2022年2月28日月曜日

NO.438 喜と怒と

😌 さくら便りはきょうでおしまい。3本の小枝についたつぼみは99.9パーセント開花しました。

写真後方のミニシクラメンは11月からずっと咲き続けています。最初の開花が順に終わって、次々に新しい花芽が出て、開花しているのです。嬉しい限り!

桜の方は、最初に開花したのが25日でしたから、そろそろ終わりかしら。花の少ない季節にシクラメンや桜を楽しめるなんて、ほんとに幸せ。という喜😌をアップした後に、まさに😡「怒髪天を突く」新聞記事を!


  毎日新聞今日、2022年2月28日(月)朝刊14版2面トップ記事。毎日新聞特別編集委員という肩書きのこの人 山田孝男さんの「風知草」写真では、読みにくいと思いますが。こういう議論が日本を代表する全国紙の一つの特別編集委員の口から出て、それが朝刊にデカデカと載る!日本も終わりだね!

 特に、最後の一節!怒りを込めて全文書き移す。

<各種兵器を合わせて防衛網を整え、攻撃すれば報復に遭うーーーと相手に思わせることは必要である。当今盛んな「敵基地攻撃」をめぐる抽象論は現実的な政策論戦とはいえない。> <核廃絶へ近づくためには核兵器の実態を知らなければならない。核兵器を知ることは国際政治により深く関わることである。その覚悟が問われている。>毎週月曜日に掲載 


<核廃絶へ近づくためには核兵器の実態を知らなければならない。核兵器を知ることは国際政治により深く関わることである。その覚悟が問われている。>
れを、どう解釈しますか。国民をなめるのもいい加減にしろ。ちゃんと日本も核兵器を持つべしと、正直に書きなさい!変な言い回しをしたって、あなたの本音は、82歳独居ばーちゃんにだってちゃんとわかりますよ。よくもこんな愚論を!核兵器の実態をいやというほど知っている日本だからこそ、核兵器を持たない覚悟をしているのだ!!!山田さんは一刻も早く、核兵器を持たない覚悟をするべきだ!!!毎日新聞特別編集委員だなんて、毎日新聞もとんだ恥をかいたものですね。でも、記事にしたということは、毎日新聞社としてもこの愚論に賛成ということですよね。昔、小学3年生だった教え子から毎日新聞入社のしらせがあった時から、それまでの朝日から毎日に乗り換えて愛読してきたのに、しかもその彼が、今では毎日新聞の幹部になっているという話だが、毎日新聞ともお別れかな。









同じく今日の朝刊、東京新聞は、最終面27面の3分の2を使って、ウクライナ関連の大きな記事を載せている。これも写真がよく取れないが(私がダメなんで、すみません)見逃せない、良心的というか、日本人が知りたいこと、知らねばならぬことを報じている。今日の東京新聞朝刊12版が手に入ったら、永久保存ですね。


世界各地抗議の写真は、上から名古屋、京都、那覇、アメリカNY、パリ、ベルリン、ウイーン。

日本の抗議については、渋谷駅前約1,000人、都内に住むロシア出身女性のことば新宿駅西口100人以上、名古屋市の集会ではウクライナ西部出身の英語教師の涙ながらの訴え、京都市中心部では約160人のキャンドルデモ、那覇市の市街地では、市民ら約60人などを報じている。

私もデモや集会に参加したいけれど、現在の体の状況では、その場で体調を崩して参加した人々に迷惑をかけることがありうるので、せめて行動している人々にブログでエールを送りたい。


N0.437 友人からのメール

プロテアナオコより みなさまへ

いつも感想を届けてくれるかずちゃんからのメールを以下に。

(なお、以下は、かずちゃんのメールの原文のママです。文字色はナオコです)

 皆さま

私のお産友だちから、下記のメールが来ました。良ければお読みいただき、拡げていただけたらと思います。私はAvaazというコミュニティからの呼び掛けに、署名しました。
田中龍作さんのブログも、視てカンパしています。

ウクライナの人々の無事と、ロシア兵の離脱・亡命とを祈ります。  

 ########

職場の退職者でひと月1回山歩きをしています。そのメンバーの知り合いにウクライナの人がいて、その人からメッセージが届きました。転送します。

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オーストラリア、ネパール、中国、グアテマラ、ハンガリー、クロアチア、アメリカ、日本、スリランカ、ベトナム、タイ、台湾、ドイツ、エストニア、イギリス、ロシア、インドネシア、フィリピン、カナダ、南アフリカ、パキスタン、バングラデッシュ、イラン、マレーシア、カンボジア他 さまざまな地域の親愛なる友人たち
 
私は今、日本にいて無事ですが、私たちウクライナ人は今この瞬間にも殺されているのです。
ロケット弾が私たちの家に飛んできます。病院にも。私たちの心の中にも。
私たちの国民は避難所や地下鉄のホームで夜をあかしています。今だ。今夜も
 あなたの母親、父親、兄弟、友人、友人の友人、隣人、その隣人のみなさんに伝えてください。私たちウクライナ人は今、殺されているのです。どうかこのことを知ってください。世界中の人々に知ってほしいのは、我が国が自国の道を歩みたいという理由、ただそれだけです
 
ロシア軍は私たちを攻撃しています。私たちはロシア人を嫌っているわけではありません。私の曾祖父はロシアの首都であるモスクワで生まれました。私の祖父は、ロシア最大の川、ヴォルガの近くで生まれました。私の母国語はロシア語です。私たちは、ロシア人がお客として来れば歓迎しますが、戦車で殺しに来るのはごめんです。
 
今、彼らの戦車は私の実家から数キロのところに迫っています。砲撃の音が絶え間なく続いていますが,私の両親はどこにも隠れることができません。昨夜彼らに電話することができて,無事なことを確認しましたが,これからどうなるのかがとても心配です。私は両親だけでなくすべてのウクライナ人のことが心配です。私は彼らに死んでほしくない。私たちを殺すために送り込まれたロシアの若者たちも死んでほしくない。
 
あなたがこのような状況を知ることが、私と私たちの助けになります。情報を共有することによって。私たちを支援することによって。これは人類に対する犯罪であることを皆に伝えることによって。もしよろしければ、このメッセージを共有・拡散してください。
 
私はこの戦争に反対しているロシアの人たちに感謝します。逮捕された人たち。恐怖と後悔を感じている人たち。
 
親愛なるウクライナの友人たち、今日は私の誕生日です。どうか私に最高のプレゼントをしてください、それはみなが生きていてくれることです。
 
最後に、世界の心ある皆さん、私たちのために祈ってください、私たちは突然最も暗い闇に突き落とされてしまったのです.

2022年2月27日日曜日

N0. 436 今日2回目の投稿は、セッチャン便り。


 💐 セッチャン便り 💐

相変わらず、ウクライナ危機、心配ですが、世界各地で、暴力批判のデモが、起こっていますよね。戦争を起こすなという、世界の声が、広がることを、願っています。

ウクライナ市民の、マスクをしての、地下鉄などへの避難を見ると、本当に言葉が、出ません。
 ひな祭りの頃なのに、貧困、不景気の、日本では、昔のように、テレビで、雛飾りの、宣伝は、ほとんどなかったと、思います。
 私は、隅っこに、手作りの、木目込み雛を、飾りました。
 雛飾りに、平和を、祈って。



🌻 去年の2月19日のブログに私の母(1902年〜1986年)の初節句(1903年3月)のお内裏様を紹介しました。

左の写真です。今年、119歳のお雛様。セッチャンの木目込み雛は何歳まで健在かしら。

NO.435 ワクチン接種副反応と桜

昨日の夕方は、元気だったのに、夜になって接種した腕が痛くなり、熱も7度台まで出てきて、一晩中大変だった。

今日は、今午後1時過ぎですが、いくらかよくなってきたので、さくらが散る前にと写真をアップしました。



 

2022年2月26日土曜日

NO. 434 2月26日(土)二、二六事件と早咲き桜

 🌻 二、二六事件って、あああれね、と言える人は、日本全人口のうち何パーセントかな。ついこの間まで、特別な日だったような気がするけれど、今では歴史の彼方にぼんやりとという感じかしら。1936年2月26日〜29日にかけて発生した、日本のクーデター未遂事件。この事件については、文学作品もいろいろあるが、うちの書棚にある、一番新しい本は、奥泉光著中央公論新社発行<2018年2月10日初版発行の3版(3月20日発行)>「雪の階です。

  この年の2月26日は前夜からの雪が積もっていて大雪だったそうですが、86年後の2022年2月26日の東京は青空が広がり暖かな日でしたね私は、午前中3回目のワクチン接種をしました。帯状疱疹が治ったばかり、口内炎や鼻づまり喉の違和感などがありますが、体温は接種現場で36度6分ということで、接種に問題なしと言われ、チクっと針をさして終わり。待ち時間込みで午前9時半に家を出てから帰宅まで約2時間。現在、午後5時半ですが、接種後の副反応は現れていません。

 86年前の日本のクーデター事件とは比べ物にはならないけれど、世界を揺るがすロシア、プーチン大統領の全世界を相手に起こした暴挙はどうなることか。私が何を言っても始まらないけれど、とにかくホモサピエンスは進化していないなあと思いますね。

 ホモサピエンスはだめだけれど、自然界の他の生き物はえらいなあ!昨日、1輪開花した桜が今日は夕方までに5輪になりました。花瓶に挿してあるだけなのに、本当にキミはえらいねと声をかけています。では、そのえらい桜ちゃんをどうぞ!




2022年2月25日金曜日

NO.433 道路工事終了

 🌻 昨日のブログに道路工事の写真を載せましたが、今日ですっかり終わりました。マンホール周りも綺麗に舗装されたので、またスマホ写真を撮って、プリントし、工事の人にあげたら喜ばれました。明日は私は3回目のワクチン接種なので、ブログ投稿ができるかどうかわからないので、きょう、2回目の投稿は、明日の分ということで、写真を二枚。

道路工事完成の写真と、友人からもらった、早咲き桜のひと枝を花瓶に生けておいたら今日開花、その写真を。桜の写真はちょっとボケちゃって申し訳ありません。





NO. 432 ウクライナ問題

😡 ほとほと、人間の愚かさに愛想が尽きる。どう考えても、戦争は悪だ。若い頃、例えばヒトラーや、大日本帝國や、その他もろもろの独裁者、権力者、支配者に立ち向かった人民の戦いは「正義の戦い」と思い支持してきた。しかし、人間のする事なす事さまざまなことを見聞きし、ホモサピエンス誕生からの歴史を顧みてきた今現在,82歳になってようやく、暴力では何も解決できないと悟った。ホモサピエンスは、思考力、想像力をもち、科学技術を身につけ、生命をコントロールし、ついには宇宙をも支配せんとする欲望を持つに至った。しかし、そう遠くない将来,ホモサピエンスを凌駕する未知の生物が出現するかもしれないのだ。

 そんな2022年現在、相変わらず武器で気に入らない相手を叩き潰そうとするそんな発想を持ち続け、その武器が棍棒から核兵器に変わった今現在でも、相手を叩きのめし自分だけは生き延びると思っているらしい。プーチンだろうが、バイデンだろうが、習近平だろうが、岸田だろうが、どこの国の権力者だろうが最終的に勝者になり他国を支配することなど不可能だ。その前に地球そのものが核兵器の犠牲になる。まったく馬鹿げた話だ。

 昔『猿の惑星』という映画や「2001年宇宙の旅」という映画で驚きと恐怖を抱いたが、2022年はその何千倍もの恐怖と絶望感をもつ。いまだに第二第三の地球の出現は考えられないというのに、文字通り奇跡の星地球を現在の大人たちが破壊していいのか。

 少子化を心配し、人造人間まで作り出しそうな現在、何千、何万という人命を瞬時に破壊する戦争をそれでもやめない愚かなホモサピエンス。どこかの小国が一国消えただけでも世界中が影響を受け、生活が成り立たなくなるような緊密に繋がっている世界で、戦争をしたらどうなるか、小学生にだってわかるだろう。それに地球はホモサピエンスだけのものじゃないのだ!!!地球誕生から今までそれこそ星の数ほどの生命が生まれ現在に至っている。それをホモサピエンスがすべて破壊していいのか。

 新聞もテレビもその他もろもろの媒体で、えらい人々があれこれおっしゃっておりますが、どれもこれも「まったくその通り!」と納得できるものはほとんどない。私が言えるのはひとこと、

「バカはやめろ!」

と、それだけね。

 ここまで言いたいことを深く考えもせず書き散らしましたが、あとで読み直すと、誤字脱字も含めて手直しが必要かもしれません。でも、とりあえず、アップします。

よろしくね。

2022年2月24日木曜日

NO.431 家の前の道路下水のマンホール取り換え工事

🌻 古い住宅地なので道路の舗装や電線取り換え、下水マンホールの蓋の取り換えなど工事が続く。

2階の窓から写した、マンホール蓋、取り換え工事の写真。古いのを掘り起こし新しくするまで。1枚目10時45分 最終15時46分。北風ピープーの中をご苦労様でした!










2022年2月23日水曜日

NO.430 今日の二回目は植物

 



左と下は

多肉植物

何年も置いてあるけれど、

あんまり大きくならない。


福寿草は2018年2月24日




NO.429  2022年2月23日 休日を考える

🌻 今日の休日は「天皇誕生日」 だが、なぜ天皇誕生日が休日なのか、ちゃんと言える人いますか?私は言えませんが。内閣府のHPには、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)が載っていて、

第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

第2条 「国民の祝日」を次のように定める。として、元日から勤労感謝の日まで16日の祝日一覧表があり、その意味も載っている。しかしその説明がおかしい(笑える)。なぜなら、例えば、<元日 1月1日 年のはじめを祝う。>とあり<成人の日 1月の第二月曜日 大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。>とある。変でしょ。だって、元日はただ単に<年のはじめを祝う>で、成人の日は< 大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。>と理屈をこねている。次に、<建国記念の日は、政令で定める日とあり、2022年は2月11日だ。意味は、建国をしのび、国を愛する心を養う。>とある。さらに<天皇誕生日(2022年は2月23日、天皇が変われば変わる)、意味は、天皇の誕生日を祝う>なんで天皇の誕生日を祝うのか、こどもに聞かれたらどうするのかな。ことほどさようにご都合主義。5月の祝日には<こどもの日 5月5日>があるが、その意味は<こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する>とある。私は、内閣府の「国民の祝日について』というHPを初めて見たが、こどもの日が、<母に感謝する>日だとは知らなかった!そういえば、5月には母の日というのがあったが、それは「国民の祝日」じゃないから、母への感謝は「こどもの日」に持ってきたのね。父への感謝は特にないのね。いい加減だなあ。

 ところで、法律というものは、時代とともに変わるものということは分かるし、変えなければならないものもある。今までの日本で、最も大きく変わった法律は「憲法」でしょう。

 「大日本帝國憲法」から「日本国憲法』になったのですからね。ですから、国民の祝日に関する法律が何回変えられて(政府は「改正」といっていますが、中には「改悪」されたものもある)、「改正」の理由が、全くいい加減、ご都合主義のものもある。つまり、祝日には、意味があるはずなのに、そんなことはお構いなしに、例えば「第月曜日」などとする。したがって、毎年祝日の日付が変わってしまう。これをご都合主義と言わずに何というか。意味なんかどうでもいい、休みが増えればいいという考え方もあるね。。しかし、それでいいのかな。「建国の日」なんて史実に反する」無理矢理意味付けした日だからね。昭和41年に祝日法改正(改悪)によってできたこの日については、当時、「建国記念の日反対闘争」が起きたけれど、現在は、そんなことも忘れられているね。

 長くなったので、これでやめますが、毎年祝日が変わって不便、というだけのことではなく、その裏には、歴史の改ざんまで見え隠れすることを忘れたくないと思いますね。また、戦後の祝日法で、新たに定められた祝日でも、戦前の風習からの連続や、あるいは天皇家の行事(たとえば天皇家の「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になった)だったり、その中でも祝日になったものとならないものがあるなどかなり恣意的。5月5日のこどもの日は、男の子の節句(端午の節句)からとったのに、女の子の「ひなまつり」や、7月7日の「七夕まつり」は無視。などなど、問題点は多い。おまけにいうと、いつの日にか「夫婦別姓認める法律制定記念日」や「核兵器廃絶法成立記念日」「原発禁止記念日」なんかが祝日になる日が来ますように!


2022年2月22日火曜日

NO428 2022年2月22日(火)その2 セッチャン便り(浅間山荘事件に思う)

 私の世代は「浅間山荘事件」の受け止め方も様々。またその後の人生に大きな影響を及ぼしている。せっちゃんからも以下のようなメールが来た。

 💐        東京新聞、22日朝刊、考える広場。一番若い東大教授北山氏は、あの時代生きていたら、山岳ベースに行ったかもしれないと述べ、弱さを見つめる大切さを、言う。実際、まだ丹沢にあった、ベースに、誘われ、一泊したエッセイスト 田中さんは、二つの視点を持っていたので、単眼的な、彼等の場を離れた。映画監督高橋氏は、2001年連合赤軍をテーマにした立松和平さんの原作を映画化し、ノーと言える大切さを、述べている。

 暴力で体制を変える不可能さは、私は、体力も無く、家族とあの時代でも、良く話していて、さんざん、振り回されて、自覚したと思う。私なりの、夢があったので、大学を中退、労組に飛び込むこともなく、卒業し、夢を必死に追い続けた。
 
  あの事件で、やっと、暴力では変革は出来ないと、知った、知人のグループは、その後、地道な市民運動に、進んで行き、共助生活体を、築き、助けあつて暮らしているようだ。
 あの事件は、その頃まだ、うごめいていた暴力分子を、覚醒させ、助けあって生きる大切さの、重要性を呼び覚ます役目を、多大な犠牲の上に、残したと思う。💐

🌻   現在は、世界中で、いろいろなところで、たくさんの若者たちが、それぞれの方法で世の中を変える動きをしている。日本のあの戦争の時代、牢に繋がれても未来を思って歌ったぬやまひろしが、若者に呼びかけている。(詩集「編笠」より)

若者よ

体を鍛えておけ

美しい心が 逞しい体に  からくも 支えられる日が    いつかは来る

その日のために  体を鍛えておけ

若者よ

NO.427 本当は東京新聞に投稿したいのですが

 😡 朝から腹が立つ! 朝6時、明けの明星金星の輝きを見て心が洗われたのに新聞を開いて、またまたいつもの怒れるばーちゃんになってしまった。

今日2月22日(火)東京新聞26面こちら特報部。見出しを活字の大きい順に。<こども基本法 保守派横やり><マルクス主義><左派的><「コミッショナー」に異論><自民の会合>

 まずなんとも馬鹿らしいというか、こういうこという連中の頭はどうなっているのか、1960年代から変わっていないのか。子どもの権利を認めるという全く基本中の基本、朝おはようと挨拶するくらいのあったりまえのことなのに、何をもって<マルクス主義><左派的>などというのか。だいたい<マルクス主義>のなんたるかも<左派>の意味するところもな〜んにもわかっちゃいないことを暴露しているようなものだ。私が子どもだった頃、子ども同士が喧嘩して、相手を罵る言葉として<バカ、カバ、チンドンヤ、オマエノカーチャンデベソ>と大声で叫んでいたが(今では、差別用語として発言禁止だろうね)まったく<バカカバチンドン屋!>と言ってやりたいわ。

 <マルクス主義><左派的>と言えば相手がビビると思っているとしたら、笑止千万!自分の馬鹿さ加減をさらけ出しただけ!

 記事を詳しく読んだら「こども基本法」について、自民党の城内実衆議院議員は、21日、特報部の取材に

「マルクス主義の中には、個人主義を重視しすぎ、家族を否定するような行き過ぎた思想が一部にある。そういうものが入ってくる可能性があり、日本の伝統的な家族観が破壊されかねない懸念がある」と答えたとのこと。あまりの程度の低さに泣けてくる、笑い話にもならないね。特報部の記者は即座に<マルクス主義についてのその見解の『出典』を明らかにせよ><日本の伝統的な家族観とかどういうことか>と突っ込んで質問すべきだった。

 こち特の記事には、以下の記述もある。

 一方、会合では元拉致問題担当相の山谷えり子参議院議員も「左派の考え方だ。恣意的運用や暴走の心配があり、誤ったこども中心主義にならないか」と発言したと報じられた。特報部は山谷氏の事務所にも取材を申し込んだが、多忙を理由に回答を得られなかった。

 こんな政治家が大手を振って歩いている国に生きているこどもたちが本当にかわいそうだ!

いや、こどもたちだけでなく、国民はと言おう。

もっともこんな連中を議員として選んでいるのも、

日本国民の有権者なのよね。

日本の未来は暗いね。

2022年2月21日月曜日

NO. 426 2022年2月21日(月)帯状疱疹完治

🌻 皆様に随分ご心配いただいた「帯状疱疹」今日で完治です。

 夕方かかりつけのヤスダクリニック(家から徒歩6分) へ。午後は4時からの開院。4時に行ったら1番だった。先生に背中の発疹を見てもらったら「きれいになっている、もう飲み薬はいらないでしょう」とのことだった。日常的に飲んでいる整腸剤と、風邪薬(漢方の顆粒状薬)それに喉の薬(トローチ)を処方してもらい帰る。薬代込みで670円。窓口での支払いは1割負担なのだから、保険がなければ、今日の支払いは6700円ということになる。保険制度はありがたい。アメリカは国民皆保険じゃないというから、うっかり医者に行くこともできないね。

🌻 今年は春が遅いみたいというより、パソコンの写真集を見ると2017年は春が早かったみたい。2017年の2月17日に福寿草と黄水仙が見事に開花している。その写真を。今年は両方ともまだ芽が出たばかり。





2022年2月20日日曜日

NO425. 2022年2月20日(日)今から89年前、1933年のこの日、小林多喜二が拷問され命を落とした!

 🌻 1933年、2月20日小林多喜二は警察によって拷問され殺された。1903年10月13日生まれ。私の母は1902年10月30日生まれなので、小林多喜二と母は同世代だ。そう思うと、多喜二が今までよりずっと身近に思える。多喜二が殺された1933年から6年後1939年に私は生まれたのだから、私が生まれた頃の世の中は騒然としていたわけだ。83年後、2022年が、現在のような人間がロボットのようになっている世の中になっているなんて、誰一人想像していなかったでしょうね。ということは、今年生まれた赤ちゃんが83才になる2105年頃の、地球の姿、人間社会の有り様を、的確に想像できる人は多分いないんじゃないかな。怖いもの見たさで、見てみたい気もする。

 多喜二から話が飛んでしまったけれど、「思想犯」で逮捕され拷問によって殺されたという現実、たった89年前の話なのだ。1933年から89年後の今年、当時とほとんど変わらない思想の持ち主がたくさんいる。敵基地攻撃などを臆面もなく言い募る国会議員が現に存在する。恐ろしい話だ。

 また話が飛ぶが、多喜二が殺された1933年は、桐生悠々が8月11日の信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤ふ」を書いた年だ。今朝早くふと目が覚めて、井出孫六著「抵抗の新聞人桐生悠々」(岩波新書 1980年第1刷発行、私が持っているのは2002年第6刷)を読み返した。今のメディアのだらしなさに「21世紀の桐生悠々は何処に!」と叫びたい心境だ。

 多喜二に戻って、さっきネット検索したら、一昨年2020年、多喜二没後87年の多喜二祭が、彼の故郷北海道小樽市で開かれたとい記事が見つかった。記念講演が前川喜平さんの「安倍政権下の教育」だった。

 またまた話が変わりますが、我が家の裏の50坪の空き地、数年空き地のままでしたが、ついにきょう、地鎮祭をやってました。夜、建築を請け負う会社が挨拶に来ました。完成は五月末とのこと。一昨年9月、私が退院してから向こう三軒両隣でずっと工事続き。新築やらリフォームやら。空き地に新築の家が建つのはいいけれど、しばらく騒音や揺れに悩まされるわ。

 支離滅裂のブログでした、すみません。


2022年2月19日土曜日

NO.424   2022年2月19日(土)新聞記事とフキノトウ

!浅間山荘事件!

あれから50年か。私の故郷は「信州佐久」学生時代東京から帰郷するときは信越線に乗り、小諸で小海線に乗り換えた。信越線の軽井沢駅は馴染み深かったので、この事件は強烈に記憶している。この事件が起きたときはすでに結婚していて、テレビで見ていた。

当時も今もあの事件に肯定的な見方はしていない。あれから50年経った今、日本や世界の状況はどうか。ホモサピエンスはほとほと暴力が好きらしい。

世界中のメディアは、今にも戦争が起こりそうな報道をしているが、たぶんどこかで実際に戦端が開かれたら、終末戦争になるかもしれない。


 以前とはちがって、地球上には何万発もの核兵器が存在している。それが全て使用されても、それですぐに地球が跡形なく破壊されるということではないらしいが、少なくとも、広島長崎、チェルノブイリの比ではないだろう。

1962年キューバ危機という出来事があった。アメリカはケネディ大統領、ソ連はフルシチョフ書記長だった。あの時の恐怖心が蘇るが、人類が当時より劣化しているとは思いたくない。

 だが、キューバ危機など単なる歴史上の出来事としか思わない若い政治家が「敵基地攻撃」などと涼しい顔で言ってのける、現代日本を見ると、この先世界はどうなるのかと気になる。私自身はもう、人生十分に生きたのでどうなってもいいが、生まれたばかりの赤ちゃんにそんな世界を見せていいのかと心底怒りが湧き上がる。
 
 つい最近も友人が1才と2才の孫の写真を見せてくれた。瞬間「無垢」という言葉が口から出た。「無垢」なんという素敵な言葉だろう。この子たちの未来が、恥知らずな世界のリーダー達によって絶たれてなるものか。

今日2月19日の東京新聞社説「ぎろんの森」は、「平和国家」とは何かと論じている。東京新聞には、この議論をこれからも声を大にして掲げ続けて欲しい。メディアが率先して国を滅亡の淵に追い込んだあの「太平洋戦争」の二の舞だけはさせないぞという論陣を張り続けてもらいたい。かつて「関東防空大演習を嗤ふ」を掲げた桐生悠々につながる東京新聞の責務だ。

💐 セッチャンちの庭に、フキノトウが。蕗味噌にするそうです。
  東京産の蕗味噌!贅沢ね。


2022年2月18日金曜日

NO.423 2022年2月18日(金)新聞記事2題とセッチャンメール

2月15日(火)東京新聞夕刊5面
 

アイヌについては、なかなかメディアに取り上げられない。腹立たしい限りだ。





今日、2月19日(土)毎日新聞夕刊

2面「特集ワイド」

最近の政治面の記事は、怒りを通り越して、もう、どうでもいいという心境。ということは、敗北宣言ににているかな。が、この記事の河野さんの意見には賛意を表する。だが、岸田首相には届かないだろう。


💐 元気なセッチャンからのメール 💐

私は、画家ゴヤについては、あの有名な、着衣のマハ、裸のマハしか、知りませんでした。最近、子どもへの虐待、ネグレクトをテーマにした、桐野夏生さんの゛砂に埋もれる犬 ”を読んで、その、題名が、ゴヤの、同名の絵画からとられたと知り、美術誌を探して、不思議なその絵を知りました。
 そして、スペインに、生まれ、ナポレオンの時代を生きたゴヤが、怜悧な眼で戦争の無残、悲惨を描いていたことを、知りました。
ナポレオン以前、戦争は支配者同士の戦いであり、農民、一般人は、避難していればよかった。だが、近代は大量殺戮の戦争とともに始まると書いてある。
 ゴヤの姿勢は、19世紀以降の画家たちに引き継がれていった。
 ゴヤの告発は、今もなお生きている。美しく、悩殺的な絵の、他の、真実。

🌻 せっちゃん、冴えてるね!  私は若い頃行ったスペインのプラド美術館で、ゴヤの黒い絵とマハ両方を見ました。一番印象に残っているのはマハの薔薇色の頬が、たったいま塗ったかのように鮮やかだったこと。「砂に埋もれる犬」は、ゴヤの「黒い絵」の中のひとつで、プラドにあります。プラドもルーブルもいつかまた行きたいと思いながら、夫も元気で二人で行った88年のヨーロッパ旅行が、最後になってしまいました。今後は、ヨーロッパどころか国内旅行もしないでしょうね。思い出に生きるということかな。


2022年2月17日木曜日

NO.422 2022年2月17日、二回目の投稿<鴨長明「方丈記」に関して>



今日、2022年2月17日、手に取った方丈記に新聞の切り抜きが挟んでありました。

上の写真。2012年3月11日(日)の毎日新聞書評欄「今週の本棚」でした。

ちょうど、東日本大震災から1年後ということで、関連の本が取り上げられていたのです。

「方丈記」は、中村桂子さんが評を書いています。取り上げた方丈記は

「鴨長明 方丈記」浅見和彦校訂・訳(ちくま学芸文庫・1050円)

書評のタイトルは「災害を見据えた古典が示唆するもの」素晴らしい書評です。

今朝、投稿したブログにわたしは、

昨日の東京新聞夕刊「大波小波」に<心のワクチンは>というタイトルで、

危機の時代の文学の重要性を述べていた。

と書きました。

方丈記のの書かれた時代を思うとき、大震災から1年目に取り上げるものとして、本当にふさわしい本だと思います。

中村さんの書評の結語は、

 <無常という言葉の受け止め方は難しいが、自然は常ならずは事実だ。長明はそれを受け入れ自律的に生きている。科学技術時代に生きる私たちも、天災・人災の重なった被害から立ち直るには、自然と向き合い、その中にいることを確かめながら、なお自律的に生きるしかない。一人一人が自らを生き、支え合い、地域に根ざし、自然を生かした社会をつくることだ。これができなければ私たちは何も学ばなかったことになる。>

 長明の「方丈記」を、中村さんは、<みごとな「災害ルポルタージュ」である>と言う。1000年近くも前の著作が今に読みつがれ、様々な示唆をあたえるのだが、現在のこのコロナや自然災害の時代に1000年後にも読み継がれる文学作品が生まれるのだろうか。


NO.421  20 22年2月17日は、 「一寸先は闇」満1歳の誕生日です!

 🌻 満1歳につき、去年のブログ第1号を再掲します 🌻 

1. ブログ始めました

 2月17日、きょうは私より7歳も若い友人の一周忌。

 去年(2020年)知らせを受けたとき、あまりのことに腰が立たなくなってしまいました。闘病の知らせもなく、普段通りメールをしたその返信が、お連れ合いからの彼女の死の知らせでした。50年も前、同じ職場で出会い、それからずっと友情を育んできた友の死は本当にショックでした。

 その衝撃が冷めやらぬ7月末、その一月前に亡夫の17回忌を無事に終え、16年間無事に一人暮らしをしてきたなあと思った矢先、私は80年の生涯で初めての大怪我をし、コロナ禍の中で40日余りの入院生活を経験しました。

 11月26日に81歳の誕生日を迎え、友人の死や自分の闘病生活などを思い、残る日々「言いたいこと言わねばならぬこと(桐生悠々の言葉)」を言うためにブログを始めることにしました。機械には全く弱く、パソコンを使いこなすことなどできない相談だと思っていましたが、娘の連れ合いが懇切丁寧に教えてくれて、なんとかやってみることにしました。

 できれば友人たちとあれこれ話し合いたいと思いますが、コロナ禍の現在それも叶わず、電話やメールを頻繁にというのも迷惑だし、ブログならば、友人たちの都合の良いときに覗いてもらえるのではないかと思ったのです。

 日常のあれこれを書き連ねることになりますから、ブログ名は「ばあちゃんのひとりごと」としました。毎日更新は無理ですが、1週間も更新されなかったら、何か異変がと思って親族(娘や妹)に問い合わせてくださいね。

 冒頭の写真は今日2月17日に庭の隅に咲いた水仙です。友人の命日に墓前に供えたつもりで掲げました。(2021年2月17日水曜日)

🌻 このあと、2月19日にブログ名を変えました。 🌻

*ブログ名を変えました。

「ばあちゃんのひとりごと」「一寸先は闇」に変えました。理由は、「ばあちゃんのひとりごと」というブログがたくさんあるみたいなので,変えることに。悪しからずご了承くださいね。人生本当に「一寸先は闇」ということが多いというのが81年生きてきての実感です。(2021年2月19日)

🌻 以下は、きょう、2022年2月17日の思い。
 2019年2月17日に親友が逝き、20年2月17日の一周忌にブログを始め、今日は、親友の三回忌でもあり、ブログ開始満1歳の誕生日でもあります。まあ、なんとか1年続きました。世の中の動きが早すぎて思考が追いつかないこの頃ですが、新聞3紙を眺め(とても熟読ということにはなりません)、サンデー毎日をざっと読み、テレビはNHKプレミアムとミステリーチャンネル中心。買い込んだ本はもっぱら積ん読。背表紙を眺めては、時々取り出して斜め読み。コロナコロナで、ほとんど引きこもり状態。入浴と洗濯は毎日していますが、掃除は、床はモップで拭くけれど、カーペットに掃除機をかけるのはときどき。食事は半分既製品(フリーズドライ製品が多い)。ヤクルト製品から(ヨーグルト2種、ヤクルト100、ジョア、ミルミルS、野菜ジュース、豆乳)と、よくもまあこんなにお腹に入れてるなあと我ながらびっくりするほど届けてもらっています。
 今回は帯状疱疹などというものを経験しましたが、いわゆる内科的病気はなく、血圧も80から120位で、なんとか持ちこたえています。でも、ひごとに今の世の中に未練がなくなっていきます。
街の様子も年毎に変わっていきます。この2年間で、向こう3軒両隣の3軒が
変わりました。
 昨日の東京新聞夕刊「大波小波」に<心のワクチンは>というタイトルで、危機の時代の文学の重要性を述べていた。ふと、方丈記を思った。手元には、<昭和参年八月拾日發行 『参考 方丈記新釋 著者小松尚』>がある。発行所は、大同館書店。亡夫の蔵書の一冊。
 きょうはこれから方丈記を読んでみよう。

    写真は2022年2月16日のクロッカス



2022年2月15日火曜日

NO.420  NO.419の記事に添えるはずの写真(東京新聞2月15日朝刊6面)




 

NO.419 セッチャン怒りの投稿!

 💐 町田での市議、市長選で、大阪の吉村洋文氏の推薦の立候補者が、身銭を切るとか、見栄をきっているが、政党助成金を受け取っていて、維新は、かっこうつけるな!ああ、町田が維新に乗っ取られないように!

元総理安部、実刑になった河井あんり氏との明白なつながり、恥ずかしくないのか?多額の黒い買収金も政党助成金だ。

 議員報酬は、税金でいい。しかし、なぜ、私の税金が、支持しない政党にいくのか?

 相変わらずの、大企業からの献金、それをなくすための、政党助成金だったのだろう。

 オミクロン爆発、報道される自宅での無念死亡が、やはり、増えた。

これ書いたら、すっきりしたわ! 💐 ( 写真はセッチャン便りから)







🌻 プロテアナオコばーちゃんは、あんまり元気が出ないけれど、せっちゃんは元気ですね!近しい人がコロナ感染したということですが、、重症化はしていないようです。
 帯状疱疹ぐらいでオタオタしているナオコばーちゃんは、ダメですね。

ところで、
今日の東京新聞朝刊6面の3分の2を使って「石原慎太郎氏の差別発言 今再び考える」という大きな記事を載せましたね。
 ちょっと出遅れ?みたいな気がしないでもないけれど、まあ、知らんぷりするよりはいいでしょう。
 
しかし、辺見庸さんのブログでの言葉ほどインパクトの強い評はないですね。




ある下種の死

石原慎太郎が死んだらしい。それがどうした? 歴史の下水道を
流れるつまらぬ汚物ではないか。


NO.418  2022年2月15日「 2018年の大雪に思う『向こう三軒両隣』」

 雪が降る雪が降ると脅されて、ビクビクしているこの何日か。でも、たいしたことなくて良かったと、我ながら年をとったなあと苦笑。パソコンに保存してある写真集を見ていたら、2018年つまり4年前の1月22日から23日にかけては、本当に大雪だったのですね。道路から玄関への庭の様子、ドウダンツツジをすっぽり覆う雪、庭と道路の様子3枚を載せます。1月23日朝7時から8時の間に写しました。これを見ると最近の雪なんか雪のうちに入りませんね。

 この時はお向かいのご主人と息子さんが道路と玄関までの雪かきをして下さいました。我が家のご近所は「向こう三軒両隣」の精神が生きていて、安心して暮らせます。「向こう三軒両隣」といえば、1947年から53年まで(私が小学校2年から中学2年まで)、1377回、NHKが「向こう三軒両隣」というラジオドラマを放送していました。聞こえにくいラジオにかじりついて聞いていたっけ。懐かしい!。脚本は、八住利雄、北条誠。

 現在は「向こう三軒両隣」などという言葉も死語かもしれませんね。

以下、4年前の雪景色を。









2022年2月14日月曜日

NO.417 2019年の2月の写真から

 🌻 あっという間に日が過ぎていく。新聞やテレビは北京オリンピックで大騒ぎ。世界情勢はオリンピックどころじゃないはずなのに。体調はだんだん良くなっていますが、気分は憂鬱。ブログもきのうはお休みしちゃて、今日も気がついたらもう夕方。仕方がないので、以前の写真集から2月の写真を引っ張り出しました。今年は福寿草の芽がでるのが遅くまだ見えません。2018年19年は2月に開花したのに・・・。2019年2月10日の朝の空(6時17分)花は福寿草。





2022年2月12日土曜日

NO.416 茨木のり子

















今日、2022年2月12日(土)の毎日新聞朝刊、
書評欄の下に写真↑のような大きな広告が載った。
茨木のり子については、このブログでも、
前に取り上げたことがあったと思うが、
彼女の詩集「倚りかからず」が、
詩集としては異例の、累計27万部突破のベストセラーになっているという。
私も持っている。
私が買ったのは、1999年10月30日発行の第二刷(1800円+税)
                 

『倚りかからず』
 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくはない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 自分の耳目
 自分の二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

目次

木は旅が好き 
あの人の棲む国
鄙ぶりの唄
疎開児童も
お休みどころ
店の名
時代おくれ
倚りかからず
笑う能力
ピカソのぎょろ目
苦しみの日々 哀しみの日々
マザー・テレサの瞳
水の星
ある一行

あとがき
 

2022年2月11日金曜日

NO.415  2月11日午前5時44分 東の空に金星が輝くのを見た!!!

❄️ (これは❄️の絵文字) 昨夜からほとんど一睡もしていない。大雪警報とか停電とか水道凍結とか、温水器の電源は止めておけとか、82歳の独居老人にとっては、頭の痛くなるような話ばかり。その上、帯状疱疹やら腰痛やら、身体の不具合も抱えているとあっては、眠ってもいられない、というわけ。

 パソコンやテレビの深夜番組などがあって、退屈はしなかったけれど、1時間おきに水道の蛇口をひねって凍結の有無を確認したり、庭に出て❄️の様子を見たり。

 5時過ぎ、さいわい、水道の凍結もないので温水器の電源を入れお湯を沸かしてまずお茶を一杯。庭に出たら、雪も先月のようなことはなく、なんと東の空に明けの明星金星が煌々と輝いていた!新聞も配達されていて、新聞配達の方たちのご苦労を思う。高校まで過ごした信州では、雪も降り氷も張ってひと冬過ごしたのに、大雪だの凍結だのと大騒ぎしなかった。文明社会の弱さを思い知る。(ここまで書いてきたら5時55分になったので、ひとまず中断。これから1時間大好きなテレビドラマ「大西部の女医」を見るんです😄。では後ほど。


📗 今朝の雪の後遺症は、大したことはなかったので、今日のブログの後半は、ガラリと変わって本の話です。

 購入希望図書が増えました。積ん読がますます増えるけれど、きょうは、積ん読の中から<加藤陽子著『この国のかたちを見つめ直す」(2021年9月5日第3刷)>をひっぱりだして読み始めました。加藤陽子さんのような尊敬できる女性がもっともっとたくさん世に出てくれるといな。

 女性ならなんでもいいというわけにはいかないとつくづく思うのは、自民党の高市なんかは最初から「女の恥さらし」と思っていたけれど、最近の連合会長の言動もまったく恥さらし。共産党とは共闘できないって、じゃあ、誰と手を組んで自公民を潰すのさ。あ、そうか、連合は自公民と手を組むのか。まったく話にも何にもなりゃしない。話が逸れましたが、加藤陽子著、「この国のかたちを見つめ直す」の第3章は天皇問題を取り上げています。このような良書の読書会でももって、友人たちと語り合いたいなとしみじみ思う。📗

2022年2月8日火曜日

NO.414 芥川賞その3<1998年〜2021年上半期まで>

 🌻 第119回1998年上半期 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」花村満月「ゲルマニウムの夜」 第120回1998年下半期 平野啓一郎「日蝕」 第121回1999年上半期 該当作品なし 122回1999年下半期 藤野千夜「夏の約束」 玄月「蔭の棲みか」同時受賞  第123回2000年上半期 松浦寿輝「花腐し」 町田康「きれぎれ」同時受賞  第124回2000年下半期 堀江敏幸「熊の敷石」青来有一『聖水」同時受賞  第125回2001年上半期 玄侑宗久「中陰の花」第126回2001年下半期 長嶋有「猛スピードで母は」 第127回2002年上半期 吉田修一「パーク・ライフ」  第128回2002年下半期 大道珠貴「しょっぱいドライブ」  第129回2003年上半期 吉村萬壱「ハリガネムシ」  第130回2003年下半期 綿矢りさ「蹴りたい背中」金原ひとみ「蛇にピアス」同時受賞  第131回2004年上半期 モブ・ノリオ「介護入門」  第132回2004年下半期 阿部和重「グランド・フィナーレ」  第133回2005年上半期 中村文則「土の中の子供」  第134回2005年下半期 絲山秋子「沖で待つ」  第135回2006年上半期伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」  第136回2006年下半期 青山七恵「一人日和」  第137回2007年上半期 諏訪哲史「アサッテの人」  第138回2007年下半期 川上未映子「乳と卵」  第139回2008年上半期 楊逸「時が滲む朝」  第140回2008年下半期 津村記久子「ポストライムの舟」  第141回2009年上半期 磯崎憲一郎「終の住処」  第142回2009年下半期 該当作品なし  第143回2010年上半期 赤染晶子「乙女の密告」  第144回2010年下半期 西村賢太「苦役列車」 朝吹真理子「きことわ」  第145回2011年上半期  該当作品なし  第146回2011年下半期 田中慎弥「共喰い」 円城塔「道化師の蝶」  第147回2012年上半期 鹿島田真希「冥土めぐり」  第148回2012年下半期 黒田夏子「abさんご」 第149回2013年上半期 藤野可織「爪と目」  第150回2013年下半期 小山田浩子「穴」  第151回2014年上半期 柴崎友香「春の庭」  第152回2014年下半期 小野正嗣「九年前の祈り」  第153回2015年上半期 又吉直樹「火花」 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」同時受賞  第154回2015年下半期 本谷有希子「異類婚姻譚」 滝口悠生「死んでいない者」同時受賞  第155回2016年上半期 村田沙耶香「コンビニ人間」  第156回2016年下半期 山下澄人「しんせかい」  第157回2017年上半期 沼田真佑「景裏」  第158回2017年下半期 石井遊佳「百年記」 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」同時受賞   第159回2018年上半期高橋弘希「送り火」 第160回2018年下半期 町田良平「1R1分34秒」 上田岳弘「ニムロッド」同時受賞  第161回2019年上半期 今村夏子「むらさきのスカートの女」  第162回2019年下半期 古川真人「背高泡立草」  第163回2020年上半期 遠野遥「破局」 高山羽根子「首里の馬」  第164回2020年下半期 宇佐美りん「推し、燃ゆ」  第165回2021年上半期 李琴峰「彼岸花が咲く島」 石沢麻衣「貝に続く場所にて」同時受賞。

🌻 受賞後順調に活動し、一流の作家になる人もいれば、あの人は今状態の人もいる。文学史に残る作家になるのは大変だね。紫式部や清少納言の偉大さがわかるなあ。 🌻

<気をつけていましたが、誤字脱字、写し間違い、いろいろあるかと思います。お気付きの点ぜひお知らせください。なお、帯状疱疹については、ご心配おかけしていますが、きのう何回目かのかかりつけ医の診察を受けました。大分よくなっているとのこと。12日で初診から一月ですものね。良くなってくれなくちゃ困ります。皆様もお大事にね>

NO.413 芥川賞 その2 1970年以降〜1997年まで

🌻 第63回1970年上半期 古山高麗雄 「プレオー8の夜明け」吉田知子「無明長夜」  第64回70年下半期古井由吉  第65回1971年上半期 該当作品なし  第66回1971年下半期 東峰夫「オキナワの小年」李恢成「砧をうつ女」同時受賞  第67回1972年上半期 宮原昭夫「誰かが触った 畑山博 「いつか汽笛を鳴らして」同時受賞  第68回1972年下半期 郷静子「れくいえむ」山本道子「ベティさんの庭」同時受賞  第69回1973年上半期 三木卓「鶸」 第70回1973年下半期 森敦「月山」 野呂邦暢「草のつるぎ」同時受賞  71回1974年上半期 該当作品なし  第72回1974年下半期 阪田寛夫「土の器」 日野啓三「あの夕陽」同時受賞  第73回1975年上半期 林京子「祭りの場」  第74回1975年下半期 岡松和夫「志賀島」 中上健次「岬」同時受賞  第75回1976年上半期 村上龍「限りなく透明に近いブルー」 第76年下半期 該当作品なし  第77回1977年上半期 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」 三田誠広「僕って何」  第78回1977年下半期 高城脩三「榧の木祭り」 宮本輝 「蛍川」同時受賞  第79回1978年上半期 高橋三千綱「9月の空」 高橋揆一郎「伸予」同時受賞  第80回1978年下半期 該当作品なし  第81回1979年上半期 青野聰「愚者の夜」 重兼芳子「やまあいの煙」  第82回1979年下半期 森禮子「モッキングバードのいる町」  第83回1980年上半期 該当作品なし  第84回1980年下半期 尾辻克彦「父が消えた」  第85回1981年上半期 吉行理恵「小さな貴婦人」  第86回1981年下半期 該当作品なし  第87回1982年上半期 該当作品なし  第88回1982年下半期 唐十郎「佐川君からの手紙」 加藤幸子「夢の壁」  第89回1983年上半期 該当作品なし  第90回1983年下半期 高樹のぶ子「光抱く友よ」笠原淳 「杢二の世界」同時受賞  第91回1984年上半期 該当作品なし  第92回1984年下半期 木崎さと子「青桐」  第93回1985年上半期 該当作品なし  第94回1985年下半期 米谷ふみ子「過越しの祭り」  第95回1986年上半期 該当作品なし  第96回1986年下半期 該当作品なし  第97回1987年上半期 村田喜代子「鍋の中」第98回1987年下半期 三浦清広「長男の出家」 池澤夏樹「スティル・ライフ」  第99回1988年上半期 新井満「尋ね人の時間」  第100回1988年下半期 李良枝「 由煕」 南木佳士「ダイヤモンドダスト」  第101回1989年上半期 該当作品なし  第102回1989年下半期 瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」 大岡玲「表層生活」同時受賞  第103回1990年上半期 辻原登「村の名前」  第104回1990年下半期 小川洋子「妊娠カレンダー」  第105回1991年上半期 荻野アンナ「背負い水」 辺見庸「自動起床装置」同時受賞  第106回1991年下半期 松村栄子「至高聖書アバトーン」  第107回1992年上半期 藤原智美「運転士」  108回1992年下半期 多和田葉子「犬婿入り」  第109回1993年上半期 吉目木晴彦「寂寥郊野」  第110回1993年下半期 奥泉光「石の来歴」  第111回1994年上半期 笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」 室井光広「おどるでく」  第112回1994年下半期 該当作品なし 第113回1995年上半期 保坂和志「この人の閾」  第114回1995年下半期 又吉栄喜「豚の報い」  第115回1996年上半期 川上弘美「蛇を踏む」  第116回1996年下半期 柳美里「家族シネマ  第117回1997年上半期 目取真俊「水滴」  第118回1997年下半期 該当者なし


2022年2月5日土曜日

NO.412 2022年2月5日 芥川賞〜太平洋戦後

 🌻 石原慎太郎が芥川賞を取ったことの関連から、芥川賞についてちょっと調べてみた。第一回芥川賞は、1935年上半期で「石川達三の蒼氓」。わたしが生まれる4年も前のこと。今更ながらびっくり。石川達三の作品で一番記憶にあるのは「人間の壁」(1957年8月23日〜1959年4月12日朝日新聞に連載)。1959年には山本薩夫監督で映画化された。大好きな宇野重吉や香川京子が主演だった。しかも内容が教育問題だったので、教師を目指していた私にとって忘れられない作品だった。その人間の壁が、新聞に連載されていた2年前、1955年の下半期の芥川賞が石原慎太郎の「太陽の季節」だったとは、かなり驚かされる。

 58年3月に高校を卒業し4月から大学生になって教師を目指していた私は、「人間の壁」を真剣に読み映画も見ている。しかし、「太陽の季節」や「太陽族」とは無縁だった。

 芥川賞の第1回受賞が石川達三の「蒼氓で、第20回1944年下半期まで続いたが。太平洋戦争末期の45年から戦後の1948年までは芥川賞どころではなかったようだ

 第21回は1949年上半期まで待たねばならなかった。この時の受賞は「由起しげ子〜本の話」と「小谷剛〜確証」、そして第22回は1949年下半期で「井上靖〜闘牛」が受賞した第23回1950年上半期「辻亮一〜異邦人」(この後の表記では該当者なしの回は省きます) 25回1951年上半期は、石川利光「春の草 他」と 「安部公房〜壁」同時受賞。 26回1951年下半期「堀田善衛〜広場の孤独・漢奸その他」  28回1952年下半期「松本清張〜或る「小倉日記」伝」「五味康祐〜喪神」  29回1953年上半期「安岡章太郎〜悪い仲間・陰気な愉しみ」  31回1954年上半期「吉行淳之介〜驟雨・その他」 32回1954年下半期「庄野潤三〜プールサイド小景」「小島信夫〜アメリカンスクール」同時受賞  33回1955年上半期「遠藤周作〜白い人」  34回1955年下半期「石原慎太郎〜太陽の季節」  35回1956年上半期「近藤啓太郎〜海人舟」 37回1957年上半期「菊村到〜硫黄島」 38回1957年下半期「開高健〜裸の王様」 39回1958年上半期「大江健三郎〜飼育」  41回1959年上半期「斯波四郎〜山塔」  43回1960年上半期「北杜夫〜夜と霧の隅で」  44回1960年下半期「三浦哲郎〜忍ぶ川」  46回1961年下半期「宇能鴻一郎〜鯨神」   47回1961年上半期「川村晃〜美談の出発」  49回1963年上半期「河野多惠子〜蟹」後藤紀一〜少年の橋」同時受賞。  50回1963年下半期「田辺聖子〜鑑賞旅行センチメンタルジャーニ  51回1964年上半期「柴田翔〜されどわれらが日々ー」  53回1965年上半期「津村節子〜玩具」  54回1965年下半期「高井有一〜北の河」   56回1966年下半期「丸山健二〜夏の流れ」  57回1967年上半期「大城立裕〜カクテル・パーティー」  58回1967年下半期「柏原平三〜徳山道助の帰郷」   59回1968年上半期「大庭みな子〜三匹の蟹」 「丸谷才一〜年の残り」同時受賞。    61回1969年上半期「田久保英夫〜深い河」「庄司薫〜赤頭巾ちゃん気をつけて」同時受賞   62回1969年下半期「清岡卓行〜アカシアの大連」

* かなり目が疲れたので今日はここまでにします。70年以降は、次回に。見直しもしたのですが、間違いがあるかもしれません。お気付きの時はお知らせ下さいね。