2022年5月14日土曜日

NO.530〜2022年5月14日(土)「あかちゃん」

🌻 沖縄、ウクライナ、選挙運動、その他その他、ナオコばあちゃんは、浮世の諸々にちょっとお疲れです。テレビのCM   は、相変わらずシミシワとりのクリーム全盛、テレビはやめて読書と思うけれど、読みたい本、読まねばならぬ本は山積みなのに、目がチカチカ。ブログは、 庭の花たちの写真でお茶を濁すのも毎度のことだと呆れられてしまいそう。で、きょうは、この前お話しした、5年生の時の文集については、またのことにして、75年前にタイムスリップ。ナオコばあちゃん小学校2年生の時(1947年)の「つづりかたちょう」から、「あかちゃん」という文章を紹介します。結婚する時に、実家に置いてあった自分のさまざまなものと一緒に持ってきた「つづりかたちょう」なのですが、よく今までなくさずにきたなあと我ながら感心しています。

   あかちゃん」(原文のままですが、誤字脱字だけは訂正してあります)

 うちのあかちゃんは、おにんぎょうがすきですきで、どんなおにんぎょうでもよろこんでいました。わたくしがおりがみでおにんぎょうをつくってやったら、よろこんで、うちじゅうをとびまわってあそびました。わたくしは、あかんぼうというものはとてもおもしろいものだと思いました。

 ゆうがた、わたくしがあかちゃんをおぶって、おねえさんをむかえにいくと、あかちゃんは大きな声で、ゆうやけをみながら「ゆうやけこやけでひがくれて」とうたっていたので、わたくしは、はずかしくてたまりませんでした。すこしそらがうすぐらくなってきても、まだきしゃがこないので、わたくしがかえろうとして「ともねちゃん、もうかえろう」といってかおをみると、ともねは、ぐうぐうねむっていました。

 このあかちゃんというのは、現在、一人暮らしの私を気遣って、毎日様子を見に来てくれる妹のことです。6才違うので、この作文の時は2才です。この時は、75年後の世界や二人の境遇など全く想像すらできなかったでしょうね。1945年5月の東京山手空襲で焼け出されて、父の郷里信州に引き上げた我が家は、家はあっても食べ物には事欠く日々でした。そんな中(1945年10月)母の43才の時に生まれた妹は、母乳の出が悪くて、米のとぎ汁を飲ませたとのこと。その妹が私よりずっと大きく育ち、東京都の公務員となって75才まで働き、病気とは無縁です。わからないものですね。

 ところでこの作文(当時は「つづりかた」と言っていた)の表記を見ると、教科書通り(いわゆる「標準語」)なので、びっくりです。実生活では、自分のことを「わたくし」などとは言わず、女の子も男の子もみんな一人称は「おれ」二人称は「おめえ」「おい」でした。たとえば、「わたしたち」「おらとう」「あなたたち」「おめえとう」「おいとう」でしたよ。また、姉のことは「おねえさん」ではなく「ねえちゃん」でした。話し言葉と書き言葉を、きちんと分けるように教えられたのでしょうね。この時の担任の先生は、師範学校を出たばかりの女の先生。1年生の時からの持ち上がりで、綺麗な優しい「いでてるみ」先生。なお、ここに書かれた「おねえさん」とは、戦前、東京の小学校の先生でしたが、家族といっしょに父の郷里に引き上げ、当時は、汽車で30分ほどの近隣の村の学校の先生をしていました。この「つづりかた」に書かれたのは、おねえさんの乗った汽車が駅に着く頃なので迎えに行った話なのです。この「おねえさん」も、今は千の風。今日あたり我が家の上を吹き渡って、妹のブログを読んで笑っているかも。