜2022年5月28日(土)〜重信房子〜懲役20年の刑期満了で、今日出所!
あっという間に1年が過ぎていったのね。重信さんは今どうしているのかしら。
🌻 昨日(2023年5月26日)の夜明けの写真を。4時27分の東の空。公園の木々がずいぶん大きくなりました。我が家の2階からの眺め。