2023年6月30日金曜日

NO.908〜2023年6月30日(金)〜今年も半分過ぎましたね〜

 🌻 私は現在83歳も7ヶ月過ぎ、あと5ヶ月でめでたく満84歳(に、なるかな?)というところです。

 きのうは、亡夫の命日に関して、皆様からたくさんのお心遣いをいただき、ありがたく思っておりましたところ、きょうはさらに、20代の頃、職場で出会ってそれ以来の大切な友人から仏前へのお供えにとフルーツゼリーが届き(先日、帝国ホテルのスープセットをいただいたのに、2回目なんです!)、ありがたくまた申し訳なく思っています。また、毎年必ず、夫の命日に手紙を下さる私たち夫婦の共通の友人(男性1934年生まれ、在宅でお連れ合いの介護をされている)からの手紙も届き、仏前にお供えしました。フルーツゼリーとお手紙の写真を載せます。亡くなって19年にもなるのに、こんなにたくさんの方から思い出していただき、感謝感激です。心からお礼を申し上げます。












🌻 19年前2004年は、どんな世の中だったかと思い出しています。検索したところ、2004年の「今年の漢字」は「災害」の多い年だったので「災」になったんですって。私の人生にとって、最も悲しい年だったんですが、その年の漢字が「災」だったとは。「災害」の中でも「新潟中越地震」「浅間山噴火」など。また台風も10個上陸し、各地に大きな被害をもたらしたとのこと。私自身は夫の死と、その後にしなくてはならないさまざまなことを進めるのに無我夢中で、世の中の出来事についてはほとんど覚えていません。今、検索してみて、ああそんなこともあった年だったのだなと改めて頷いています。でも、一番思うことは、64歳の私が83歳になったんだということ。30歳で結婚して共に過ごした34年、そして一人になって19年。共に過ごした日々の半分以上の時間を一人で過ごしてきたんだと思うと感慨深いものがあります。 この先、どんな人生が待っているのかわかりませんが、あちらで彼と再会した時に、胸を張って報告できるようでありたいなと願っています。

2023年6月29日木曜日

NO.907〜2023年6月29日(木)〜風蘭忌(亡夫の命日)②〜

 🌻 朝早く、妹が来てくれました。そのあと娘の連れ合い「てっちゃん」が、そして、昼前に亡夫の従妹のセッちゃんが来てくれました。夕方は娘が、新車に乗って来てくれました。まあ、亡夫の19回目の命日は賑やかでした。私の友人二人からの贈り物も。では、賑やかなお仏壇と、娘からの豪華なお花をご覧ください

左は

もも

さくらんぼ

もなか



帝国ホテルのスープ
                  
  娘からの豪華な花束 と プリン

そして、きょう庭で見ることができる花たち。



ヤブカンゾウの最後の花














             カタバミ、まだ咲いている






          
       風蘭、今年は花が少なかった

南天の花は盛り、ヤブミョウガ咲き始めました




紫陽花は最後ですね



NO.906〜2023年6月29日(木)〜かなり認知症に近い私!?〜19回目の夫の命日(風蘭忌)の朝〜

26日27日28日と3日も休んだなんて!ひどい話!!!やっぱりボケた

😢 時々、以前のブログを読み返す。今朝、6月29日(木)、今日は亡き夫の命日。2004年6月29日午後2時42分。私と娘がベッドの両側で、それぞれ彼の手を握って話しかけているその時、すーっと息を引き取った。薬が効いていて、穏やかに眠っているように見え、酸素吸入をしている口元の風船の動きが呼吸の印だったが、その風船が静かに止まった。息をひきとるという言葉を、私は初めて「実感」した。

 2000年年末、夫は2001年から始まる分厚い5年間日記帳を購入し、2001年元日から書き始めた。それは、2004年4月29日で終わっている。この間毎年のように入退院を繰り返していたが、小康を得て退院し家に戻った時には、日記を書いていた。

 私はその日記帳をべッドサイドに置き、目覚めた時や寝る前に、今日は彼が何を書いていたのかなと読み返す。

 2004年4月29日の日記。

 「はれ、ナオコ今年も庭仕事。ナオフミは久しぶりにひなたぼっこ。風はあるが日ざし快い。イシイ夫妻、陽気の中を散歩途中立ち寄り、お昼をいっしょに。夕方、トモコ自転車にチナツを乗せて来る。

 欄外に赤いボールペンで書いた私の字で「直文最後の日記」とある。亡くなるふたつき前だ。これを書いた時、彼は、自分がふたつき後にこの世に別れを告げるなどとは夢にも思わなかっただろう。19年後の今でも、読むたびに涙する私です。

 今日のブログのタイトルに「かなり認知症に近い私」と書いたのは、とにかく物忘れがひどくなったという自覚によります。このブログも、何回も読み直し、書き直して「これでいいな」とアップ(公開)するのですが、何日か経って読み返すと、必ず誤りを発見する。まったく恥ずかしい。だから、最初にアップしたものを読まれた人は、のちに再度読まれた場合、あれ?と思うかも。スミマセン!

 今日、6月29日、2004年に亡くなった夫の19回目の命日ですが、以前のブログを読み返すと間違い(内容の間違い表記の間違い)がどっと出てくるかも。怖くて読み返せないと思いながら、今朝4時半頃から読み返しています。「校正」係の人の苦労が偲ばれます。今、2023年6月29日午前7時過ぎ、ブログ点検はひとまず終わります。多分、夕方か夜、再度お目にかかります😢

2023年6月25日日曜日

NO.905〜2023年6月25日(日)〜快晴の西空に上弦の月〜


2023年

6月25日 18時7分西空に傾いていく夕日、二階のサンルームから写しました。






















日没後、西空に輝く上弦の月、ちょっとぼやけちゃったのはカメラマンの腕が超悪いからです。ごめんなさいね!
















 


2023年6月24日土曜日

NO.904〜2023年6月24日(土)②〜夕空〜

 2023年6月24日(土) 年に何回もないくらいの素晴らしい夕焼け!!!思わず公園を一回り。公園から西空を眺めると、我が家の玄関側が見え、その向こうに夕焼けの西空が見えた。スマホを忘れたのが悔やまれた。すぐ家に帰ってズマホを手に二階に駆けのぼった。かなり夕焼けは色褪せていたが、その名残をパチリ!月齢6・3の月も見えたのでパチリ。小さく輝く金星も見えたがスマホでは写せなかった。残念。19時24分と20時15分の空。お隣のビワの木が前景に。




NO.903〜2023年6月24日(土)〜ヤブカンゾウが咲きました〜

 🌻 毎年、6月29日の亡夫の命日前後に咲く「ヤブカンゾウ」が、今年も咲きました。カンゾウと名のつく花はいろいろあるみたいですが、うちのは「ヤブカンゾウの八重咲き」です。私がパソコンにスマホ写真のアルバムを載せてから、ヤブカンゾウが最初に載ったのは、2020年7月1日の写真です。2021年は6月29日。2022年は6月26日。今年2023年は、きょう6月24日の姿です。鮮やかな朱色ですが香りはありません。















2023年6月23日金曜日

NO.902〜2023年6月23日(金)②〜沖縄慰霊の日、あれから78年!!!〜

🌻 2023年6月23日(金)東京新聞1面の大見出し 🌻

軍備増強「沖縄が再び戦場に」

きょう78年「慰霊の日」体験者の思い

地上戦で死線「平和 皆で考えて」

 🌻 一昨年(2021年)の6月23日のブログ「沖縄慰霊の日①」再掲の続きです。一昨年は6月23日のブログを①からまで4回投稿しています。きょうは②からまで再掲します。

2021年6月23日水曜日

NO.157 沖縄慰霊の日②


N0.901〜2023年6月23日(金)①〜せっちゃんだより〜

💐 せっちゃんだより 💐

昨日(6月22日)のせっちゃんだよりを今日掲載です。

 明日は、沖縄「慰霊の日」6月23日

私は、職場旅行で、今から、35年ほど前、私が、48歳頃、沖縄、石垣島を、訪ねました。ひめゆりの搭 、日本軍指令部などの、地下壕は、見られましたが、首里城は、まだ、再建前で、見ることは、できませんでした。残念です。
 首里城といわず、たくさんの、島々の人を苦しめ、死なせた あの、戦争。
平和の碑には、1995年建設当初は、23万4183人の、戦死された方々のお名前。
悲しみと、非戦を、誓う 6月23日。
現在、碑には、外国出身者も含め、24万2046人の方々のお名前が、刻まれているそうです。
名前がつけられる前に、戦場で亡くなった赤ちゃんもいます。
 戸籍は、空襲や日本軍命令で焼却されていた中、どんな苦労の中、懸命の努力で、この碑は、建てられたことでしょう。💐

🌻 沖縄慰霊の日。 時の流れな残酷だ。2021年6月23日の「一寸先は闇」を再掲。

156.6月23日沖縄慰霊の日①

* 沖縄慰霊の日〜①〜 *

 76年前とはいえ、沖縄慰霊の日に関して、毎日東京の購読二紙は、社説で取り上げてはいるが、思いのほか扱いが小さい。連日のオリンピック関連ニュースと、今日は特に赤木ファイル問題を大きく扱っている。二紙が1面トップに同じ問題をもってくるのはそう度々あることではないが、今日6月23日二紙とも、1面トップは、赤木ファイル問題だ。この問題は今後どうなるか!?

 6月23日について、自分の言葉でものを言うべきだとは思うが、悲しいかな思いはあれど的確な表現ができない。それで、尊敬する故翁長沖縄県知事のことばを借りる。手元には<沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」>(発行所.編者沖縄タイムス2018年9月21日第2刷発行定価1000円+税)という一冊がある。帯には<県知事の語録133編から沖縄の2014〜18年をたどる>とある。全編紹介したいくらいだがそれは無理なので、2018年6月23日前後の言葉から何編かを。知事は2018年8月8日没。

以下、故翁長雄志沖縄県知事の言葉
* 私の行く末より、沖縄にとって何ができるか、だ。私が来年どうするかに、とても考えが及ばない。
2018.1.1(新春インタビューで。2期目の意欲を問われて)

* 沖縄が全国の米軍専用施設の70%を引き受けているのに、全国民的な関心は残念ながら低い。ワジワジー(怒り)もするし、悲しくもなる。いろんな思いがあるが、その中で闘っていかなければならない
2018.1.8(6日にうるま市与那城伊計の海岸に米軍ヘリが不時着したことに「言葉を失う」と非難した。前年から米軍機の事故やトラブルが相次ぐも、抗議を意に介せず訓練が続いている現状を嘆いた。)

* 米軍は日本政府に言えといい、日本政府は形式的な言葉だけで県民の生命、財産を守り切れない。
2018.2.9(うるま市伊計島の西海岸近くで、オスプレイの部品がみつかった。米軍は前日には部品落下の事実を認識していたが、日本側には通報していなかった。相次ぐ事故を受け県や市町村が在沖米軍全機の点検とその間の飛行停止を求めているが、米軍は応じていない。)

* そんなにお金がもらえるなら(基地を引き取って)振興策をもらったらどうだと逆提案したいぐらいだ。
2018.2.15(全国知事会の米軍基地負担に関する研究会で。「沖縄は基地で食べている」といった声があるなど、本土と沖縄の認識の溝があることに不満をぶつけた。)

2023年6月22日木曜日

NO.900〜2023年6月22日(木)〜原発、まったくもう!〜



 書棚にあった本の紹介です。
初版発行は、最後の写真にあるように、2011年12月18日。
それから11年半経った現在の日本の原発はどうなっているのか。
原発のみならず、あの2011年3月11日以後の日本は「もう死んでいる」と言っても過言ではない、哀れな姿だ。
                          
               
若い世代から、そして地球そのものから、先の世代がちゃんとした世の中にしなかったから、今自分たちがこんな世の中に生きている。どうしてくれるんだ!」
と言われても、返す言葉もない。

地球温暖化、核兵器山ほど、地球は人間だけのものではないのに、人間は、地球そのものを破壊し続けている。やりきれない。
                        











2023年6月21日水曜日

NO.899〜2023年6月21日(水)〜今日は夏至〜

 🌻 夏至と聞くと、何だか寂しくなる。なぜなら明日からはだんだん昼の時間がすくなっていくから。日の出の時間がだんだん早くなって、日の沈むのも遅くなる間は、なんとなく明日からはもっといいことがあるような、そんな夢想をする。でも、明日からはだんだん昼の時間が少なくなるよと言われると、なんとなく・・・。こんな感じ方をするのは、私だけかなぁ。暑さはますますひどくなるのに、夜は早くやってくる。暑くて寝苦しい夜が続くのかとうんざりする。エアコンつけっぱなしで寝ると、とたんに喉をやられる。

 我が家の庭は、夏の花が少ない。紫陽花もいよいよ盛りを過ぎて、これからはキスゲかな。ムラサキシキブの花が結構たくさんついたから、秋のあの宝石のような実がたのしみ。来年は、春にカンナとかひまわりとか夏を彩る花を植えようかななんていうと、鬼が笑うね(😝)

 今朝日の出前に起きて、二階から見た東の空を写しながら思った。故郷信州佐久の小海町には、次兄が茅葺やなの古い家を取り壊し、素敵な家を新築し、いつでも泊まれるのに、なかなか重い腰が上がらない。次兄は東京暮らしだが、月に一度は必ず帰郷して、家の管理をしてくれている。尊敬する。83年の人生で、5歳まで東京、6歳から18歳高校卒業まで、信州、そしてその後は現在まで東京。杉並には28から現在まで53年住んでいるわけだけれど、なぜか、12年しか住まなかった、信州の小海が懐かしい。千曲川、相木川に挟まれた村、丘に登れば、八ヶ岳と浅間山が見える。上野発のJR信越線と新宿発の中央線、どちらに乗っても「小海線」につながる。中央線では山梨県「小淵沢駅」で乗り換え、国鉄(今ではJR)標高最高地駅「野辺山」を経て千曲川にそってくだり、小海に着く。小海線に乗って3年間「野沢北高」に通った。夏至の日の出を見ながら、なぜ、こんなことを思い出したのかな。もしかしたら、JRが「赤字路線廃止」として、「小海線」をなくすらしいと言われているからかも。亡くされないうちに一度帰りたいなと思うけれど、体調やコロナやいろいろあって、無理かも。「故郷は遠きにありて想うもの」かな。

 話が逸れました。 二階からの夏至の空

2023年午前5時2分



2023年午前5時13分














これは、去年の夏至の空
2022年6月21日午前4時28分


2023年6月20日火曜日

NO.898〜2023年6月20日(火)〜父の日は過ぎたけれど〜

 🌻 父は満79歳で、母は満84歳で世を去った。父の歳はもう過ぎたが、この秋11月26日の誕生日には、私は84歳。母は10月30日に84歳になった歳の12月24日クリスマスイヴに亡くなったので、母に習って世を去ることができれば、2024年1月20日には千の風になるのだが、まあ、「一寸先は闇」ですね。

 両親ときょうだい6人、合わせて8人家族があたりまえだったのに、80歳を3年も過ぎると、両親は逝き、きょうだいも、姉、長兄、弟が逝ってしまって、次兄と妹と私の3人だけになってしまい、8人家族は、遠い遠い昔のことになった。

 そんな時、書いたもの(自筆の日記や手紙、原稿など)や、著書や歌集、句集、詩集などの出版物(公的なものでも自費出版でも)が残っていると、在りし日の姿が浮かんでくる。「忘れた歌を思いだす」こともある。

🌻 6月15日について、この前ブログに書いた。きょう、父の日は過ぎたけれど、趣味として歌詠みだった父の残した歌集(父の歌集は「涓流」と「涓流以後」の2冊)の、「涓流」(1975年発行)をぱらぱら捲っていたら、「安保闘争」と題する短歌が7首載っているのを見つけた。その中に、

<安保まもる警官に踏み殺されし樺美智子さんの写真に紅き薔薇をささげぬ>

という一首があった。安保闘争当時私は、東京学芸大学生で、東京暮らし。1960年6月は、連日安保反対闘争のデモに参加していた。子どもは皆東京に出て、信州の実家に二人で暮らしていた父母は、どんな気持ちでいたのか、60年安保についてあれこれ話すことはなかった。あれから63年も経って、父が、あの「樺美智子さん」に関する歌を詠んでいたことを知るとは!若かりし父が東京での最初のメーデーに参加したということは、聞いていたが、樺美智子さんを悼む歌を父亡き後に読むなんて、親不孝な娘だなあ。お父さんごめんね、83歳の娘は謝ります。それにしても、樺美智子さんの遺影に紅いバラの花をささげた父と、話したかった。

 あれから63年、お父さん!ホモサピエンス社会は、とんでもないことになっていますよ。お父さんが今の世にあったら、どんな歌を詠むかしら。

🌻 父の歌集「涓流」の「涓」 とは、字通「普及版」白川静 平凡社(2014年3月19日初版第一刷)554ページによると「しずく、きよい」という意味で、「涓流」とは、「小さな流れ」のことで、例文として「後漢書」にある「涓流」を使った文が、載っています。

「字通」は定価1万円だったので、ちょっと迷いましたが買っておいて良かったと思います。同じ1万円でも、豪華ディナーなら一晩で消えちゃうけど、10年経っても役に立つ!


2023年6月18日日曜日

NO.897〜2023年6月18日(日)〜カラーが咲いた〜

 

きょう、2023年6月18日カラーの黄色い花が咲きました。

下の写真は、2022年6月19日、つまり1年前の姿。

他の花たちは、かなり開花の日時が変わったけれど、カラーは、ほとんど同じ。

この後、花芽が何本出てくるかしら、楽しみ。

























             花たちは、
変わらず美しいけれど、人間社会は悲惨です。

今日の東京新聞朝刊1面の見出しは、
「審議尽くさぬまま成立」

「防衛財源確保法」
なし崩しで借金に頼る懸念
「LGBYQ法」
差別禁止法 必要性浮き彫り

まったくひどいことになりました!

2023年6月17日土曜日

NO.896〜2023年6月17日(土)〜終活について〜

 🌻 『終活』に関して、以前にも書いたような気がするが、いつ何を書いたか、書いたはじから忘れている。困ったことです!!!

 アルバムの整理が一応終わった(と言っても、庭の植物のアルバムだけ、4回の海外旅行のアルバムがまだ32冊残っている!!!これからの大仕事は、このアルバムの始末(すべて可燃ゴミに出す)と、夫が残した本と私自身が買った本(合わせて約3,000冊ほど)とプリント類のしまつ。本は、生きているうちは、眺めていたいので、死んだ後で機械的にゴミに出してもらうか、もし古書店に頼んで引き取ってもらえたらありがたい。

* 何といっても困るのはプリント類の始末。

①(夫婦で発行していた「二人新聞〜ごまめの歯ぎしり(ローマ字でGomameno  Hagisiri 略称「GH」〜1号がB4の紙1枚で81年11月26日から、2000年6月まで不定期発行で300号まで発行しました。

② 教師という仕事の中でのプリント類(学級だより、学年だより、職場新聞、子どもたちの作文集、学級新聞など)膨大な量になっています。

③ 夫が逝き、一人になってからの市民活動の一環として発行していた「杉並区政ウオッチング」(区議会傍聴記や区政に対する意見を書いて、1号をA4の紙1枚にプリント)これは、不定期刊で50号まで。その後は、パソコンでブログ形式での発行になり、最終的には2016年12月26日発行の4478号で終わった。ブログの「区政ウオッチング」は、タイトルだけプリントして保存したが、タイトル集だけでもA4用紙141枚という数。我ながらよく書いたものだと思うが、私の死とともにこれらも灰になる運命だろう。プリント類は、私以外の人にとっては無価値に等しいので、やっぱり、業者に頼んで始末してもらうのがいいのだろう。最近も、「不用品回収、実家の荷物整理引き受けます」という広告がポストに入っていたので、それこそボケないうちに始末しようと思う。

④ 現在発行しているブログ「一寸先は闇」は、パソコンやプリンター機器すべてまとめて娘の連れ合いがセットしてくれたので、私亡き後は、パソコンやプリンター機器、保管してある内容もすべて始末してくれるように頼んでおく。tetujiさんよろしくね!

 というわけで、ほんとうに人一人いなくなるということは、後始末が大変だということ。今、あき家問題が全国で大問題になっているようだが、私たちの親の世代までは、そんな心配はなかったのだから、例えば、これから30年後くらいの世の中はどんなことになっているのか想像もできないわ。我が家も私亡き後は、あき家問題の仲間入りだね。ともかく身の回りの不用品はなんとか始末しないと。


2023年6月16日金曜日

NO.895〜2023年6月16日(金)〜紫陽花2点〜

 🌻 いつまで紫陽花なのって。言われそうね。でも、植物は日々違う顔を見せてくれるので、ついつい惹かれちゃう。動物(特に人間?!)みたいに文句を言わないしね(😜)

今日は、紫陽花の新芽と花盛りを。人間でいえば、生まれたての赤ちゃんと娘ざかり、それぞれの「いいお顔」かな。

3月16日の写真と6月16日の写真です。こうして比べると3ヶ月という時間がどれほど貴重かわかるわね!

よく元気に育ってくれたね!水も肥料もなんにもやらずに、ただただ、毎日元気に育ってね!って声をかけていただけなのに。「我が家の自慢の娘よ」なんてね😘)





















ホモサピエンス社会にほとほと嫌気がさしているナオコばーちゃんは、狭い庭の小さな花たちや、近くの公園の老木たちと話をするのが毎日の楽しみ。でも、ホモサピエンス社会への怒りを忘れはしないよ。忘れる時は千の風になって愛する人たちにに会ったときかな。

2023年6月15日木曜日

NO.894〜2023年6月15日(金)〜1960年6月15日のこと〜

🌻 6月15日 といえば、「ああ今日は6月15日だ、あの日からもう◯◯年も経ったんだなあ」と、1960年6月15日に20才だった私を昨日のことのように思い出す。安保闘争の最中、国会議事堂前の全学連と警官隊の衝突の中に確かに私はいた。その時、少し先の方で東大生の樺美智子さんが命を落とした。まかり間違えば、私だったかもしれない。

 1960年という年は、ものすごい年だった。安保闘争、三井三池闘争、10月12日の浅沼稲次郎氏が刺殺されたこと、などなど。その激動の年に20才だったということが、その後の私の生き方に大きく影響していたと思う。

 63年後の今年2023年6月15日は、20才の私が全く思いもしなかった世の中になっている。とにかく人間が超スピードで変化している、人間の姿形は変わらないけれど、全く違う生き物になっているような気がする。

 20才の私が、一足飛びに現代にやってきたら、卒倒したことだろう。しかし、63年という時間をかけてじわじわと変化してきた中で、2023年6月15日のホモサピエンス社会に適応している私がいる。なんとも不思議な気がする。もちろん変化は抑えることはできない。しかし、よりよく変化するのであればいいけれど、最近の人間社会の変化は、マイナスの方向に変わっているように思う。今、20才の若者が83才になった時のホモサピエンス社会はどうなっているだろう。

 マイナスの方向の最たるもの、そう思える出来事がある。きのう、6月14日(水)の毎日新聞朝刊22面(社会面)を見て「ばっかじゃないの!」と大声で叫んだ。3段抜きの大見出し、記事全体は紙面全体の4分の1の大きさ。さて、大見出しから小見出しまで見出しをすべて書き出す。

君が代 暗記状況調査

 大阪・吹田市教委 小中校生対象

「思想調査だ」教職員組合

「事実上の圧力」

高作正博・関西大教授(憲法学)の話

全くここまで堕ちたか!と思う。その昔、小学校6年生の担任として、日の丸君が代のない卒業式を実施した私としては、全く唖然呆然の出来事だ。吹田市教委の面々は何をねらって、こんなバカげた調査をしたのか。 


🌻 風蘭の花芽が付きました。

今年はダメなのかと心配していましたが、ようやく。

風蘭忌(亡夫の命日、6月29日を私が命名)には、たくさん咲いてね!

 



 










去年の風蘭忌の写真です。⇩


2023年6月14日水曜日

NO.893〜2023年6月14日(水)

 🌻 11日から13日まで3日間もお休みしちゃったとは、我ながらビックリ!どうしちゃったのかなあ。12日は夕方6時から歯医者だったから、なんとなく落ち着かなくて、ブログ休んじゃったのはわかるけれど、とにかく何にもしてないのに、時間ばかりが過ぎていく。というわけで、4日ぶりのブログです。

以下は、2年前、2021年6月13日のブログです。

2021年6月13日日曜日

NO.140.6月13日のカラーとホウチャクソウの実

6月10日に開花したカラーを投稿しました。
右は今日6月13日の写真です。
去年は6月29日開花でしたが
今年は色々な花たちの開花が早いようです














上は4月3日のホウチャクソウの花。5月2日には緑の実になって、
6月10日には実は黒くなっていました。下の写真。このあとどうなるのかな。



🌻 2年後の今年の今日、2023年6月14日の庭の様子は?と見ると、まずビックリ!というか、がっかりというか、「カラー」は
葉は伸びていますが、黄色い花(ほんとうはガクとのことですが)は、まだ気配もない。本当に植物の様子は、年ごとに違いますね。
 今日は雨が降ったり止んだり、さっき雨の止み間に「ホウチャク草」の様子を見たら緑色の実が付いていました。近くには大きなカタツムリが。