写真の2段目後半〜3段目前半
これまでもえげつない政治はあまたあったけれど、戦後政治を振り返るに、この9年間ほどに酷薄な時代はかつてなかったようにおもう。首相の姿勢がそうだが、それ以上に、それに同調、もしくはそれを黙認してきた政権与党の議員に、あるいは一部の自治体首長に、わたしは「残念」ということではとても済ませられない思いを抱いた。
不幸なことにこれにコロナ禍が被さった。医療関係者やいわゆるエッセンシャルワーカーへの対応においても、休業者への給付金の、度を超えて煩瑣な手続きにあっても、政治の酷薄さは今なお続く。
5段目後半、結びの言葉
政治の酷薄に抗い、それを押し返してゆくには、骨太のまっすぐな言葉が要る。思い起こせば、陸前高田で母と家を失くした写真家の畠山直哉も、震災直後、同じ烈しさで次のように書いていた...。
<大津波や原発事故をもし「未曾有の出来事」と言うなら、それに対しては「未曾有の物言い」が用意されなければならないはずだ。>