2021年6月14日月曜日

141.辺見庸著「コロナ時代のパンセ」(246ページ〜249ページ)より引用その一

 * この地球という惑星の中で、毎日、飢えて命を落としている子どもが数え切れないほどいるというのに、11分間の宇宙旅行に31億円使う人がいる。どう考えてもバカげている。

 「将来は宇宙観光に利用される見通し」と毎日新聞夕刊は伝えているが、宇宙観光って何?

* 辺見庸著の「コロナ時代のパンセ」を読み始めた今日、上記のニュースを読んで、人間というのはどうしようもない生き物だなあと思った。

辺見庸著「コロナ時代のパンセ」から引用その1(246ページ〜248ページ)

タイトルは <「コロナ後」の世界>

 わたしは本稿を2020年3月31日に書いている。わざわざことわるのは、執筆時と本誌刊行時に相当の時間差があり、情勢が大きく変化しているかも知れないからである。もっとも、わたしの予感は「最悪」か「著しく悪い」かのどちらかだから、大差ないと言えばそうなのだが.....。

 疫学上のことを語る資格も情熱もない。だが、新型コロナ禍がいま、政治、経済、社会、文化的に世界をどれほど激しく変容させているか、コロナの災厄が終息すればものごとはおおむね”正常化”するのか.....については大いに関心がある。結論から言えば、わたしはきわめて、きわめて悲観的だ。国家権力というものは「危機」を養分にして肥えつづけるものだからだ。

 本稿執筆時点ではまだ「緊急事態宣言」はだされていないが、送稿後の今晩、明朝にでも布告される可能性は大いにある。では「緊急事態」とはそもそもなにか?大辞林にはこうある。

 「⓵緊急に処置を加えなければならない重大な事態。⓶<法>大規模な災害や騒乱の発生など、治安を維持するうえで急迫した危険が存在する状態。内閣総理大臣は緊急事態の布告を発し、警察を一時的に統制下に置き、また警察力を超える事態と判断した場合、自衛隊の出動を命ずることができる。」

 ふむ.....。ここで想起すべきは、1933年3月にナチス政権下のドイツで成立した「全権委任法」であろう。これは、「授権法」とも呼ばれ、議会が他の国家機関に対して立法権を包括的に委任することをゆるす法律であり、日本の国家総動員法(1938年制定46年廃止)などとも相似する。

 授権法により、内閣はほとんど無制限の立法権を与えられ、議会は単なるお飾りでしかなくなった。これは、ヒトラー内閣による事実上のクーデターだったのだが、当時、反対し警戒する世論はあまりにも少なく、国民主権や議会制民主主義の採用など20世紀民主主義憲法の先駆けといわれたワイマール憲法は事実上終わりを告げたのだった。