2024年3月10日日曜日

〜N0.1075〜2024年3月10日(日)〜東京大空襲(1945年3月10日)から79年目の3月10日〜

 🌻 1945年3月10日の東京大空襲のあと、もう東京は危ないと私の母は5歳の私の手を引き、2歳の弟を背負い、10月出産予定の身重の体で、満員列車に乗って東京高田馬場から、信州佐久の夫の実家に疎開したのでした。疎開して間もなく、5月25日の山手大空襲で、高田馬場の我が家は焼け落ちました。

 このブログにも何回も書きましたが、この空襲で我が家は、死者やケガ人こそ出なかったものの、ほとんどの家財道具と古本屋だったので、その本の9割が灰なったのでした。空襲の後、父と長兄も信州に帰り、学童疎開で1年前に疎開していた次兄、東京都下檜原村で教員になったばかりの長女も帰ってきて、1945年(昭和20年)8月15日の終戦時には、両親、長女、長男、次男、次女(私5歳)、次男(2歳)の一家が揃って、正午の天皇の終戦を告げる放送(当時は玉音放送といった)を聞いたのでした。この時、終戦にならなかったら、大学生だった兄は、9月に学徒動員で召集される予定だったので、玉音放送を聞くや否や「バンザーイ!!!」と叫んで、裸足で庭に飛び出したのでした。その姿を今もおぼろげながら覚えています。亡夫は兄より一つ上でしたが、どうしても戦争に行きたくないという思いで、大学時代に鎌倉のお寺に避難していて、なんとか学徒動員を免れたのでした。

 1945年という年は、世界史の中でも、日本という国にとっても、重大な年だ。 

 今日の朝刊を見ると、79年前の東京大空襲について、購読3紙(毎日、東京、赤旗)の取り上げ方は以下のとおり。

「東京」は、「時忘れじ平和の誓い新た」の大きな見出しで取り上げている。

 「毎日」は「高齢化進む空襲被害者」「国の責任で救済を早急に」とのタイトルの「社説」を掲げた。

 赤旗は11面(社会面)に

「東京大空襲79年 次代に伝える」

との見出しで4分の1面の大きな記事を載せている。

新聞3紙購読代は、年金生活者には、かなりの出費だが、こうして比べて見ると、いろいろ勉強になる。出費は大きいが無駄にはならないだろうと思う。