2022年4月18日月曜日

NO.498 サン毎5月1日号38ページ「抵抗の拠点から」

2022年4月18日(月)

今朝配達されたサンデー毎日5月1日号。青木理さんの連載「抵抗の拠点から」 

 第3段落以降を書き写します。(レイアウトは🌻による)

 そういえばつい先日、長く与党幹部や閣僚を歴任し、保守の重鎮とされた元政治家と話す機会があった。彼はふとこんな台詞を口にした。「政治の役割はさまざまあるが、最終的に最も重要な役割は、戦争だけは起こさない、起こさせないこと、それに尽きるんじゃないかと思う」と。
 いかにも情緒的というか、ある種教科書的な物言いにも感じられたが、それは先の大戦の辛苦を直接知る者たちの、それを直接経験させられた世代の、心底に刻まれた叫びのようなものにも思われる。保守だろうが革新だろうが、少し前の政治家には、そうした矜持が一定程度は共通して漂っていた。そうした政治家が重しとして存在し、軽薄な風潮に警告を発していた。
 これも取材の用あってのことだが、後藤田正晴の発言録を最近再読する機会があった。
あらためて紹介するまでもなく旧内務省出身の警察官僚であり、警察庁長官を務め、政界に転じると中曽根内閣の官房長官や副総理なども務めた”カミソリ”は90年代の末、こんな言葉を発している。
(21世紀の安全保障政策として、核による抑止と均衡という考え方は成り立たない。過去のものである。/核の廃絶、軍備の縮小、核保有国の非保有国に対する核攻撃の禁止、非核地帯協定の拡大、そして国際協力の増進と共存政策の構築に向けた努力ーーこれが各国のこれからの安全保障政策のあるべき方向ではないか。)
(将来は9条を改正し、自衛権を明記することになるのかもしれない。そのときのことで一つ注文をつけるなら、海外では武力を行使しないことを同時に明示すべきであるということだ。これだけは最後の一線として守るべきだ/自衛のためならいいではないか、という反論が出てくるかもしれないが、侵略のため軍隊を持つ、海外へ出て行くという国はどこにもない。/だから私は当然、拡大解釈で集団的自衛権は合憲とする考えにも賛成できない。)(いずれも朝日新聞に寄稿された「後藤田正晴の目」)
 ひるがえって現在、薄くて軽い世襲議員が政界を我が物顔でのし歩き、ロシア大統領に媚びた大失敗への悔いすら微塵も省みず、逆に「改憲」だとか「核共有」だとか、さらには「敵基地攻撃」などと高らかな声をあげている。これを劣化と言わずして、何を劣化と呼ぶべきか。
🌻全くその通りです。なぜそういう人たちが日本の政治の中枢にいられるのか。腹が立つ!🌻