2021年8月17日火曜日

NO.231 入管行政の人権侵害


上の写真、8月15日

東京新聞こちら特報部のなかの

「本音のコラム」

前川喜平さんの

 <入管行政の人権侵害>

以下、全文書き写し。

         

* 名古屋の入管施設で亡くなったウシュマ・サンダマリさん。監視カメラ映像を見て衝撃を受けた妹さんたちは「姉は動物のように扱われ殺された」「入管は人の道を外れている」と訴えた。

* 外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由。1965年に池上努という法務官僚が自著で言い放った言葉だ。入管行政における人権侵害は国際機関から再三指摘されたが、日本政府はほとんど無視してきた。日本政府がこれほどまでに外国人の人権を蔑ろにするのはなぜなのか。その答えは日本国憲法の制定の経緯の中に潜んでいる。

* GHQの草案では「法の下の平等」は「一切の自然人」を対象としていた。「外国人は平等に法律の保護を受ける権利を有する」という内外人平等の規定もあった。しかし日本政府の憲法改正案では「法の下の平等」の対象が「すべて国民」と書き直され、内外人平等規定は削除された。衆議院の審議では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」という条文が加えられ、人権保障における日本国民と外国人の区別が明示された。人権が「国民の権利」にすり替えられたのだ。その背景には、日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓があった。それは今も日本人の潜在意識に根深く残っている。この観念を根絶しない限り外国人への人権侵害は続くだろう。(現代教育行政研究会代表)

😡 日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓 という指摘に、私は深く同意します。なにかにつけて「我々日本人は」みたいな言い方や「日本人らしいね」みたいな言い方を見聞きする。一番おかしかったのは「満開の桜を見ると、しみじみ日本人に生まれてよかったと思う」という言葉を見たとき。なんでなの?と思ったね。私は自分の国籍は日本国籍だと知っているが、「日本人」という規定は国籍以外に何があるのかなと考える。日本民族という言い方があるが、自分が日本民族かどうかなど考えたことはない。何民族でもいい。ホモサピエンスの歴史の中のひとしずくだとは思うけれど、先祖を辿ればどこから来たのかわからない。

 国籍だって、国籍という概念が生まれたのは地球40億年の歴史から見れば、ついこのあいだのこと。何人(なにじん)だっていいじゃないのと思う。

 ところで、話は変わるが、私は、ちくま新書の「人類5000年史I紀元前の世界 出口治明著」 を手元において、時々拾い読みをしている。そこにこんな一節がある。(19ページ)<なお、地球の生命の歴史は、残るところあと10億年です。10億年後には、太陽が膨張して地球上の水が全て蒸発してしまうからです。つまり、地球の生命の歴史は全部で50億年、私たちはその中で既に40億年を生き抜いてきたのです。>