2022年4月11日月曜日

NO.492 セッチャン便り


🌻 1月の帯状疱疹以来、どうも元気発剌とならず、ブログ更新が時々滞って、申し訳なさと、残念という思いでいっぱい。ところで、去年は、3月28日に、ホウチャクソウの花が咲いて、ブログに写真を載せたが、今年も同じ所にさいているのを見つけた。地味で匂いもないから見のがしちゃう。今日見たら、石の間に背を伸ばしでいた。(写真)
🌻セッチャンが元気に便りをくれたので、載せます 

💐77年前の春、ウクライナと同じだった日本」 💐

4月15日は、私のふるさと、東京「蒲田」が、米軍の焼夷弾で、焼け野原になった日です。縁故疎開と、学童疎開の留守を守った、祖父、祖母は、命がらがら地域の人達と池上本門寺に逃げた。その後、焼け残った家に身を寄せ、そこも爆撃で焼け落ち、神奈川の親戚を頼り、次に疎開先の富山まで逃げ延びてきました。祖父母は、そこにはいつまでも世話になれず、終戦前に、また、何もない焼け野原の蒲田に戻り、なんとか雨露を凌いで終戦迎え、9人家族が飢え死にしないように頑張ってくれました。 

家族全員が、また、元の家に帰れたというのは、奇蹟です。

 疎開先で疫痢になり、死にかけた私も、一年生になる直前、無事に帰り、見渡す限りの焼け野原で、たくましく、育ちました。

🌻セッチャンは東京で、ナオコばーちゃんは高田馬場から疎開した信州の山の中の村で終戦(敗戦)の翌年、国民学校1年生になりました。ナオちゃんの生家は、1945年5月25日の山の手大空襲で全焼。高校卒業まで信州で暮らし、18歳の春、東京学芸大学で二人は初対面のご挨拶となったのでありました。それから、それぞれ人生の荒波をかいくぐり、ともに夫を看取り、おばあちゃんになって、旧交を温めているというわけです。(なお、国民学校は、1947年の教育基本法制定によって小学校と名前が変わった)

これを書いている時つけっぱなしのテレビから「映像の世紀(NHK )」が流れてきたので、ブログ中断して、テレビを見た。アインシュタイン、オッペンハイマー、湯川秀樹など、著明な科学者が登場。戦争と科学技術研究との関連を描いている。ウクライナ問題の今、示唆に富む番組内容だった。再放送があれば是非オススメです。

なお、4月18日(月)よる10時からの「映像の世紀」はメルケル首相誕生の話

だそうです。映像の世紀はどれもみな素晴らしいが、メルケル誕生物語は見逃せません。