2022年5月1日日曜日

NO.514 2022年5月1日(日)〜2回目投稿〜今日はメーデー

🌻 今日第1回目投稿はクレマチスの写真をもう一度との、読者のご要望に答えて、クレマチスの写真を載せましたが、2回目は今日という日を忘れちゃいけない「メーデー」のこと。朝刊をつぶさに見たけれど毎日、東京にはメーデーの文字は無し!(見落としたなら、ごめんなさいです)赤旗はさすが6、7面に「メーデー特集」を組んでいます。一般市民にとっては「メーデーは遠くなりにけり」でしょうかね。私自身も54歳で夫の介護のために職を離れてから28年、メーデーの記憶も薄れかけています。そこで、去年の5月1日のブログを再掲します。

〜2021年5月1日の「一寸先は闇」再掲〜
* 5月1日、今日はなんの日と言えば、現職の頃は迷わず「今日はメーデー」と言えたけれど、メーデーも様変わり、今年はコロナの影響もあって、どうやら今日5月1日にメーデーの集会を行ったところは、ないみたいですね。 
* 日本における初めてのメーデーは、1920年5月2日(日曜日)上野公園で5000人が参加して行われ、1935年に第16回が全国で行われた後、2・26事件による戒厳令を機に禁止。再開は戦後1946年第17回メーデーから。今年は第92回だそうですが、メーデーの歴史は、皆さんそれぞれに調べていただくとして、このブログでは、個人的な思い出を。 
* 1920年の第1回メーデには、私の父が参加していたのです。子どものころ、父からよくその話を聞きました。父は高等小学校卒業後(今でいえば中学2年にあたる)郷土の先輩を頼って上京し、様々な仕事をしていたようです。1920年5月2日は父が満21才になる2ヶ月前にあたります。もちろんまだ独身で、確か、ある新聞社の使い走りのような事をしていたと聞きました。どんな事情でメーデーに参加したのか、なんでも、行進中、前の方からどんどん検挙されていなくなって、一番後ろにいた自分が先頭に近いところになっちゃったというような話を聞いた覚えがあります。今になってもっと詳しく聞けばよかったと悔やまれますが、ともかく父は、最初のメーデーに参加した事を誇らしく思っていたようでした。 
* 戦後のメーデーでは1952年の「血のメーデー」が印象に残っています。私は信州の田舎の中学1年生、結婚後この時のメーデーに参加していた夫から詳しい話を聞きました。
 * 私のメーデー体験は代々木公園からですが、当時の日教組は5割動員で100%組合員だった職場では半数がメーデーに参加し、残りの教員は午前中だけ二クラス掛け持ち授業をして、午後から参加したというような事もあったと記憶しています。今は、教員組合そのものが壊滅状態のようですから、5割参加のメーデーなんて夢のまた夢、今は昔の物語です。 

♫ 代表的なメーデー歌 ♫
 「聞け万国の労働者」  
  作詞 大場 勇 作曲 栗林 宇一     
 聞け万国の労働者    とどろきわたるメーデーの    
 示威者に起こる足どりと    未来をつぐる鬨の声 

(以上は去年の5月1日のブログでした)