2024年1月1日月曜日

NO.1O23〜2024年1月1日(月)〜ブログ第1回の再掲と2024年初日の出〜


🌻 2024年1月1日、東京杉並の元日の空は晴れています。
 今日のブログは1023号。
  第1号は2021年2月17日でした。第1号を再掲します。
 
2021年2月17日水曜日

1 ブログはじめました

 きょう、2月17日は私より7才も若い友人の1周忌。     知らせを受けた時、あまりのことに、腰が立たなくなってしまいました。
 闘病の知らせもなく、普段通りにメールをしたその返信が、お連れ合いからの彼女の死を知らせるものでした。
 50年も前に、同じ職場で出会い、それからずっと友情を育んできた友の死は、ほんとうにショックでした。
 その衝撃が冷めやらぬ2021年7月末のことです、6月29日に亡夫の17回忌を無事に済ませて、16年間無事に一人暮らしをしてきたなあとホッとした矢先、夜中に二階の寝室を出て廊下の向かいにあるトイレに行こうとした時、寝ぼけて階段前の空間に踏み出して、踊り場に転げ落ちたのです。
 後で思うと、よくやったなあと自画自賛するほど、ものすごい痛みの中で、自分で救急車を呼び、入院。腰椎骨折と捻挫という診断が出て、慌てて駆けつけた妹に、医者は「よくて車椅子生活、悪ければ寝たきり」と宣告したのでした。しかし、先に逝ってしまった親友と夫が、守ってくれたのか、40日余りの入院を経て、杖も突かずに退院。「良くて車椅子、悪くすると寝たきり」と言って妹を震え上がらせた医者から
「奇跡的だ」とお褒めの言葉を(?!)いただきました。

 2ヶ月余り後、81才の誕生日を迎えた時に、今後は今年のようなアクシデントもあるかもと思い、残る日々「言いたいこと言わねばならぬこと(桐生悠々の言葉)」を言うためにブログを始めることにしました。
 機械には全く弱く、コンピューター社会には敵意(?)さえ持っていたのに、その私が、パソコンのお世話になるなんて,と自嘲しながらも、以前発行していた手書きの個人新聞はもう無理だなと観念して、パソコンのおせわに。
 幸い娘の連れ合いがパソコンやカメラに堪能で、文字どおり懇切丁寧に、手取り足取り教えてくれまして、始めることができました。冒頭の水仙は庭に咲いたもの。亡き親友の墓前に供えたつもりで掲げました。(ここまでブログ第1号の要約です。)
 
 🌻 おかげさまで、今日2024年1月1日ののブログは1023号休んだり、もうおしまいですと宣言したり、朝令暮改でまた始めたり、紆余曲折をへながら、何とか今日になりました。
 今後何が待ち受けているか、ブログ名のように、世の中や人生は「一寸先は闇」を実感することが多いので、何とも言えませんが、できれば、みなさまへの「無事の知らせ」として、このいい加減なブログを続けるつもりです。よろしくお願いします!


写真。上から順に。
2024年1月1日、午前5時40分西空の月。7時10分日の出。7時22分玄間の中に初日が当たり、7時40分リビングの壁に初日の光。





 🌻 ただいま、2024年1月1日、正午を回りました。皆様から、たくさんの年賀状が届きました。一人暮らしの84才ばーちゃんに、こんなにたくさんの賀状が届けられるなんて、本当にありがたいことです。今年もできるだけ、「や〜めた!」などと、短気を起こさず、日常の様々なことや、世の中への怒りの言葉などをお届けしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。末筆ながら、皆様のご健康をこころよりお祈りしています。
2024年元旦 村田尚子