💐 セッチャンがこんな便りを 💐
ゼレンスキーさん、お疲れで、人相険しく、人相悪く見えます。
何億円もするミサイル撃ちまくり、街を破壊しまくり、無抵抗の人々を、殺戮する戦争の愚かしさ。
死の商人 というキーワードが、昔ありました。今、その 死の商人、兵器産業は、大儲けしているのでしょう。
「家族、私有財産、国家の起源」という昔読んだ本を、また、読みたいと、探しています。
ベトナム戦争の、経過も、読みかえしています。
あれは、ベトナムへの、フランス、アメリカの、侵攻だった。
私は、北ベトナム、ホーチミン、ベトコンを、応援していたっけ。
あの頃のソ連に、若者は、夢と、希望を、持っていた!
ソ連は、北ベトナムの、後ろ楯だった。💐
🌻 若き日(60年以上前のこと!!!)うたごえ喫茶という若者のたまり場があった。コーヒ−1杯でアコーディオンにあわせて声を張り上げて歌ったっけ。よく行ったのは、新宿の「ともしび」ロシア民謡全盛期。手元に1972年12月15日に第1刷が発行された手のひらサイズの歌集がある。編集は「音楽文化集団ともしび」発行は「株式会社ともしび」
時々手にとって昔歌った歌を一人で歌う。その中に、「エルベ河」がある。むかし、この歌を歌いながら、まだ見ぬ「ソビエト」という国に憧れた。
(以下、歌集162ページより引用)
♪ エルベ河 ♪
作詞 ドルマトウスキー
作曲 ショスタコーヴィッチ
訳詞 楽団カチューシャ
1 ふるさとのこえがきこえる 自由の大地から なによりもわれらしたう なつかしソビエトの地 世界にたぐいなき国 うるわし明るき国 われらの母なるロシア 子供らはそだちゆく |
2 とおくふるさとはなれても いつも夢にえがく あかき星の下にねむる わが山河広き野辺 世界にたぐいなき国 うるわし明るき国 われらの母なるロシア 子供らはそだちゆく |
3 エルベのほとりでうたわん 広きロシアのこころ
おおいなる祖国のまえに ファシストは かげもなし
世界にたぐいなき国 美わし明るき国
われらの母なるロシア 子供らはそだちゆく
1970年結婚し、76年の夏休み夫婦で初めてのヨーロッパ旅行をした。その最初の国がソビエトだった!東京からの飛行機もソ連の「アエロフロート」シベリア上空を飛んで、ソ連の首都モスクワに降りたった。エルベ河を歌うたびに、胸膨らませ、憧れてきたソビエト!とうとうその首都モスクワの地に私は立っている!
という高揚感は直ぐに冷水を浴びせられることになったのだが、それから25日間の喜怒哀楽織り交ぜた旅の話はまたの機会に譲ります。
60年も前に憧れたロシア、エルベ河に歌われたソビエトロシアは、60年後の今どうなってしまったのか。ロシアだけではない、教員夫婦が夏休みをフルに使って25日間のヨーロッパ旅行が出来たなんていう話は、現在の公立学校の教師たちが聞いたら、全く信じれれないだろう。ソビエトロシアも日本も、世界中が、この60年の間に全く様変わりした。今後60年の間にはどう変わるのか。もしかしたら核戦争によって地球そのものが破壊されているかもしれない。悲観的すぎると思われるかもしれない。しかし、私は人間そのものが変質してしまったとも感じる。あまりにも機械化が進みすぎて、人間の、生物としての人間の本質が変わってしまったのではないかと思う。
エルベのほとりでうたわん 広きロシアのこころ
おおいなる祖国の前に ファシストは かげもなし
と歌われた国が、まるでファシストの国になってしまったみたいな振る舞いをしている。エルベ河を歌った青年たちは、何人くらいが存命なのだろう。そして今、どんな思いでいるのだろう。
今の日本でこの歌を歌えるのはどれくらいいるのかしら。