2021年11月19日金曜日

NO.338 二人の老婆の昔ばなし

💐 せっちゃん便り 💐

 なおちゃんのブログのお陰で、私が一年生に入学したのは、蒲田国民学校だったのだ!と、思い出しました。焼け落ちてしまった学校のかわりに、私は、電車に一駅乗って、焼け残った、学校に、六年生の兄と通いました。  好きだった男の子と手をつないで、先生と散歩して、その子が、馬の糞を、踏んでしまったこと、その子(Sくん)や担任の女の先生のこと、今でも覚えています。~懐かしい~、Sくん、どんなおじいちゃんになっているかしら、元気でいるかなぁ。終戦後の寄せ集めの子どもたち。二年生になって、たった3教室ばかりの、地元の学校に戻った時、もうS君は、いませんでした。青空教室、二部授業、廊下は、なく、給食は、重たい手つき鍋を、道路から、運び入れていました。焼け跡の、食べ物も着る物も、お風呂も、満足にない、極貧の、暮らしでした。

🌻 なおちゃんは、村の小さな学校の1年生。敗戦後の学校は、田舎も都会も貧しかった。せっちゃんのように学校が焼け落ちてということはなかったけれど、昔からあった学校だから、小さくてボロでしたよ。給食が始まったのはいつだったかなあ。いわゆる脱脂粉乳ミルク給食が始まったけれど、本当にまずかったな。戦後教育の変遷は、歴史書で調べてもらうとして、小学4年生頃まではただ貧しく、お腹をすかしていた、みんな痩せていて、ダイエットなんて夢のまた夢。そんな思い出です。そうそう、私の場合、田舎だったからか、子どもはみんな、頭にシラミがいたので、学校で衛生の先生(今では保健の先生〜養護教諭と言いますね)が、噴霧器で頭にDDTをまいてくれた。その日は帰るときに風呂敷をかぶって帰るんです。家に帰って風呂敷をはずすと、DDTでやられたシラミの死骸がパラパラと落ちた。また、ほとんどの子はお腹に回虫を持っていて、学校で虫下しの薬を飲まされた。頭にシラミ、お腹に回虫、さらに私は目がトラホームにやられて、たいへんだった。現在の子どもが聞いたら、卒倒しちゃうんじゃないかなあ(😁)

村の学校だから、小学校と中学校は同じ校舎。校庭も体育館(その頃は講堂と言っていた)も同じで、運動会も何もかも小・中学生一緒だった。でもね、そんな貧しく不衛生な小学生時代でも、勉強をし、友情を育み、少数ながら高校大学に進んだ子もいた。私が中学を卒業したのは1955年3月だから、今から66年前、たった66年で生活様式のほとんどは変わってしまったわけね。天皇主権の憲法から国民主権の憲法になり、国家主義の政治から、民主主義の政治になり、生活様式のほとんどは変わってしまったのに、日本人の精神生活ほとんど変わっていない。すなわち、象徵というわけのわからないものではあっても、制度としての天皇制があり、天皇は男系男子という制度がある以上、日本人の精神には、男尊女卑、家父長制などの現憲法で否定されたはずのものが住み付いていて、無意識のうちに、がんじがらめにされている。この前の総選挙だって、全く昔と変わらなかった。どうしたら真実の民主主義政治が行われる民主主義国になるのか。私が生きている間は、望み薄だね。🌻

なんだか話が飛んでしまいましたが、科学の力で、人間社会は驚くほど変わって、便利といえば便利になったけれど、人類は年ごとに劣化の一途をたどっているんじゃないかな。一番劣化し、枯渇してしまったのが想像力と思考力じゃないかと思う。思いを巡らし、あれこれ想像して、自分なりの考えや結論に持っていくという面倒な過程を省いて、スマホやパソコンでちょっと指を動かせば回答を得られる。空を見上げて、今日の天気はとか、暑さ寒さも自分で判断していたのに、傘を持っていけ、長袖を着ろ、夕方はコートが必要などなど、全部誰かの言うことを聞く。想像力と思考力をなくしたら、ホモサピエンスはおしまいじゃないかしら。

😔  支離滅裂の今日のブログでした。おまけの写真、2021年11月19日。😔