2023年6月20日火曜日

NO.898〜2023年6月20日(火)〜父の日は過ぎたけれど〜

 🌻 父は満79歳で、母は満84歳で世を去った。父の歳はもう過ぎたが、この秋11月26日の誕生日には、私は84歳。母は10月30日に84歳になった歳の12月24日クリスマスイヴに亡くなったので、母に習って世を去ることができれば、2024年1月20日には千の風になるのだが、まあ、「一寸先は闇」ですね。

 両親ときょうだい6人、合わせて8人家族があたりまえだったのに、80歳を3年も過ぎると、両親は逝き、きょうだいも、姉、長兄、弟が逝ってしまって、次兄と妹と私の3人だけになってしまい、8人家族は、遠い遠い昔のことになった。

 そんな時、書いたもの(自筆の日記や手紙、原稿など)や、著書や歌集、句集、詩集などの出版物(公的なものでも自費出版でも)が残っていると、在りし日の姿が浮かんでくる。「忘れた歌を思いだす」こともある。

🌻 6月15日について、この前ブログに書いた。きょう、父の日は過ぎたけれど、趣味として歌詠みだった父の残した歌集(父の歌集は「涓流」と「涓流以後」の2冊)の、「涓流」(1975年発行)をぱらぱら捲っていたら、「安保闘争」と題する短歌が7首載っているのを見つけた。その中に、

<安保まもる警官に踏み殺されし樺美智子さんの写真に紅き薔薇をささげぬ>

という一首があった。安保闘争当時私は、東京学芸大学生で、東京暮らし。1960年6月は、連日安保反対闘争のデモに参加していた。子どもは皆東京に出て、信州の実家に二人で暮らしていた父母は、どんな気持ちでいたのか、60年安保についてあれこれ話すことはなかった。あれから63年も経って、父が、あの「樺美智子さん」に関する歌を詠んでいたことを知るとは!若かりし父が東京での最初のメーデーに参加したということは、聞いていたが、樺美智子さんを悼む歌を父亡き後に読むなんて、親不孝な娘だなあ。お父さんごめんね、83歳の娘は謝ります。それにしても、樺美智子さんの遺影に紅いバラの花をささげた父と、話したかった。

 あれから63年、お父さん!ホモサピエンス社会は、とんでもないことになっていますよ。お父さんが今の世にあったら、どんな歌を詠むかしら。

🌻 父の歌集「涓流」の「涓」 とは、字通「普及版」白川静 平凡社(2014年3月19日初版第一刷)554ページによると「しずく、きよい」という意味で、「涓流」とは、「小さな流れ」のことで、例文として「後漢書」にある「涓流」を使った文が、載っています。

「字通」は定価1万円だったので、ちょっと迷いましたが買っておいて良かったと思います。同じ1万円でも、豪華ディナーなら一晩で消えちゃうけど、10年経っても役に立つ!