2022年2月20日日曜日

NO425. 2022年2月20日(日)今から89年前、1933年のこの日、小林多喜二が拷問され命を落とした!

 🌻 1933年、2月20日小林多喜二は警察によって拷問され殺された。1903年10月13日生まれ。私の母は1902年10月30日生まれなので、小林多喜二と母は同世代だ。そう思うと、多喜二が今までよりずっと身近に思える。多喜二が殺された1933年から6年後1939年に私は生まれたのだから、私が生まれた頃の世の中は騒然としていたわけだ。83年後、2022年が、現在のような人間がロボットのようになっている世の中になっているなんて、誰一人想像していなかったでしょうね。ということは、今年生まれた赤ちゃんが83才になる2105年頃の、地球の姿、人間社会の有り様を、的確に想像できる人は多分いないんじゃないかな。怖いもの見たさで、見てみたい気もする。

 多喜二から話が飛んでしまったけれど、「思想犯」で逮捕され拷問によって殺されたという現実、たった89年前の話なのだ。1933年から89年後の今年、当時とほとんど変わらない思想の持ち主がたくさんいる。敵基地攻撃などを臆面もなく言い募る国会議員が現に存在する。恐ろしい話だ。

 また話が飛ぶが、多喜二が殺された1933年は、桐生悠々が8月11日の信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤ふ」を書いた年だ。今朝早くふと目が覚めて、井出孫六著「抵抗の新聞人桐生悠々」(岩波新書 1980年第1刷発行、私が持っているのは2002年第6刷)を読み返した。今のメディアのだらしなさに「21世紀の桐生悠々は何処に!」と叫びたい心境だ。

 多喜二に戻って、さっきネット検索したら、一昨年2020年、多喜二没後87年の多喜二祭が、彼の故郷北海道小樽市で開かれたとい記事が見つかった。記念講演が前川喜平さんの「安倍政権下の教育」だった。

 またまた話が変わりますが、我が家の裏の50坪の空き地、数年空き地のままでしたが、ついにきょう、地鎮祭をやってました。夜、建築を請け負う会社が挨拶に来ました。完成は五月末とのこと。一昨年9月、私が退院してから向こう三軒両隣でずっと工事続き。新築やらリフォームやら。空き地に新築の家が建つのはいいけれど、しばらく騒音や揺れに悩まされるわ。

 支離滅裂のブログでした、すみません。