2021年6月20日日曜日

152. 東京新聞6月21日(日)日曜版〜大図解〜

*東京新聞日曜版〜大図解〜は毎週興味深い内容だが、きょうは、永久保存版といっていい内容だった。23日(水)の沖縄慰霊の日をまえに、今日のテーマは

もう一つの沖縄戦 戦争マラリアだった。

恥ずかしながら、『戦争マラリア』について、この歳になるまでほとんど知らなかった。 

大図解を書き写すのは無理だが、大きな見出しだけでも書き写しておく。

 (以下新聞書き写し)              *

もう一つの沖縄戦 戦争マラリア

23日は沖縄慰霊の日。太平洋戦争末期、米軍上陸がなかったにもかかわらず、八重山諸島では強制的、疎開などでマラリアによって約3600人が亡くなりました。「戦争マラリア」と呼ばれる戦時下の悲劇をデータとともに紹介します。

苦しんだ八重山諸島の歩み (石垣島、西表島、与那国島、小浜島、竹富島、鳩間島、黒島、新城島、波照間島)

高熱と飢えによる地獄の日々

斉藤美香(さいとうみか)<琉球大学医学研究科教員、第8回ゼロマラリア賞受賞>科学を政策の中心に』という解説は、コロナ禍の現在、説得力のある解説。

八重山の長いマラリアの歴史の中で、注目すべき感染の波が二つある。一つは戦争マラリア、二つ目は移民マラリアである。共通するのは科学を理解するリーダーの不在である。

戦争マラリア当時、病に対抗する武器はあった。有病地や感染経路は既知であり、キニーネという治療・予防薬も存在した。住民は蚊の巣窟に追いやられ、薬は軍が独占した。公助はなく、食料がない極限の状況下で共助は崩れ、伝統薬でしのぐ自助のみが人々に唯一できることだった。科学的にマラリアを予見できた上での人災であった側面が強い。驚くことにワクチンという武器も有し、人流抑制、水際強化が医療の限界を食い止めることが分かった今も、長い間自助が叫ばれていた。われわれは命を守る公助を求めている。(中略)

感染症がない世界の平和は、当たり前ではなく、常に先人たちの血と涙の努力がある。そして、政策の中心に科学が据えられていたことを忘れてはならない。(終)(以上新聞書き写し)

* 日本政府はこの結語を噛みしめるべきだ。