2021年6月5日土曜日

131.<「主権者」を生きる> 桜井善作著

白井聡著 「主権者のいない国」が話題になっているが、手元には<「主権者」を生きる」「野火」が放つ民の声>という本がある。著者の桜井善作さんは、私ども夫婦の長年の友人で、この本は2016年に出版された。

*2016年7月5日第1版第1刷発行 発行所編集工房朔 発売元星雲社 定価1500円+税

 著者は、主権者としての誇りを持って1980年11月<月刊小新聞「野火」>の発行を始め、2015年3月迄続けた。

本のあとがきに、こうある。

* 昨年3月終刊した月刊小新聞「野火」の積み重ねてきた紙面、なかでも政権批判を中心としてきた1面記事の中から選び出して1冊分にまとめ、素早く出版したいと思い立ち早速準備に入った。(中略)1年あまりを経てようやく日の目を見ることができて、肩の荷が下りた気持ちである。主権者として、ひたすら平和道を追求し、人権尊重社会を築き上げるため、政治や社会に発信し続けなければならないとの思いだが、省みれば、あまりに単純な私の性向ゆえに、作戦も打算もなかったから、結局は”蟷螂の斧”に終始してしまったかもしれない。ただ、私の行動や「野火」の主張が、世論喚起の切っ掛けになればとの願いは抱き続けていた。

 ”蒔かぬ種は生えぬ”を念頭に、根気よく世の出来事に広く関心を寄せ、我が身に引き寄せて考え、声を上げる役割を自分に課してきた。(後略)

*「主権者」ひとりひとりが桜井さんのように、「主権者を生きる」決意を持って人生を生きてきたら、「主権者のいない国」という惨めな国にならなかった。私自身は少なくとも81歳の現在まで「主権者」の自覚を持って生きてきた。それでも現在「主権者のいない国」になってしまったのだとしたら、主権者の自覚を持ち、主権者として生きることをしなかった人々が多数派だったということだろう。 

<天安門事件から32年目>                

昨日6月4日は、「天安門事件」から32年だった。あの学生たちは今どのような人生を送っているのだろうか。今日の新聞、私が購読している毎日と東京は、両紙とも国際面で触れているが東京の扱いは、紙面の大きさでいうと毎日の2倍ほどあった。目に留まったのは、東京の記事の中の次の文。<犠牲者の遺族団体『天安門の母」は、4日を前に声明を公表。党創設百年に言及し、「(事件の)解決には共産党と中国政府が避けることのできない責任がある」と、真相究明や賠償を改めて求めた。天安門事件は89年6月4日、天安門広場に軍が突入し民主化要求デモを鎮圧。当局発表の犠牲者数は319人だが、実際には数千人に上るとの指摘もある。>