2022年6月4日土曜日

NO.554〜2022年6月4日(土)〜去年の6月3日の記事〜

 🌻 昨日、6月3日はブログを休みました。ケガは大したことはなく、外出はしませんが、家の中では、足の甲と胸にベルトをしてまあまあ動いています。ただ、元気いっぱいあれこれ怒りまくってブログに書くという気力がいまいちで、気がついたら、6月3日は過ぎてしまいました。今、6月4日午前4時半過ぎ、ちょっと玄関先に出てみたら朝焼けの空がきれい。そうそう、昨日(6月3日)のブログを休んじゃったので、昨日の分として、去年の6月3日の記事を再掲しようと読んでみたら、すご〜く元気。1年後に足や肋骨にひびが入って、うろうろしているなんて夢にも思っていない。まったく一寸先は闇。さて、来年の6月4日はどんなことになっているかな。1年後どころか、一寸先のことだって予測できないのが現実。まあ、この文章が中断することはないと思いますが。と前置きはこのくらいにして、以下は去年の6月3日のブログです。 2日続けて去年のブログ再掲とは、まったく困ったちゃんですね(😓)🌻

           

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 NO.129 〜2021年6月3日(木)  辺見庸と青木理

*  辺見庸に関しては、このブログの4月10日に「午前3時の辺見庸」というタイトルで「もの食う人々」について書いた。彼の最新作というか一番新しい著作「コロナ時代のパンセ」を買ったことも5月26日のブログに書いた。辺見庸の著書は出版されるたびに購入しているが、なかなか読み切れない。彼のHPも毎日のようにチェックしている。作家の中でも最も信頼できる人と思っている。昔一度だけ、彼の講演会を聞きに行った。

* 青木理につては、サンデー毎日の彼のコラム「抵抗の拠点から」を愛読している。著書も何冊か買っている。青木理が書いたものの中に<井出孫六著『抵抗の新聞人桐生悠々』岩波新書>について書いたものがあり、私もその本を愛読している。彼の経歴を見たら、私よりずっと若いけれど(1966年生まれ)、私と高校が同じということがわかった。ついでに言うと、井出孫六(故人)は私の郷里と同じ信州佐久の人で、そのお兄さんもすでに故人だが、井出一太郎(三木内閣の官房長官)。さらに一太郎の長男井出正一(彼も故人)は、私の高校時代の同期生。ということで、青木理が井出孫六や井出一太郎、井出正一、そして、長野県野沢北高と繋がって、会ったことはないけれど、急に親しみを持つようになった。

 そのうえ、青木理がサンデー毎日のコラムに、物事を考える上での原器(例えばメートル原器というように使う意味での原器)が辺見庸であると書いていたので、ますます青木理を身近に感じる。私も辺見庸をそのように捉えているから。何かあると、辺見庸はどう言っているかと彼のHP を見る 。この前のイスラエルによるガザ爆撃についても辺見庸は「暴力の応酬などではない。一方的虐殺だ」と言い切った。(このブログ5月17日参照)その通りだと思った。

 青木理はテレビにも出ているが、テレビで本音は言えるのだろうかとちょっと気になる。また彼は大阪毎日夕刊にもコラムを持っている。ネットで時々読んでいるが、歯切れよく権力批判をしている。

*辺見庸や青木理がこの先いつまでも元気に,私の原器であり続けて欲しいと思う。なお、夫存命中は、私の原器は夫でした。今の世について、夫が存命ならばどう言ったかしらと時々思います。今月29日は夫の祥月命日です。丸17年経ちました。64歳だった私が81歳になりました。


2004年6月29日、病室のベッドサイドに風蘭の鉢がありました。夫が最後に見た花です。

左の写真は去年の6月29日庭に置いた風蘭。17年間必ず命日には花が咲いたけれど、今年はどうかしら。