2021年10月25日月曜日

NO.310  2016年4月6日東京新聞発言欄に載った投稿

 きょう、NHKBSプレミアムで午後5時30分から7時まで「映像のプレミアム選 激動の宰相たち」が放送された。毎週月曜日のこの時間に放送される「映像のプレミアム選」は素晴らしい。

 今日の内容は太平洋戦争前夜から1960年の安保反対運動、そして岸首相の退陣まで。東条英機、吉田茂、岸信介などなどの肉声も聞けた。そんな90分の映像の中で、とくに私が惹きつけられたのは、私自身もその群集の中にいた、あの1960年6月15日の国会へのデモの映像だった。

 先ほどその番組を見終わって思い出したのは、2016年4月6日の東京新聞に掲載された私の投稿だった。自画自賛みたいになってしまうが、5年も前のことなので自分でも改めて読み直したいので、ここに載せる事にします。76歳の私の文章です。

 『樺さんの死に報いたいが』

 3月29日朝の杉並の空は、前夜の激しい雷雨と雹から一夜明けて快晴となった。しかし、私の心は土砂降りで、同日の朝刊1面「安保法制下の日本に」の見出しに胸が締め付けられた。人生の最終コーナーで、こんな日を迎えるとは、想像できなかった。1960年6月15日、60年安保のデモで樺美智子さんが亡くなった場所に私もいた。それから56年間、反戦平和の闘いをしてきたつもりだし、選挙では護憲派に投票してきた。しかし、なぜこんな世の中になってしまったのか。どう考えてもその理由がわからない。日本の軍国化、ファシズム化の中で人生を終わりたくない。どうしたら「樺さんの死を無駄にはしない」と誓った思いを果たせるのだろうか。

 この投稿に書いてある3月29という日は2016年3月29日に『平和安全法制』が施行された日。

 先ほどまで見ていた「映像のプレミアム選 激動の宰相たち」では、1960年6月15日の国会デモの中での樺美智子さんの映像もあり、あの中に20歳の私も写っていたのかと思うとなんともいえぬ気持ちになった。

 あの日から61年、当時の首相岸信介の孫息子が闇将軍!?として権勢を振るう現在の政権党の議員の女性が「敵基地攻撃」などと口にするのをあの世の樺美智子さんは、どんな思いで聞くだろうか。樺美智子さんに会わせる顔がない。