2024年3月3日日曜日

NO.1067~2024年3月3日(日)〜今日は楽しいひな祭り(その1)〜

♬〜今日は3月ひな祭り〜♬〜明かりをつけましょぼんぼりに〜♬

きのう、親友が「桃の花」を持ってきてくれました。84歳白髪頭のばあちゃんにとっても、「ひなまつり」と聞くとなぜか心が躍ります。まずは、3年前のブログ再掲から。

2021年2月19日金曜日

NO.3~1903年生まれ、118歳のお雛様(ブログ名変更)

*ブログ名を変えました。
「ばあちゃんのひとりごと」「一寸先は闇」に変えました。理由は、「ばあちゃんのひとりごと」というブログがたくさんあるみたいなので,変えることに。悪しからずご了承くださいね。人生本当に「一寸先は闇」ということが多いというのが81年生きてきての実感です。

「2月は逃げる」というが、今年もはや2月19日。冬至の頃からみると我が家の二階から見える日の出の時刻は30分あまり早くなり、日の出の位置もずいぶん 東寄りになった。あと2週間足らずで3月3日、雛祭りがやってくる。81歳、一人暮らしのばあちゃんにとっても、雛祭りは心弾む日だ。

* 私は1939年11月26日東京高田馬場で古本屋の娘として生まれた。6年後1945年5月25日に東京山手大空襲。空襲直前に、かろうじて父の故郷、信州佐久の山村に疎開していて、命だけは助かったけれど、沢山の書籍、家財道具や衣類など身の回りの品々は、家とともに焼け落ち、私の初節句の7段飾りの豪華なお雛様も灰になってしまった。

* 1946年4月国民学校入学、お雛様のないことが悲しく、自分で折り紙のお雛様を作ったりしていた。中学1年の夏休みのこと、母に連れられて小学生の弟と妹も一緒に、群馬県勢多郡宮城村にある母の実家に行った。お雛様がないという私の嘆きを聞いた祖母が、蔵から「お前の母さんの初節句のお雛様だよ。」と言って大きな箱に収まった一対のお内裏様を出してきた。1902年10月生まれの母の初節句といえば1903年3月。50年以上も昔の話だったが、大切にしまわれていたのか、昨日買ってきたばかりのように綺麗だった。祖母の言うことに、「おなみ(母の名前)は長女だったから、前橋まで出かけて京都から取り寄せてもらったんだよ」とのことだった。母も半ば忘れていたようで、大喜び。もちろん私も嬉しく、その箱を押し抱いて意気揚々と帰ってきた。高校を卒業し、大学進学で上京するまで、毎年3月3日は、母のお雛様を飾って盛大にひな祭りをした。

* それから幾星霜、夫も逝き、子どもは皆東京に出て一人になった母は1984年、初節句のお雛様とともに東京杉並の我が家に来た。その2年後、あの世に旅立ち、私の夫も2004年6月29日逝ってしまった。一人になった私だが、3月3日のひな祭りは、母のお雛様とともに祝ってきた。今年も、もうすぐひな祭り、118歳のお雛様と楽しいひな祭りをしようと思っている。

(写真は118歳のお内裏様。ちょっとボケてしまってすみません)