2022年9月2日金曜日

NO.669〜2022年9月2日(金)国葬問題に絡めて〜

 

 もう少し体力、健康に自信が持てたら、連日国会議事堂前に行って、「核廃絶!国葬反対!」とプラカードを掲げて叫ぶのになあ、と60年安保世代のばーちゃんは、歯ぎしりしすぎて歯がボロボロ。最近は半流動食というテイタラク。20歳の若者と82歳のばーちゃんを比べてみても仕方がないけれどね。というわけで、せめて、なんとか気持ちをと玄関ドアに色鉛筆で書いた小さな紙切れを貼り付けました。あまりにも下手な字!唯一の戦争被爆国の日本国の首相が、核廃絶にシランンプリ、長い間首相の座に座っていたという以外なんの取り柄もないばかりか、悪政の数々を行った人物の葬儀を「国葬」とするなど、あまりにも国民をなめたやり方。人生の最終盤にこんな世の中を見ようとは、言葉もない。

 ところで、夫が元気な頃、手書きの二人新聞「GOMAMENOHAGISIRI 」略して、「GH」を発行していて、友人知人に郵送していたが、国葬問題で思い出して、昭和天皇裕仁が亡くなった時の綴込みを取り出した。

 あれは1989年1月7日のことだった。朝早く妹から電話があり、天皇が死んだとのこと。もう前から、危ないという話が伝わってきていたので、驚きはしなかったが、何も夫の誕生日に死ななくたってと思った。冬休みも今日で終わりということで、二人で街に出かけてお昼を食べ、そのあと映画でも見ようかと話していたので、映画館に電話したら「寅さん映画」だったので、喜んで出かけた。


 さて、1月8日3学期の始業式、校長は子ども達にどう話すかなと見ていたら、喪服も着ていないし、「天皇が死んで、昭和が終わり、平成になった」と言っただけで、黙祷もなく、何かあったらと手ぐすね引いていた私は肩透かしだった。ところで、この日の私の服装は喪服どころかお正月に新調した真っ赤なジャケット、赤いネックレスとイヤリングといういでたち。日頃、私の言動になんだかんだと口うるさく言っているおばさまがた(先輩教員です)に、何か言われたらと反論の用意もしていたが、これも何もなく、残念!?

 左の写真は、最近の玄関のかざり。ゲルニカの額(以前に写真を載せましたね)の下に正義の女神「テミス」二つともギリシャ旅行で買ってきたもの。とアフリカ土産の家族像。夫婦の思い出の品。テミスは剣と天秤を持つ。そのいわれは、夫の書いた文章があるのでいずれブログに。