2022年5月5日木曜日

NO.519~2022年5月5日 こどもの日、2回目投稿は1951年3月発行の作文集のこと

 🌻 82年余りの我が人生の中では、いろいろ様々な思い出の品があるが、その中でも、大事なものの一つに1951年3月発行の「作文集」がある。私が5年生のときのもの。担任の先生は1年間だけで、6年生には別の先生になった。この文集を作ってくれた先生は、まる坊主頭の復員兵で、着ているものは兵隊服だった。復員したのはいつだったのか、どんな経緯で私の村の小学校の先生になったのか、詳しいことは忘れた。しかし、当時日本全国で盛んだった「作文教育」に力を入れていたように思う。ガリ版刷りの多色刷りという、当時としては、かなりの先端技術を使っての文集だった。校舎の裏山をバックに、1950年、4年生の3月に写したクラスの記念写真が表紙裏に貼り付けてある。私は両手を不自然に膝に置いて座っている。それは、はいていたモンペの両膝に大きな継が当たっていたのを隠すためだった。女の子はおかっぱ、男の子は丸坊主。どの子の家もみんな貧乏だった。

🌻 その文集のピカイチは、担任の先生の教育観。表紙の裏に先生のこんな言葉が掲げてある。 共に学び 共に語り 共に歌い 共に働き 共に遊び 共に進まん ための本

そして、はじめにと題する先生の文章が載っている。

 去年の4月からみんなの書いた作文がたくさんたまりました。まがりくねった字を考え考え読んでいると、先生もみんなのように小さかった時のなつかしい思い出がわいてきます。みんなが大きくなってから、小さい時の楽しかったことを思い出すことができるように、みんなが書いた作文を「山波」と名をつけた本にしました。まだ、のせたいのがたくさんありました。本当に惜しかったが、都合でこれだけでやめる事にしました。

 この文集「山波」は、みんなの素直な心の鏡にうつったやさしい姿です。みんなの歩いてきた小さな足あとです。これから5年後、10年後になって出してごらんなさい。みんなの小さかった時の姿をふりかえって、自分でしっかり見ることができるのです。それはちょうど深山の岩間からこんこんとわき出す清らかな、細いけれどもくんでもくんでもつきない、そしてまたどこかにするどさのあるあの苔清水のようなものです。

 作文を上手につくろうなどと考えてはいけません。もっともっとまじめに物事を見た通り、感じたままをできるだけ正直に又こまかに書かなくてはなりません。なお、作った文をいくども読みかえして直す事もたいせつです。そしたら、もっとよいものがたくさんできるでしょう。

 美しい、そして親しい山の波が果てしなく続き、その山ふところにいだかれた小海小学校の明るい校舎の窓辺の桃の木に、ガラス窓にさす陽の光に、なごやかな空の色になんとなく春が訪れてきたような気がします。

 さあ、みんな仲よく元気よく、手を取り合って、新しい学年へ力いっぱいふみ出しましょう。       

             1951年3月15日


🌻 敗戦から6年、まだみんな貧しかった。そんな中でこの文集を作ってくださった先生の情熱が伝わって来る。たった1年で別れた先生。記憶も薄れたが多分、小海村よりさらに山奥の故郷の村の学校に転勤されたのだと思う。先生の熱のこもった文集は、私の大事な宝物。いつかこの文集に載っている私の作文もお見せしますね。🌻