2021年6月29日火曜日

165. 6月29日亡夫の祥月命日<風蘭忌>(没後17年)

* もう何回も書いているので、夫のことはもういいんじゃないのって言われそうですが、きょうは、祥月命日なのでまた書いています。 17年前の今日今頃(午後5時過ぎ)夫を病院から連れて帰り、いつものベッドに寝かせて、明日のお通夜の準備をしていました。無宗教なので、お寺やお坊さんはなく、生前彼が言っていたように🌺に囲まれたお通夜にしました。

* 今日17回目の祥月命日の様子を少々。

お仏壇には、今日の風蘭とヤブカンゾウの写真のセット、友人たちから届いたユリの花やお香、毎年必ず命日にはお便りをくださる夫婦共通の友人からのハガキ、季節の果物(メロン、さくらんぼ、温室みかん)、彼の従妹が今日持ってきてくれた彼の大好物のゴディバのチョコレートを供えました。


共通の友人は、一句詠んでくれています

既にして 戦時下なれど 風蘭忌

地獄道へ真っ逆さまの現世を

いかに正すべきかを

考える1日にしたいと思います

          <S.Z>





最近の世相を思うと、まったくSさんの詠まれたとおり、

すでに戦時下という感覚になります。

それでも、なんとかこの世を正していかねばなりません。

どうすればいいのか、本当のところ正解が見つかりません。

次々に思いもよらない障害物が現れて行く手を阻まれます。人類は滅亡に向かっている。ホモサピエンスの劣化、黄昏、そんなことを言ってもなんの解決にもなりはしないとわかっていても、ではどうすれば希望を持てる未来像を描けるのか。夫が存命ならば「どうしたらいいの!?」と聞きくのにと思います。彼はなんと答えるかしら。                                                 

2021年6月28日月曜日

164. 6月28日の風蘭、ヤブカンゾウ

 二つ目のヤブカンゾウ。1日花なので、朝咲いて夕方閉じる。1年間待ってやっと咲いて、1日で終わる。まさに「花の命は短くて」ですね。

風蘭は明日の風蘭忌を待たずに、今日満開!






2021年6月27日日曜日

163.オリンピックは中止じゃなく廃止

😠もううんざりだ。新聞もテレビもオリンピックオリンピック、もういい加減にしてよ!今現在だって、穴だらけの準備。何が国民の命が大事だ。何が安心安全だ。オリンピック最中に大雨、大洪水、大地震、津波、原発事故、そしてコロナ蔓延、その中の一つでも起きたら、手の施しようがない。そんなことありえないと言えるのか?!本当にこの国のリーダー(と言っていいかどうかもわからないが)たる政治家たちは、それほどおめでたいのか。というより、無能、無責任。何を言われてもちっとも応えない、鉄面皮。カエルの面になんとやら。 

どれほど罵詈雑言を浴びせられても、なにがなんでもオリンピックをやるんだア〜 !!!!! なんでそんなにやりたいの?

 ここのところ喉の具合が良くなくて、かかりつけのクリニックに行って薬をもらっている。昨日も行っったら、そのクリニックで、きょうから、ワクチン接種ができるようになったという。もっと早くこちらで出来るようになればよかったというと、先生は「ワクチンを早く早くと要求していたんだが、なかなか来なくてね。オリンピック絡みで遅くなっている。オリンピックなんかやめればいいんだよ。」おっ、嬉しいお言葉と思って私も言った。「そですよね!私もそう思っています。なんでそんなにオリンピックやりたいんですかね。」と言ったら「金儲けのためだよ」とズバリおっしゃる!。「わあ〜嬉しいわ、先生と意気投合しちゃった!」そう言って喉の薬の処方を受けて、喜んで帰りました。かかりつけの先生から「オリンピック反対」の声を聞けるなんて思わなかったけれど、地域の住民とつながっている個人経営のお医者さんは一番苦労しているんだろうな。インフルエンザの時のようにかかりつけの先生に「予防注射〜ワクチン接種』してもらえてらどんなにいいか。しかし、今回かかりつけの先生から、「金儲けのためのオリンピックなんてやめりゃいいんだよ」の言葉が聞けたのは心強かった。

 私はオリンピックそのものをもう廃止していいと思っている。メディアはこのところ、今更中止なんて言えないということなのか、開催を前提の記事が多い。しかし、

 最後まで堂々と中止を表明してこそ権力監視のメディアだ。

2021年6月26日土曜日

162. ヤブカンゾウが咲きました

   ワスレグサ〜ヤブカンゾウ

植物
学名: Hemerocallis fulva亜科: キスゲ亜科 Hemerocallidoideae: ススキノキ科 Xanthorrhoeaceae: ワスレグサ H. fulva: キジカクシ目 Asparagales
ワスレグサ Hemerocallis fulva は、キスゲ亜科の多年草の一種。 広義にはワスレグサ属のことを指し、その場合は、ニッコウキスゲなどゼンテイカもユウスゲもワスレグサに含まれる。また長崎の男女群島に自生するトウカンゾウなどもワスレグサと呼ばれる。ウィキペディア


我が家のヤブカンゾウ

上、去年の開花は6月30日、下、
今年は6月26日 まだ蕾は、たくさん。


2021年6月25日金曜日

161.ヤブミョウガと仏花

* ヤブミョウガはツユクサ科。葉はミョウガに似ています。

  秋には濃い藍色の実が。

  去年も今頃咲きました。

* 29日の亡夫の命日(風蘭忌といいます)を前に

  友が届けてくれた仏花。お仏壇の前に。  





今日、6月25日は、1950年に朝鮮戦争が勃発した日だ。そんなことを覚えている人は日本人の何人くらいか。毎日新聞は1面と24面に記事を掲載。
私は、朝鮮戦争を遠く明治の日韓併合(1910.8.22)までさかのぼって考える。
そして石川啄木の歌を思い出す。
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く

2021年6月24日木曜日

160.最高裁判決(夫婦別姓認めず)に怒り!

* まずは嬉しい便りを *

我が家の茶の間には、「あなたの遺志は私たちが継ぎます」の言葉と共に翁長さんの、最期の県民集会での姿の写真の琉球新報が貼ってあります。剥がせません。

本土政府がどれだけ足蹴にしても、倒れることなく抗い続けた翁長さんの凛とした姿は、私をいつでもどんなときも、叱咤激励する何よりの金棒ですから。
デニーさんの知事選の時も、辺野古基地新設の県民投票の時も、この写真の翁長さんが私と共に居てくださいました。
翁長さんもデニーさんも自民党あるいは保守の人ですよね、何がどう違うのかいつも考えます。人間の不可解さ、深さ、果てもない模索の必要性。この写真を目にする度に思います。
ナオコさんの三回連続投稿に、頭を垂れる思いです。

赤木ファイルの示すものも、同様ですね。不正の上の出世を享受する人間と、死をもってしてもそれを拒む人と。私は後者の人と繋がって居続けたいと心して、生きていきたいです。🌼ありがとう!近くに住んでいたら口角泡を飛ばして喋れるのにね。

!!! 最高裁判決に怒り!!!
* きのうは、沖縄慰霊の日を知らない人が多いのに怒った私ですが
 今日はまた、最高裁のとんでもない判決に怒り心頭。ちょうど友人が亡夫の命日が近いからと、仏前に供えるお花を持ってきてくれて、最高裁判決に「日本に未来はないよね!」と、二人で怒ったことです。その最高裁判決について、東京、毎日の扱いは、
夫婦別姓再び認めず(東京1面トップの見出し)
東京新聞1面トップ、2面24面25面に記事
夫婦同姓再び「合憲」(毎日新聞1面トップの見出し)
毎日新聞1面トップ、3面24面27面に記事
    毎日5面<社説>のタイトルは
「夫婦別姓再び認めず 
 時代に背を向けた最高裁」

それにしても、日本という国は!なにがG7だよ!押しつけ憲法なんてバカ言ってる連中が、武器の押しつけ、基地の押しつけには、知らん顔。そんな現在の政権党を国民の多数が支持している、全く未来はないね。
そうそう、昨日の東京新聞「太郎の国際通信」はまあなんと「エイリアン」だって。素晴らしい東京新聞の汚点ですね。

2021年6月23日水曜日

159.沖縄慰霊の日④

* 沖縄慰霊の日で4回投稿とは自分でも驚きですが、 沖縄タイムスのニュースメールが届いて、驚きの記事があったので、4回も出てきたプロテアナオコです。何に驚いたかというと、以下の記事です。

全国75.5%の人たちが知らなかった沖縄の「慰霊の日」 きょう沖縄戦から76年

2021年6月23日 06:16
きょう6月23日は沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日から76年にあたる「慰霊の日」。1965年に制定されており、この日は沖縄では役所や学校は休みになる。
各地では追悼式が開かれ、平和への祈りに包まれる一日だ。

きょう6月23日は沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日から76年にあたる「慰霊の日」。1965年に制定されており、この日は沖縄では役所や学校は休みになる。各地では追悼式が開かれ、平和への祈りに包まれる一日だ。一方で、沖縄タイムスとヤフーとの共同アンケートでは、全国からの回答者2000人のうち、75.5%にあたる1509人が慰霊の日を「知らなかった」と回答した。慰霊の日を元々知っていたかどうかは人から直接話を聞いたり、学校教育で沖縄戦について学んだりした経験が関係していることがアンケート結果から読み取れた。(文:比嘉桃乃、データ分析:宮城博一)  ここまで沖縄タイムスの記事

*ささやかなブログに「沖縄慰霊の日」と題して3回も投稿した81歳のばーちゃんは、日本国民の中の超少数派ということになるのかな。まあ、小さい頃からいつもいつも少数派だったから驚きはしないけれど、それにしても沖縄の「慰霊の日」を75%もの人が知らなかったとは、自民党政権が長続きするわけね。回答者の年齢はわかりませんが、教育の問題かな。国会議員全員に6月23日は何の日と聞いてみたいね。何割が正解するかな。日本国に未来はないんじゃないの!?

誰の造語か知らないけれど、「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉を作ったヒトを尊敬しちゃうな。ほ〜んとに様々な場面でこの言葉が当てはまる。誰が著作権を持っているのかしら。

158. 沖縄慰霊の日 ③


* 沖縄慰霊の日〜③〜

故翁長雄志沖縄県知事の言葉その③

  父は生前、沖縄は試練の連続だと。

  しかし一度も、ウチナーンチュとしての誇りを

  捨てることなく、闘い続けてきた。

  ウチナーンチュが心を一つにして闘うときには、

  お前が想像するよりもはるかに大きな力になると

  何度もなんども言われてきました。  2018.8.11

「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める県民大会」において、次男で那覇市議の雄治氏が生前の知事の発言を明かした。

この写真↓は沖縄タイムス社発行の<沖縄県知事翁長雄志の「言葉」148ページより。

*沖縄慰霊の日*3回にわたって投稿しましたが、
沖縄タイムス社発行の<沖縄県知事翁長雄志の「言葉」>からの引用が多く、
写し間違いがあるかもしれません。
お気付きのことがありましたらお知らせくださいませ。

157. 沖縄慰霊の日②

156.6月23日沖縄慰霊の日①

* 沖縄慰霊の日〜①〜 *

 76年前とはいえ、沖縄慰霊の日に関して、毎日東京の購読二紙は、社説で取り上げてはいるが、思いのほか扱いが小さい。連日のオリンピック関連ニュースと、今日は特に赤木ファイル問題を大きく扱っている。二紙が1面トップに同じ問題をもってくるのはそう度々あることではないが、今日6月23日二紙とも、1面トップは、赤木ファイル問題だ。この問題は今後どうなるか!?

 6月23日について、自分の言葉でものを言うべきだとは思うが、悲しいかな思いはあれど的確な表現ができない。それで、尊敬する故翁長沖縄県知事のことばを借りる。手元には<沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」>(発行所.編者沖縄タイムス2018年9月21日第2刷発行定価1000円+税という一冊がある。帯には<県知事の語録133編から沖縄の2014〜18年をたどる>とある。全編紹介したいくらいだがそれは無理なので、2018年6月23日前後の言葉から何編かを。知事は2018年8月8日没。

以下、故翁長雄志沖縄県知事の言葉
* 私の行く末より、沖縄にとって何ができるか、だ。私が来年どうするかに、とても考えが及ばない。
2018.1.1(新春インタビューで。2期目の意欲を問われて)

* 沖縄が全国の米軍専用施設の70%を引き受けているのに、全国民的な関心は残念ながら低い。ワジワジー(怒り)もするし、悲しくもなる。いろんな思いがあるが、その中で闘っていかなければならない
2018.1.8(6日にうるま市与那城伊計の海岸に米軍ヘリが不時着したことに「言葉を失う」と非難した。前年から米軍機の事故やトラブルが相次ぐも、抗議を意に介せず訓練が続いている現状を嘆いた。)

* 米軍は日本政府に言えといい、日本政府は形式的な言葉だけで県民の生命、財産を守り切れない。
2018.2.9(うるま市伊計島の西海岸近くで、オスプレイの部品がみつかった。米軍は前日には部品落下の事実を認識していたが、日本側には通報していなかった。相次ぐ事故を受け県や市町村が在沖米軍全機の点検とその間の飛行停止を求めているが、米軍は応じていない。)

* そんなにお金がもらえるなら(基地を引き取って)振興策をもらったらどうだと逆提案したいぐらいだ。
2018.2.15(全国知事会の米軍基地負担に関する研究会で。「沖縄は基地で食べている」といった声があるなど、本土と沖縄の認識の溝があることに不満をぶつけた。)

2021年6月22日火曜日

155.茨木のり子〜四海波静

!明日23日<沖縄慰霊の日>をまえに、46年前に発表されたこの詩を!  


   四海波静

   

   戦争責任を問われて

   その人は言った

     そういう言葉のアヤについて

     文学方面はあまり研究していないので

     お答えできかねます

   

   思わず笑いが込みあげて

   どす黒い笑い吐血のように

   噴きあげては 止り また噴きあげる

   

   三歳の童子だって笑いだすだろう

   文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら

   四つの島

   笑ぎに笑ぎて どよもすか 

   三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

   

           野ざらしのどくろさえ

   カタカタカタと笑ったのに

   笑殺どころか

   頼朝級の野次ひとつ飛ばず

   どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット

   四海波静かにて

   黙々の薄気味わるい群衆と

   後白河以来の帝王学

   無言のままに貼りついて

   ことしも耳すます除夜の鐘

    * 四海波静 初出 1975.11 ユリイカ<現代詩の実験>

    詩集「自分の感受性くらい」(初版第七刷1982年)より引用

   12行目の笑ぎには、エラギとの振仮名つきです。なお、よくよく注意して引用しましたがもし写し間違いなどお気づきでしたら、お知らせください。ナオコ)


2021年6月21日月曜日

154.6月21日夏至の夕空

 * 今日は夏至、夕方5時庭に出てみたら、あまりにも美しい空の様子に思わずパチリ。紫陽花も終りと思っていたら、新しい蕾が。カラーもまだ元気。




153. 茨木のり子

 * 元気が出ない、鬱々とした気分の時、ふっと思い出す茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」。さっき、茨木のり子の本が並べてある書棚を見たら、文庫本も含めて12冊ある。若い頃から結構買い集めていたみたい。ってひとごとみたいな言い方だが、買ったことを忘れているのもあって、「へ〜ずいぶん買っていたんだなぁ」と思った。ここ2〜3年余り手に取ることも少なくなったが、今日改めて読み返してみて、やっぱりいいなあと思う。

* 詩集<自分の感受性くらい> 1977年花神社発行 表題の詩は、この本の14ページに出ている。


         自分の感受性くらい


          ぱさぱさに乾いてゆく心を

          ひとのせいにはするな

          みずから水やりを怠っておいて


          気難しくなってきたのを

          友人のせいにはするな

          しなやかさを失ったのはどちらなのか


          苛立つのを

          近親のせいにはするな

          なにもかも下手だったのはわたくし


          初心消えかかるのを

          暮しのせいにはするな

          そもそもが ひよわな志にすぎなかった


          駄目なことの一切を

          時代のせいにはするな

          わずかに光る尊厳の放棄


          自分の感受性くらい

          自分で守れ

          ばかものよ

2021年6月20日日曜日

152. 東京新聞6月21日(日)日曜版〜大図解〜

*東京新聞日曜版〜大図解〜は毎週興味深い内容だが、きょうは、永久保存版といっていい内容だった。23日(水)の沖縄慰霊の日をまえに、今日のテーマは

もう一つの沖縄戦 戦争マラリアだった。

恥ずかしながら、『戦争マラリア』について、この歳になるまでほとんど知らなかった。 

大図解を書き写すのは無理だが、大きな見出しだけでも書き写しておく。

 (以下新聞書き写し)              *

もう一つの沖縄戦 戦争マラリア

23日は沖縄慰霊の日。太平洋戦争末期、米軍上陸がなかったにもかかわらず、八重山諸島では強制的、疎開などでマラリアによって約3600人が亡くなりました。「戦争マラリア」と呼ばれる戦時下の悲劇をデータとともに紹介します。

苦しんだ八重山諸島の歩み (石垣島、西表島、与那国島、小浜島、竹富島、鳩間島、黒島、新城島、波照間島)

高熱と飢えによる地獄の日々

斉藤美香(さいとうみか)<琉球大学医学研究科教員、第8回ゼロマラリア賞受賞>科学を政策の中心に』という解説は、コロナ禍の現在、説得力のある解説。

八重山の長いマラリアの歴史の中で、注目すべき感染の波が二つある。一つは戦争マラリア、二つ目は移民マラリアである。共通するのは科学を理解するリーダーの不在である。

戦争マラリア当時、病に対抗する武器はあった。有病地や感染経路は既知であり、キニーネという治療・予防薬も存在した。住民は蚊の巣窟に追いやられ、薬は軍が独占した。公助はなく、食料がない極限の状況下で共助は崩れ、伝統薬でしのぐ自助のみが人々に唯一できることだった。科学的にマラリアを予見できた上での人災であった側面が強い。驚くことにワクチンという武器も有し、人流抑制、水際強化が医療の限界を食い止めることが分かった今も、長い間自助が叫ばれていた。われわれは命を守る公助を求めている。(中略)

感染症がない世界の平和は、当たり前ではなく、常に先人たちの血と涙の努力がある。そして、政策の中心に科学が据えられていたことを忘れてはならない。(終)(以上新聞書き写し)

* 日本政府はこの結語を噛みしめるべきだ。

2021年6月19日土曜日

151.2004年6月19日(土)を思い出している

2004年6月19日の日記を読み返している。

 17年前2004年の今日6月19日も土曜日だった。日記には「夫が自分の家で暮らす最後の日」とある。国立国際医療センターから自宅に戻って、往診を受けていたが、がんの痛みは往診ではとても手当はできず、明日20日は、かねてお願いしてあったホスピスに入院する予定。夜、夫は意識朦朧としている中でただただ痛みを訴える叫び声をあげ続けていたが、そばにいる私はどうすることもできなかった。と書いてある。

あくる日、6月20日朝、いくらか落ち着いて、痛み止めの薬を飲ませた時、吸い飲みでリンゴジュウスをほんのひと口飲んだ。それは、夫がこの世で最後に口にしたものだった。昼前、寝台車で入院。夫は意識なく、薬で眠っていた。

深夜(もう21日になっていた)病院から電話があり、痛みがひどく、点滴で入れている痛み止めの薬を強くしたいとの電話があった。本人の最後の願いは痛みを取ってほしいということだったので、承知した。明け方駆けつけた時、薬が効いていたのか穏やかに眠っていた。

それから10日、いつも傍目には穏やかに眠っているようだったが、目を閉じ意識はなく、痛み止めの薬と酸素によって、心臓と肺が動いているのだった。夫の寝息だけが聞こえる静けさの中で、医師から聴覚は最後まで働いているので、話しかけてあげてくださいと言われ、42年の二人の人生のあれこれを話しかけた。握った手は温かかった。

急に酸素吸入の風船の動きが止まって、駆けつけた主治医や看護師が見守る中、夫は静かに旅立っていった。私はこの時初めて「息をひきとる」という言葉を実感した。2004年6月29日午後2時42分、本当に夫は最後の息を自分の身に引き取ったのだった。

今日は2021年6月19日、10日後6月29日はどんな日になっているのか。一寸先は闇かその先は光か、誰にもわからない。17年前、夫婦の墓所を東京高尾に決め、祥月命日前後にはお墓参りをしてきたが、今年は多分家のお仏壇を拝むことになるだろう。29日には風蘭も満開になるだろう、なってほしいと願っている。


2021年6月18日金曜日

150.東京新聞6月18日朝刊6面<視点>

 今日の視点は尊敬する記者の奥野斐さん(社会部)

LGBT法案提出できず                 

困難に寄り添い法整備急げ    

 LGBTなどの性的少数者への理解増進を図る法案が、またも自民党の一部議員の反対で国会に提出されなかった。法案をめぐり「(LGBTは)種の保存に背く」などの問題発言も出た。議員の差別意識や無理解が目立ち、当事者不在の議論に見えた。LGBTはいじめや差別に遭いやすく、自未遂リスクも高い。命に直結する問題との認識を深め、法整備を急ぐべきだ。

「職場に打ち明けたら、不当に解雇された」「家族に話すと家から追い出され、ホームレスに」「死ぬしかない、と絶望して命を絶った友人がいる」5月30日夜、東京・永田町の自民党本部前でLGBT当事者らが口々に訴えた。自分の性に違和感なく育ち、異性を好きになれば、感じなかっただろう苦しみや痛み...。今は同性愛者と表明している松岡宗嗣さん(26)「ずっと自分はおかしい存在なんじゃないか、言ってはいけないと思って生きてきた」と振り返る。偏見や差別は身近だ。研修などに携わる藤井ひろみさん(53)は「私が当事者だというと、皆がさーっと引いていく感じが分かる」と話す。

 宝塚大の日高康晴教授の調査によると、同性愛、両性愛男性の自殺未遂リスクは異性を愛する男性の約6倍と高い。日高教授の別の1万人規模の調査では、同性愛女性の約半数、同性愛男性やトランスジェンダーの半数以上にいじめ被害の経験があった。約7割の当事者が職場や学校で差別的な発言を聞いていた

 世界では、80以上の国・地域で性的指向による雇用差別を禁じており、先進7カ国(G7)で法的にLGBT への差別を禁止していないのは日本だけ。先日のG7サミット首脳宣言にもLGBTへの差別に対処する必然性が明記された。「差別やハラスメントが法律で明確に禁止されていないこと自体、日本は国際的に見てガラパゴス状態」と、独立行政法人労働政策研究・研修機構の副主任研究員、内藤忍さんは指摘する

 法案の反対意見は、目的と基本理念の「差別は許されない」という文言や、性同一性から「性自認」への言葉の変更に集中した。「差別と訴える訴訟が増える」「体は男だけど女だから女子トイレに入れろとか、ばかげたことがいろいろ起きている」という主張で不安をあおり当事者の困難に寄り添う姿勢がない。

 五年前も、自民党の保守派の反発で法案は党の了承をえられなかった。今回「これでも党内の理解は進んだ」という声も聞いた。しかし、全国の百以上の自治体で同性カップルを認めるパートナーシップ制度が導入され、企業のLGBT施策も進む中で、自民党の周回遅れの議論と現実との差はむしろ広がっている。

 法整備が進まない日本の現状。ある支援者の言葉が耳に残る。「若い子たちが心配。日本に生まれなきゃよかったと、思わないといいけど」

149.ムラサキシキブの花と実



 

ムラサキシキブ

その名の通り、花も実も

紫なんですね。

5月30日

緑のツブツブだった花芽が

今日、淡い紫の花に。













そして

宝石のような実になるのは

秋。


左の写真は

2018年9月24日のもの

2021年6月17日木曜日

148.きょうのおやつは水羊羹とリンゴジュース

 



          

      突然ですが、今日はブログ開始後初めて食べ物の話。

      1902年生まれの母の子育ての基本は、女の子も男の子も

      自分の食べることくらい自分で働いで稼ぐようにと。

      人に養ってもらうような人生を送るなということ。

      したがって、女三人男三人の子どもたち全てが職を得て、

      自分の人生を生きた。姉も妹も私も、いわゆる花嫁修業

      とは縁がなかった。私も家事全般(料理裁縫など)を

      習うことはなかった。母曰く、必要なら勉強すればいい。

      私は、大学を出て教員になり、共働きの夫が倒れてやむなく

      定年前に退職するまで、働いた。

      一人になり暇になり、自分の好きなものを作るようになった。

      最近は夏場に超簡単水羊羹を作って一人悦に入っている。

      粉寒天とゆであずきの缶詰で10分足らずででき、30分も冷や

      せばおいしい水羊羹の完成。今日のおやつを写真に。


147.友の便り(荻窪高校の記事について)

 😊東京新聞、多摩、武蔵野版にも、荻窪高校の記事が、載っていました。

荻窪高校公式YouTubeチャンネルでの

あの、高校生の、生い立ち、発言、彼女が、静かで、淡々としているので、

かえって、心に、響きました。

都立という、縛りの、あるなかで、

勇気ある、素晴らしい、実践だと、おもいます。🎵      

       

6月17日の花    

         

      風蘭次々に咲く







  


 去年12月から

 花瓶の水だけで

 新芽が出てきて

 6月4日その先に緑の葉が見えて

今日6月17日、葉は

ずいぶん伸びてきた

   



2021年6月16日水曜日

146.東京新聞15日朝刊<奥野斐署名記事>

 東京新聞15日朝刊18面 山手版 奥野斐記者の署名記事、

都立荻窪高校の、素晴らしい実践です。

荻窪高校は、我が家から歩いてもいける距離。そんな近くに、こんな素晴らしい教育をしている都立高校があったのに、知らなかった。不明を恥じます。奥野斐記者は、東京新聞の記者の中で、私がよく知っている人。2017年12月22日のやはり山手版に、私の1985年の教育実践を取り上げてくださった記者。

荻窪高校公式YouTubeチャンネルも素晴らしい。是非!

今朝投稿の東京新聞への苦情?に対する「お口直し」東京新聞にはこんな素晴らしい記事があるので、木村太郎に負けて購読やめるわけにはいかないっていうことです(😊)

145. 東京新聞は、なぜ木村太郎を切れないのか!?

 😡 無視無視と思って半年近くたったが、やっぱり本気で😡の物言いを。

 辺見庸の<「コロナ時代」のパンセ>を書評で取り上げ、その書評の内容が素晴らしく、著者の辺見庸が自分のブログで書評者への敬意を表している、その東京新聞がなぜいまだに「木村太郎の国際通信」なるコラムを載せ続けているのか。嫌なら見なきゃいいだろう、という考え方もあるけれど、月極めでカネを払っている購読者としてはそうはいかない。くだらない木村太郎のコラムにも私の払う毎月の講読料のいくらかは使われていると思えば、無視というのも腹がたつ。で、「またかよ!くだらない話。何が国際通信だよ」と毒づきながら、ちらちらっと斜め読みしてきた。

😡 しかしながら今日6月15日(水)のタイトル<トランプ氏が下院議長に?>は、怒りを通り越して、本気で「いい加減にしろ!」と大声で怒鳴ってしまった。こんなヨタ記事を読まされる長年の東京新聞愛読者の存在を、社長以下東京新聞の幹部の皆様はどう思われるのか。ジェンダー問題で頑張っている奥野斐記者をはじめ、さすがと思われる記者はいっぱいいるし、青木理の著作「時代の異端者たち」には元東京新聞の論説兼編集委員の半田滋が登場している。桐生悠々まで遡らなくても、さすが東京新聞と読者をうならせる記事を提供する記者は少なくないだろう。それなのになぜ外部のあんなくだらない内容を載せ続けるのか。、今国際通信で取り上げるべき問題は山ほどある。木村太郎はジャーナリストという肩書きだが、ジャーナリストの本質は何だと考えているのか。どうしても切れないというなら、「国際通信」ではなくて「太郎のトランプ通信」とすべきだ。

😡 ブログに以上のようなことを書くのも、腹立たしいし、本当なら、東京新聞の読者とともにという「発言」係あてに投稿すればいいのだが、投稿必ずしも掲載されるとはいかないので、個人のブログで鬱憤ばらしをするわけ。毎日新聞の購読と木村太郎のコラムのマイナス点を帳消しにしてなお読むべき記事の多い東京新聞の購読を続ける私だが、それにしても今この時期に「トランプ氏が下院議長に?」というノーテンキな話を読まされるとは!

☔️大雨洪水警報が出たり取り消されたり、落ち着かない杉並のお天気。異常気象というけれど、異常と正常との定義や境目も判然としなくなったホモサピエンス支配下の地球号ではある。この先どうなることか。平均寿命まであと数年の我が身。この世におさらばするときの地球号はどんなすがたかな。☔️

2021年6月15日火曜日

144.辺見庸のサイトに

* 私事片々: 辺見庸ブログ Yo Hemmi Weblog に、東京新聞の書評について載っています。

悲惨指数


東京・中日新聞書評

東京新聞書評612.pdf

(crick!)

九州の友人から連絡あり。「悲惨指数」と「暴動」の関係式について。
鵜飼哲さんの書評、数回読み直した。背中の傷をまた洗ってもらう。わ
たしはもともと「悲惨指数」を信じていない。犬が呼びにきた。鵜飼哲さんの向き合いかたに敬意!辺見庸ブログ Yo Hemmi Weblog

143.風蘭開花!カラーの黄色も綺麗!

 * 今年も風蘭が咲きました。今朝花芽が随分増えて最初の1輪が開花。

早速パチリ!29日の夫の祥月命日には、満開になりそう。芳香あり。







カラーも10日の開花から、今日15日は色も綺麗、形も大きく。





2021年6月14日月曜日

142.141の続き 辺見庸著<コロナ時代のパンセ>より(248ページ〜249ページ)

(248ページ4行目から)

    現在の コロナ禍をめぐる情勢を1930年代と比較するのは筋違いだろうか。いや、これは杞憂でも思いすごしでもない。わたしもわたしの父祖たちも「未曾有の危機」と呼ばれた各時代とその風景を多少なりとも目撃してきた。ではわれわれはなにを学んだのか。こう言うのにはいささかのためらいもないではないが、人間社会は一般に危機に学びはしないものだ。そのことをこそ、わたしはとくと学習してきた。

 では、今後になにが起きるのだろうか?まちがいなくやってくるのは「危機の日常化」「社会の全体主義化(ないしその傾向)」であろう。わたしたちは、哀しいかな、なににでも慣れる。2020年度の日本の軍事予算は5兆数千億円であり、6年連続で過去最高を更新している。この半分でも新型コロナ災害緊急対策費や貧困患者救済に充てるという発想は、現在の政権政党には皆無である。

 退役するF2戦闘機の後継戦闘機については、初期設計費111億円、自衛隊最大の護衛艦「いずも」の航空母艦化用改修費も惜しみなく計上されている。次期戦闘機は「将来の戦闘の中核」と位置づけて、「空対空」戦闘能力の向上をはかる方針なのだという。

えっ、あなたがたは本気で戦争をやる気なのか?正気か?

 戦闘機のエンジン性能や航続距離、ステルス性といった設計費のほかに、将来のコンピューター・システム構築のための研究費なども含めると、関連経費だけでも約280億円になるとか。もっとある。航空自衛隊に「宇宙作戦隊(仮称)」を新設し、宇宙状況監視(SSA)衛星の整備費など数百億円を計上。陸海空共同の「サイバー防衛隊」増強費も盛りこんでいる。

これでは平和憲法も9条もあったものではない。

 くどいようだが、今回初めて導入する最新鋭ステルス戦闘機F35B6機は、たった1機で793億円。これでマスクが何枚買えるか。病棟をいくつ作れるか、瀕死の患者たちを何人救えるか。

 戦う前から、人類は新型コロナがもつ毒性の狡智に負けているのだ。それは軍拡競争に狂奔してきた人間世界の暗愚と倨傲(きょごう)への痛烈な警告とも思われてならない。引用終わり)

* 以上の論考が書かれてから1年と2ヶ月余り経った現在この論考は胸に迫る。結びのことば、「軍拡競争に狂奔してきた人間世界の暗愚と倨傲への痛烈な警告」は、まさにその通りと思う。

141.辺見庸著「コロナ時代のパンセ」(246ページ〜249ページ)より引用その一

 * この地球という惑星の中で、毎日、飢えて命を落としている子どもが数え切れないほどいるというのに、11分間の宇宙旅行に31億円使う人がいる。どう考えてもバカげている。

 「将来は宇宙観光に利用される見通し」と毎日新聞夕刊は伝えているが、宇宙観光って何?

* 辺見庸著の「コロナ時代のパンセ」を読み始めた今日、上記のニュースを読んで、人間というのはどうしようもない生き物だなあと思った。

辺見庸著「コロナ時代のパンセ」から引用その1(246ページ〜248ページ)

タイトルは <「コロナ後」の世界>

 わたしは本稿を2020年3月31日に書いている。わざわざことわるのは、執筆時と本誌刊行時に相当の時間差があり、情勢が大きく変化しているかも知れないからである。もっとも、わたしの予感は「最悪」か「著しく悪い」かのどちらかだから、大差ないと言えばそうなのだが.....。

 疫学上のことを語る資格も情熱もない。だが、新型コロナ禍がいま、政治、経済、社会、文化的に世界をどれほど激しく変容させているか、コロナの災厄が終息すればものごとはおおむね”正常化”するのか.....については大いに関心がある。結論から言えば、わたしはきわめて、きわめて悲観的だ。国家権力というものは「危機」を養分にして肥えつづけるものだからだ。

 本稿執筆時点ではまだ「緊急事態宣言」はだされていないが、送稿後の今晩、明朝にでも布告される可能性は大いにある。では「緊急事態」とはそもそもなにか?大辞林にはこうある。

 「⓵緊急に処置を加えなければならない重大な事態。⓶<法>大規模な災害や騒乱の発生など、治安を維持するうえで急迫した危険が存在する状態。内閣総理大臣は緊急事態の布告を発し、警察を一時的に統制下に置き、また警察力を超える事態と判断した場合、自衛隊の出動を命ずることができる。」

 ふむ.....。ここで想起すべきは、1933年3月にナチス政権下のドイツで成立した「全権委任法」であろう。これは、「授権法」とも呼ばれ、議会が他の国家機関に対して立法権を包括的に委任することをゆるす法律であり、日本の国家総動員法(1938年制定46年廃止)などとも相似する。

 授権法により、内閣はほとんど無制限の立法権を与えられ、議会は単なるお飾りでしかなくなった。これは、ヒトラー内閣による事実上のクーデターだったのだが、当時、反対し警戒する世論はあまりにも少なく、国民主権や議会制民主主義の採用など20世紀民主主義憲法の先駆けといわれたワイマール憲法は事実上終わりを告げたのだった。


2021年6月13日日曜日

140.6月13日のカラーとホウチャクソウの実

6月10日に開花したカラーを投稿しました。
右は今日6月13日の写真です。
去年は6月29日開花でしたが
今年は色々な花たちの開花が早いようです。














上は4月3日のホウチャクソウの花。5月2日には緑の実になって、
6月10日には実は黒くなっていました。下の写真。このあとどうなるのかな。



2021年6月12日土曜日

139.コロナ時代のパンセ 書評

*  5月26日のブログに<辺見庸著「コロナ時代のパンセ」戦争法からパンデミックまでの7年間の思考>を買ったと書いた。今日の東京新聞朝刊にこの本の書評が載った。評者は鵜飼哲(一橋大名誉教授)。この書評のタイトルは「日本社会の結界破る言葉」。この本を買いたい、買わねばならない、読まねばならないと思わせる書評だ。私は辺見庸ファン(ファンというと軽薄な感じがするかもしれないが........)なので彼の新作は迷わず買ってしまう。とにかく本は読んでも読まなくても手元に置きたい、何かという時すぐ手に取りたい、図書館まで出かけて借りるということができない。で、断捨離どころか本だけはますます増える。

 この本を買ってみてちょっと驚いたのは、最終ページの、通常なら「あとがき」にあたるところを読んだ時。

<本書は月刊「生活と自治」(生活クラブ連合会)2014年2月号から2021年3月号に連載された「新・反時代のパンセー不服従の理由」を再構成したものである。本稿連載にあたっては月刊「生活と自治」編集室の山田衛、元木知子の両氏にお世話になった。記して御礼申し上げる。辺見庸>

と記されている。ちょっと驚いたのは、生協の月刊誌に辺見庸の連載があったこと。生活クラブ出身の現職区議会議員をを知っているし、組合員から都議会議員に立候補していることも知っているが、彼女たちの活動と辺見庸の言論とが結びつかなかった。どういう経緯で辺見庸の連載が始まったのか興味がある。

書評の一部を。<集団的自衛権の容認、安保関連法、特定秘密保護法、共謀罪と打ち続く安倍自民党政権の憲法破壊。相模原障害者大量殺傷事件、米国大統領選でのトランプの勝利....。「まさか」が現実に、「真実」が所在不明に、非常が日常になるとき、眼力を磨き続けることは至難の技だ。

 とりわけ日本社会には思考に無意識の萎縮を迫る結界が張られている。著者は記者時代の先輩の言葉を思い出す。「おまえな、オリンピックと戦争と天皇には勝てねえんだよ」。「けっ、しゃらくせえ!」が口癖だったこの人は、事故か自殺か不明の轢死を遂げる。「連日のオリパラ・ご退位さわぎ」はこの国のメディアの変わらない翼賛体質を露わにした。その先には改憲と戦争が待っている。これほど明白なことを指摘するにも言葉は結界を破らなければならない。そのためにこそ文体はとぎすまされる。>

 こんな書評が書かれるような内容が生協の月刊誌に連載されていたとは、私の偏見なのかも知れないが、やっぱり驚かされた。ともかく早く本書を読まねば。


2021年6月11日金曜日

138.6月11日の庭の草花たち







最初の写真は、よく見ないとわからないでしょうが、風蘭の花芽。
紫陽花はそろそろ終り。千両の蕾。 最後はツユクサ。

2021年6月10日木曜日

137.2021年のカラー開花!


5月13日のブログにカラーの話を書きました。
その後順調に葉が伸びて

今朝6月10日、花芽が二本伸びて黄色い花が咲きました。
花と言っても黄色い部分は苞だそうですが。
2003年鉢植えの花が終わった後地植えにし、2017年初めて花を見たのは6月27日。それから毎年花が咲く。今年はどうかなと思っていたら、5月10日に芽を見つけそして今日6月10日花を発見。



2021年6月9日水曜日

136.東京五輪中止を社説に掲げたのは!?

きょう6月9日(水)毎日新聞夕刊<特集ワイド> 

『東京五輪は誰のため?』

スポーツジャーナリスト谷口源太郎さんは問う

理念失い形骸化 政治利用は許されない

2面の半分を占める大きな記事だ。この中に次の文がある。

* 開催の可否を巡って旗幟鮮明ではなかった国内メディアに最近、動きがあった。信濃毎日新聞が5月23日付の社説で、西日本新聞社は同25日付で、それぞれ中止に言及したのだ。オフィシャルパートナーである朝日新聞社も、同26日付の社説で今夏の開催中止を首相に求めた。

「人間の生命にかかわる大問題だとの声が四方八方から上がり、メディアとしてこれ以上無視できないと思ったのではないか。権力監視がジャーナリズムの原点ですよ。」海外メディアの懐疑論も活発だ。米国の有力紙「ワシントン・ポスト」はIOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」とやゆし、中止を提言している。

ちなみに、信濃毎日、西日本と聞いてピンとくる向きは少なくないだろう。戦前、軍部批判のペンを振るう反骨の新聞人がいた、信濃毎日の桐生悠々(1873〜1941年)西日本(当時は福岡日日)の菊竹六鼓(1880〜1937)。*(ここまで新聞記事引用)


桐生悠々や菊竹六鼓が今の世にいたら、東京五輪に関して何といっただろう。

2021年6月8日火曜日

135.青木理「抵抗の拠点から」サンデー毎日6月20日号より

青木理のカウンター・ジャーナリズム

「抵抗の拠点から」第332回「風評加害

今日配達のサンデー毎日(630日号)の青木理コラム「抵抗の拠点から」はいつもにもまして興味深かった。タイトルは<風評加害被害じゃなくて加害ですって!(全文書き写しますが、できればサン毎6月20日号(430円)をお買い求めになることをお勧めします。

もちろん文字色、文字の大小はブログ筆者によります。)


* 風評加害という造語があることを最近、知人の新聞記者に教えられた。どうやら「風評被害の原因となる理屈や言葉」を指すらしく、福島の原発事故をめぐって環境省がこの523日に東京・六本木で開いたシンポジウムでは、パネリストの社会学者が「風評加害の問題」触れ、有力世襲議員として知られる環境相「風評加害者にならないこと」の重要性を訴えたという。直後の528日には、衆院の環境委員会でも「風評加害」なる造語が登場している。質問でそれを発したのは、かつての民主党政権で原発事故収束担当相や環境相などを務め現在は自民党入りを目指しているという節操無き無所属議員"先輩環境相"としてのアドバイスのつもりか、現環境相に向けて彼はこう訴えた。

 

「後悔していることがある。それは風評加害(への対応)だ」「非科学的な情報や報道には

丁寧に説明するだけではダメ。きちっと反論することが求められている」そしてこの無所属議員に言わせれば、私も「風評加害者」の1人らしい。政治家としての彼には一片の関心もないし、SNSの類いもやらないから知らなかったのだが、少し前に彼は自身SNS上で私を名指し批判し、「風評加害」だと指弾していたらしい。原因は私がテレビ番組で発した「汚染水」という言葉だったという。


* ご存知のとおり、

事故から10年を経ても福島第一原発の廃炉作業は先がまったく見えないが、敷地内に林立するタンクに貯まった膨大な「汚染水」を放射性物質除去装置で「処理」し、海洋放出する方針を政府は先に正式決定した。地元漁協などが猛反対する一方、政府の意向に沿って主要メディアは「処理水」と書くことが多い。


* だが、果たしてこれは適切な表現か。

人類史でも未曾有の大事故を起こした原発は現在も日々大量の「高濃度汚染水」を生み出し、いくら除去装置で「処理」を施したといっても、なくとも現在保管されているのは「汚染水」。除去装置では取り除けないトリチウムが含まれるほか、除去しきれなかった他の放射性物質も残留しており、あらためて「再処理」が必要なことは政府も東電も認めている。


* しかも政府や東電の従前の隠蔽体質を考えれば、

現時点でこれを「処理水」と表現する方が物事の本質を見誤らせ、

同時に「海洋放出」という政府や東電の決定を追認する効果をもたらす。


* 思い出すのは武器輸出を「防衛装備移転」、共謀罪を「テロ等準備罪」、

そして安保関連法を「平和安全法制」などと言い換え、

物事の本質をそらすのに躍起となった昨今の政治の狡であり、

「風評加害」という言葉がさらに悪質なのは、

物事の本質を考察しようとする者を排撃する犬笛の効果を誘発しかねない点であろう。


* 結果として政治は本質の説明からも逃れかねない。

一見して福島に寄り添うふりを醸しつつそれを可能にするのだから、

これほど邪悪な政治的造語はない。