2021年12月29日水曜日

NO.384    29日という日

🌻 今日のブログは、全くの私事なので、申し訳有りませんが、私にとっては忘れられないことを書きますので、ごめんなさい。🌻

 * 1年365日ある中で29日という日は12回あるわけですが、私にとっては6月29日と12月29日は生涯忘れられない日になると思います。

 6月29日は、亡夫の命日。2004年6月29日、午後2時42分彼は息を引き取りましたこのブログの6月29日NO.165に 6月29日亡夫の祥月命日<風蘭忌>(没後17年)を書きました。

 そして今日、12月29日は、今から60年前の12月29日、私のその後の運命を決めた日なんです。 なんて、ちょっと大袈裟かもしれませんが、1961年12月当時、東京学芸大学4年生の私は、来年3月卒業のあと、どこでどのような人生を送ることになるのだろうかと、落ち着かない日々を送っていました。東京都の教員採用試験を受験していて一次試験(筆記試験)は受かっていたのですが、二次試験(面接)の結果が分かっていなかったのです。もし、不合格なら、信州の実家に帰って、ともかくなんでもいいから働かねばならない。教員以外にできることなんてないのになどと、悩み多き日々でした。

 そして運命の日(な〜んて大袈裟かな)、12月29日、私と弟が暮らすアパート(4畳半一間、トイレもガス水道の台所も共同)に、速達が届きました。差出人は東京都教育委員会、震える手で開封すると「採用試験合格!」の通知!弟とビールで乾杯したのを覚えています。なんで部屋にビールがあったのかしら(笑)。(その弟は、都立高校の教員だった24歳の時、北アルプスの槍ヶ岳で病死してしまいました。)

 その日の日記は今も取ってあります。60年前、1961年12月29日、22歳の日記。

 街は、そして街行く人々は、年の暮れで忙しそう。毎日ノイローゼ気味だった私も、今日でそれから解放された。合格したのだ。東京の教員試験二次もパス!つきすぎている感じ。到底ダメだと諦めていた。すべてがこの秋、教育実習でご指導を受けたM先生のおかげという気がしてならない。15倍という競争率の教員試験に到底受かる気がしなかった。そんな悩みを話して相談した時に「どうしても成し遂げたいという執念の勝るものが勝つ。最初から諦めの気持ちでいたら受かるものも受からない」と言われた。その言葉に励まされて臨んだ結果だった。全ては先生のおかげだ。今年はもう、お会いすることもないが、3学期が始まったら、結果の報告に伺い、教師としてのありかたなど、いろいろお話を聞けると思う。

 今夜の星は一段と輝きを増している。私はこれで東京の公立中学の教師への道を進むことができるのだ。ほんとに夢のような気持ちだ。M先生!ほんとにほんとにありがとうございました。

* 82歳になった今読み返しても、当時の高揚感が伝わって来る。この結果がなかったら、私の今はない。どんな人生になっていたのかしら。

* じつは、この日から8年後30歳の私は、M先生と結婚したのです。運命というのは不思議なものです。そして、結婚から34年、2004年6月29日、64歳の私は、夫となったM先生と永の別れとなりました。6月29日12月29日私の忘れえぬ日。