2021年8月5日木曜日

NO.214(8月5日その2) 1945年8月6日9日について

📕 今日は8月5日 今朝の投稿は「アブラゼミの亡骸」だったが、2回目はやっぱり広島と長崎のことになる。

8月6日広島、9日長崎、この両市への原爆投下は、日本の歴史上、最大の禍根を残す出来事、つまり天皇、政府、軍部の最大の戦争犯罪。もちろん原爆投下をしたアメリカに罪はあるが、投下をさせない手立てはあった。その前に日本が降伏していればよかったのだ。そして降伏のチャンスはいくつもあった。だいたい真珠湾攻撃からして、しなくてすむ方法はあった。歴史にifはないけれど、それにしても1941年〜    1945年の太平洋戦争を振り返れば振り返るほど、天皇、政府、軍部の様々な判断ミスは暦史上最大のできごとだった。

📕 原爆投下関連の本確かあるはずと書斎の棚を探したらやっぱりあった。

  「黒い雨」(430円)と 「長崎の鐘」(200円)

  

井伏鱒二作「黒い雨」  新潮社

 昭和41年10月25日発行 昭和42年3月8日11刷 定価430円

 「黒い雨」は、このほどニュースになりましたね。

76年も経ってやっと!!!




📕 以下の解説はウイキペディアより 📕

長崎の鐘』(ながさきのかね)は、永井隆が執筆した随筆。 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。永井は、この時妻を亡くした。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。

  作品は1946年(昭和21年)8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。精神科医の式場隆三郎が創刊に関った『東京タイムズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。『長崎の鐘』は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。

永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。